🎨 田舎の画家の呟き 🎨

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

何度目かの壁が前方を塞ぐ

2021-08-21 20:58:19 | 日記

                           春ひらく飯山  333 × 242 mm  F4号

 

久々に大きな壁が目の前居座る

 

コロナ禍を一年半、政府のお願いと言うことで過ごしてきたが独り暮らしの老画家にとっては辛く長すぎる時間です。

三日に一度スーパーマーケットに食料生活品を買いに出かける以外は誰ともあわず勿論会話など当然無い。

かなりのストレスが蝕んでいる、声を出さないから気道筋肉が衰え誤嚥で激しく咳き込摂取した食事を吐き出すまでの辛い時間がいたずらに奪う。

本来ならば登山の計画間があったし、小旅行の計画もすべて失った。

幸いなのは、画業なのでアトリエで一人仕事は何とかこなしているがそれもここまで、ストレスはさらに身体に奥深く隅々へ侵攻していたようだ。

構図が思うように取れない、まるで初心者のような構図で自身が驚く。

混色が出来ない、絵具の混色時の指先の繊細な動きが出来ない。

素直に対象の色を作るための色が思いつかない、いゃ忘れているのかも知れない。

ストレスが、絵が描く意欲の裏で神妙な振りをして出番を伺っていたようだ。

書きかけのダラシないカンバスだけが足元に散らばる。

もう、絵が描けなくなって12日立ってしまった。

 

                        ☆ ☆ 

 

 

学生の頃や卒業して画家の道を目指すエネルギーの燃え盛る若い心に幾度か迎えた絵を描くための最大の敵がその壁だ。

その恐ろしい壁は純粋な命をも奪うこともできる決して簡単ではない大きな障害となる壁。

絵描き仲間のAも何度かその魔物に取りつかれ長々と毛筆で手紙をしたためその夜の私を涙で曇らせた。

 

 

                        ☆ ☆ ☆

 

 

画家にとって絵が描けないこと、つまり今までの時間を否定されたも同じです。

貧しくても画家は絵を描くことが全て、その両翼を無残にも壁はむしり取る、いとも簡単に。

画家仲間のA.B.両氏の魂が永遠であることを祈ります。

 

 

この回は暗めになってしまいました。

じゃぁ また。

 

 


一度は行ってみたい上高地⁉

2021-08-07 10:59:36 | 日記

                                  残雪の穂高連山 455 × 380 mm F8号

 

 

日本のスイス或は日本のツェルマットと語る人もいる。

ツェルマットはスイス南部の1.600mの標高にあるスキー、登山、ハイキングで有名なリゾート地です。

もう一つ有名なのがマッターホルンのお膝元でも有ることで有名です。

一方上高地は長野県西部梓川上流の標高1.500mの中部山岳国立公園の景勝地。

有名な槍ヶ岳の登山の出発点にもなります。

どうですか、なんとなく似てもいますね。

 

                  ☆  ☆  ☆

 

私が初めて上高地を訪れたのは、大学受験勉強の憂さ晴らしという名目で両親に許可を得

一人夜行列車の少年となりました、今から57年前の高三の夏休みでした。

車窓の外がなんとなく明るく感じられる頃に下車駅の穂高駅に列車は滑り込んだ網棚からザック取り出し降りる準備をするが

超満員の車内をザックを担いでホームへ降りられずにいると前の席の山男風男性が「君窓を開けなさい」「ほらほらそっちの金具を持って」と男性側の窓開閉の金具を上え上げながら支持します。

言われた通りに焦りながら窓を開閉すると列車がゆっくりと動き始めた。

「何してるんだよ。ザックをホームへ投げろ」

「君も早く飛び降りるんだ。さっ早く」と私を煽る。

無我夢中で危機一髪の中ホームへと飛び転んだ。

これから夜が明けようとしている中ホームで溜息が流れた。

改札口は、無人で切符を小箱の中へ入れ外へ出ると三人組の男性たちが声を掛けてきました。

目的地を聞かれ、彼らが予約してあるタクシーで登山口の一ノ沢まで乗せて頂くことになりました。

余談が長すぎました。 反省します。

 

                  ☆  ☆  ☆

 

常念岳 - 蝶が岳 -  長塀山 - 徳沢 - 上高地無事に終了。

山男たちの親切と機転におおいに助けて頂き今でも記憶から色褪せていません。

初めての上高地訪問は下山の最終地点でしたが、やはり初めて見る上高地は素晴らしいの一言に尽きます。

大学では登山三昧の日々が続く親不幸野郎になり山では助ける番になってゆくのです。

機会がありましたら登山四方山話も書いてみたいです。

 

又次回で・・・