チャオプラヤ河岸の25時

ビジネスマンの日記帳

シンガポール

2010-09-29 00:28:26 | インポート

 4~5年ぶりだろうか、久々にシンガポールに行った。チャンギ空港は改装中でごたごたしていたが、相変わらず美しく、よく整備された都市国家だ

 何よりこの国で驚くのは、その国際都市としての顔だ。オーチャードの近くに投宿したが、街角ですれ違う人々の人種民族はいつもながらあまりに多様だ。目の前の方がどこの国の人なのか、という興味すらまったく無くなってくる。

 広く世界に門戸を開き、金融、貿易、観光はもとより、最近では先端科学の権威や研究者を各国から集め知的生産基地化を目指している。わずか30キロ四方の小さな都市国家ではあるが、その成長戦略や生き残り戦略には、練り上げられた知恵を常に感じる。恐るべき小国だ。

 ジュロンから更にマレーシア国境に近く、日系大手メーカーの処理工場を見学させていただいた。責任者は東大出の中国人、大変に優秀な理学博士だ。個々の中国人と共同幻想としての国家中国とは関係がない。その謙虚さと博学ぶりには誰もが驚く。シマズや堀場の最新の分析機器が揃う最新鋭の工場、その管理に日本人は今やまったく不要なのだ。

 アジアはとてつもない速度で進んでいる。島国の視野では、とても追いつけないほどに。竜馬の時代の危機と、深刻さにおいてそう差があるとは思えない。個々が惰眠から目覚め、懸命に学び働き、追いつかない限り、その差は10年後には驚くようなものになる。最早誰も日本人をアジアの先進国の人として、無条件で尊敬してはくれない。何を知り、何ができ、豊かな内容で対話可能なのか、その実力だけが問われる。

 考え抜かれ、練り上げられた国際都市シンガポール。何もかもが精緻に計算されたこの国家を、息苦しく感じるものも多い。だが、少なくとも此処には、明確な未来図と知的集積とがある。無内容な自我にも危機感すらない日本の若者の惰眠とは、比較ができない。桁違いの学習意欲や前のめりのエネルギー、アジアの姿が日本の危機の深刻な内容を教えている。

                        

                                     川口

                            

 

 

 

 

 

 

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尖閣の愚策

2010-09-25 14:51:16 | インポート

 やはり素人に外交は無理だ。菅政権は違法操業の中国人船長を処分保留で釈放する、という信じ難い愚挙を行ってしまった。

 レアアースの禁輸、中国国内でのフジタ社員4名の逮捕、円高誘導などの圧力に屈した形だ。

 なぜ、民間人逮捕を同じに激烈に抗議し、中国に対し対抗的な輸出入禁止品目リストを用意しないのだろう。巡視船に体当たりした船長の釈放さえ飲めば鎮静化する国、とでも甘く考えたのであればそれこそ素人だ。日本が非を認めたという形式になれば、次は謝罪と賠償になり、更には船団を組んでの尖閣入りになる、という読みがなぜないのだろう。

 中国はかの北朝鮮の養育者であり、弱みを見せれば彼の国も同じことをすることになる。世界中が見ているのだ。拉致被害者の長年に渡る生活費を出せ、というような要求にも日本は応じるのだろうか?平和ボケ日本の水準が如何にお馬鹿なものであるのか、良くわかる事件だ。

 中国は既に海域に漁業監視船を配置した。農業省の所属だが、軍艦を改造したヘリコプター空母のようなものまである。この6月、南沙で違法漁船を拿捕したインドネシア艦艇に砲撃を警告したのもこの漁業監視船だ。つまり領海周辺の漁船は意図的に、政治的目的をもって軍艦とともに繰り出される中国の外交ツールである、という理解が常識だ。

 このような組織意図がある漁船であれば、フジタ社員の逮捕時には、同じくスパイ目的の侵入可能性で体当たり船長の事情聴取を開始する、と対抗すべきであった。強硬策でもなんでもなく、それが外交の常道だ。

 民主党政権の無知蒙昧と判断能力の低さであれば、対日圧力で幾らでも中国の権益は拡大できる、その絶好の機会と中国指導部が考えている可能性が高い。おそらく、日本の完全屈服まで賠償請求を行うことになる。それが、中国なのだ。

 彼の国と密着するような経済関係を持つのは無謀に過ぎる。撤収が容易で技術も何もない、大手セットメーカーの組み立て工場ならわかる。が、部品製造本体には余りにリスクが高い。彼の国を囲むインド、ASEANの平和の弧の発展に尽くすことこそが製造の責務であろう。更にはレアアースの代替え技術構築を急ぎ、中国の支配下に入らずに済む戦略的製造に転換する必要がある。

 日本の自主国防や核に対するアレルギー、その内向きで島国的な日本の議論を嘲笑しながら、中国は東アジア政策を思いのままに推進する。権力は銃口からのみ生まれると公言する隣人の眼前で、日米同盟を普天間で揺るがせる愚昧。恐ろしく現実と噛み合わぬ民主党に、敗戦国日本の戦後の思想水準や国際認識の甘さがどんなに自閉的なものだったのかが表現されている。

 政府は事件後の船長逮捕理由を 領土主権の問題としてでなく、漁船が巡視艇にわざと衝突したから、などという及び腰の説明を行った。衝突時のビデオを公開するしないの馬鹿げた議論をするうちに、中国はきっぱりと主権侵害事件と国内外に訴え、強硬策を宣言した。何という差だろう。

  既に幾重にも日本政府の出方をシュミレーションし、先を読み切って矢継ぎ早に強硬策を繰り出した中国。一方で尖閣周辺で起こり得る事態に対し、日本政府はどんなケース・スタディを行っていたのだろう?正に、何も考えてもいなければ、危機の想定マニュアルも存在していない、ということなのだろう。これをお馬鹿と呼ばずに何と呼ぼう。中国政府は「我々には知恵がある」、と海洋権益の簒奪に国務院を先頭に自信満々だ。裏返せば、平和ボケの日本政府にはそれが欠けているから、と云っているに等しい。もっともな話だが。

 日中関係は難しい。国内の政争に明け暮れし夢中になってきた政治家には、そもそも外交を扱うこと自体が無理なことだ。戦後思想の頸木から脱出し、核戦力を含む自主防衛の検討開始、といった大筋の転換を主張しない限り日本の外交は機能しないのが現実である。其処をスルーする限り、現実的な対中政策など出てくるはずがない。

 相手の本質は軍事独裁国家であることを忘れている。天安門事件や主席の交代劇にも、各軍管区の力関係が反映する国なのだ。衛星国になるのかリスクの高い独立国を選ぶのか、中国の瀬踏みは甘いだけの日本から、極限の回答を引き出すまで続くことになるだろう。

  拝金主義で化粧した北朝鮮、そのように把握すべき中国。有史以来、一度も選挙をした経験がない国であることを忘れてはならない。その本質論から離れ、経済の事情でのみ彼の国と付き合えば、唖然とする脅迫の連続に右往左往することになる。政府が愚かなら、せめて企業は知恵のある選択を行って自身と国とを守らねばならない。これ以上の中国への投資、配置を前提にしたグローバル戦略など、とても馬鹿げている。必要なのは撤収の工程表、それだけだ。

                       

                                                            

                                   川口

 

 

 

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大清人民共和国

2010-09-23 04:47:21 | インポート

  尖閣諸島を巡り、俄かに日中関係が険悪化してきた。中国とは何であるのか、今一度その生成史を辿って検討しておくべきだろう。

 1971年、大陸棚全体に中国の権益が及ぶ、という世界でただ一国、中国のみが主張する論理で突然に尖閣諸島(中国名、釣魚台)の領有を主張し始めた。大陸棚で原油やガスの開発が始められたころだ。

 尖閣はサンフランシスコ平和条約の戦後処理で日本の領土とされ、同じ1972年の沖縄返還によってアメリカから施政権を返還されたものである。最初から、中国との問題など無かった地域だ、ということになる。当然、日本の立場は東シナ海には領土問題自体が存在しない、という立場だ。

 現在の中国は平和条約の締結に中国は参加しておらず、条約内容は無効と主張している。

 東シナ海ばかりではない。南シナ海では南沙諸島の領有を突然主張し、ベトナム、フィリッピン、インドネシア、マレーシアなどと争っている。フィリッピンなどは中国海軍に占拠された島もあり、また本年6月にはインドネシア海軍が今回同様の中国の違法操業魚船を拿捕すると、付近の中国海軍から即時釈放しなければ砲撃する、との恫喝を受ける事件があった。

 中国は大清帝国の失ったもの、民族の誇りと統合を取り返そうとする時、極めて暴力的である。戦後でも、朝鮮戦争に始まり、インド、ベトナム、ロシアと国境での交戦を続けた。少数民族の抑え込みも苛烈を極める。

 人民共和国にとっては、国の分裂をナショナリズムによって統合しやすい領土問題と反日はむしろ歓迎なのだろう。好んで持ち出す、無くてはならない統治のツールと考えている節がある。つまり、大清帝国なのか人民共和国なのかはさして大きな違いでなく、中国の本質はやはり中国ということなのだろう。

 さて、この俄かに力を回復し、核武装した中華帝国と日本は今後どのように付き合うのだろう。それこそ政府の国家戦略室に聞いてみたいものだ。戦略も哲学もない、無残にアマチュア的な民主党政権下の国難。亡国の「革新政党」が教養を身に付けた大人になる可能性は極端に低く、やはり頼りはアメリカになる。

 アメリカは尖閣諸島は日米安全保障の対象地域である、と昨年3月と本年8月に明言し、今のところ中国の占拠を許さないたった一つの防波堤になっている。鳩山内閣は普天間問題を巡る低次元の迷走で、このアメリカの不信感を増幅させた。隙間風が本物かどうか、中国の強硬策は日本をでなく、そのアメリカを試すためのものだ。

 厄介な隣人、その距離感が日本の将来を決める。今や最大の外貨保有国となった中国が、膨大な手持ちドルで円買いを始めたら、円高は簡単に70円台に突入する。また、世界産出量の90%を占めるレア・アースを対日禁輸すれば、日本のハイテク産業は壊滅する。

  御主人様は俺だ、その現実をノー天気な民主党幹部に知らしめるため、中国はそこまでの経済制裁を必ず短期的にでも実行するだろう。掌中でならば生かしてやる、それが大清帝国の、隣国に対する何時の世でも変わらぬメッセージであったからだ。

 こそばゆい友好論に振り回されていても間違いを重ねるだけのことだ。彼の国を括る本質は、それ以外に生成史の中には見出せない。

 今年、中国に進出した日系企業はストライキの嵐に見舞われ、軒並30%近い賃上げを行う他なかった。グローバルなコスト競争の適地では既にない。コストを頼みに進出した企業は、今は中国から逃げ出す算段で忙しい。ASEANやインドにと、既に企業の目線は大きくシフトしている。

 これからの日中関係は不安定化せざるを得ない。相手の本質が大清人民共和国であることを見て見ぬふりし、それぞれが進出競争ブームに走った、、、そんな時代は終わりの時を迎えている。

 日本がおめでたいだけの対等な戦略的互恵の友好を打ち出しても、大清帝国が望んでいるのは相も変らぬ朝献外交であったりする。東アジア共同体構想も中国は鼻で嗤っているだろう。それが現実だ。よくよく友好の距離について、冷徹に判断すべき相手である。

 日本の中国への膨大なODAの投下と経済のテイクオフへの貢献、それは凄まじいものだった。貧しい隣国への責務は、既に十二分に果たし終えている。  

 明確な一時代の終焉、そのことを、尖閣の問題が教えているのだろう。

                          

                             川口

 

 

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悲しき天使

2010-09-17 03:44:43 | インポート

 70年安保を控え、ベトナム反戦運動が空前の盛り上がりを見せていた頃、、、。木枯らしが吹き、街にはメアリー・ホプキンの「悲しき天使」がいつも流れていた。 

  原語盤では「Those were the days」、とてつもないヒット曲だったのだろう。喫茶店に入っても、街角に立っていても、長野でも東京でも、深夜放送のラジオからも、それは聞こえてきた。リズミカルだがもの悲しいイギリス・ポップス、ウェールズの片田舎のシンガーだったメアリーはポール・マッカトニーに見出され、「悲しき天使」で一躍世界的シンガーになった。木枯らしの季節に、その曲はとてもよく似合った。

 

 やがて高校の卒業式を終え、私は行方も定まらない自身を扱い兼ねていた。なぜあんな子供に進路を決める、などということができるのだろう。私は、分からないものは分からない、その事実と心中することを決めていた。迷いの中に三昧することを選んだ。自分とは何か、最早、それにしか興味はなかった。

 卒業式の後、就職も進学もせぬまま、伊豆半島を一人で回る小旅行に出かけた。西伊豆の入江の民宿を訪ねては、周辺の山道を随分と歩いた。修善寺の小道で擦れ違った大学生のカップル、海岸の釣り人、民宿のおばさん、、、。18歳の迷いに気付き、様々に声をかけてくれた。それは、有り難いばかりのものだった。思い出せば、ただ胸が詰まる。苦しかったのだ。そんな自身の心象風景にかかわりなく、温暖な三月の伊豆はマーガレットが美しく咲いてもいた。

 ただ自身と向き合うだけの、大事な時間だった。

 外れてしまった軌道ではあるけれど、他のどんな選択も不可能に思えた。機械的に偏差値で大学を選ばれても、あるいは就職口を世話されても、気持ちがまったくついていかないことだけがはっきりしていた。この列車にだけは乗れない、そんな内面の声だけが明確だった。

 列車から飛び降りるのも、飛び乗るのも、無傷というわけには行かない。自分の足で歩くということは、どうもそのようなことらしい。

 大学はその年、東大の入試が中止になるほどに全国で紛争が過激化していた。親の世代の価値観念体系は無残に揺さぶられたが、代わりの軸になる、信ずるに足る何ものにも私はまだ出会えていなかった。党派の教条には、辟易としていたのだ。

 動揺する秩序と理念のなかで、自分のスタンスを持ってから、間違いのない私自身としてでのみ、社会と正対することを望んでいた。全てのややこしい思念を放り投げ、ノンポリの水準で生きることは到底考えられなかった。かといって、似非思想の下では生きないぞ、と。

 自分とは何者であり、何を為すべき者なのか。そのしつこい内面からの問いかけに答えを持たねば、一歩も進むことはできなかった。否、曖昧にしたままでは前には進まない、そのことを決意するための旅行だった。自分に、自身の過去史と魂とに関わりないジャンプをさせることに、耐えられそうもなかった。

 同輩はそれぞれに進学し、あるいは就職して行った。教師も、何時しかお前はどうするつもりなのか、とは聞かなくなっていた。見捨てられていたのだ。取り残されるように一人残った自分には、ただ、とてつもない迷いが広がるばかりに思えた。

 長い内面の旅が、続いた。

 賢く、輝くような若さの魅力的な女友達も去り、賑やかな友も大半は縁が無くなった。外れた人間に未来などない、そう思われても至極当然だった。何の恨みつらみもない。

 ヘーゲルとフッサールの哲学、社会心理、経済学史に日本思想史、エチエンヌの美学に法学概論、フロイトとユング、、膨大な読書だけが自身を支えていたように思う。詰め込むべき知識は受験以外の部分に山積し、そこにしか内面の疑問に対する回答の手掛かりが無かった。

 ラジオからはまだ「悲しき天使」が流れ、それに時折ダニエル・ビダルの「天使の落書き」が加わるようになった。巷では党派のアジテーションと、深い傷を刻むはずの同棲時代とが同居していた。

 奇妙な、許された範囲内のブームとしての逸脱、その流行りの文化に付いていくつもりは更々なかった。彼らは列車から降りてなどいない。ただ抵抗が、スタイルやファッションのようなものだったのだ。戻ることのない橋を渡った者は、ほんの一握りでしかない。個々の魂の内奥の問題であるはずの変革が、長髪やゲバ棒、増してや意味不明の同棲ごっこで達成される筈は、最初からなかった。

 自問自答する苦悶の日々、それを若さというなら、若さとは間違いもない地獄だ。それでも、正面からその地獄を受け止めること以外では、私はきっと生まれなかったろう。第二の出生をその時、私は既に約束されていたに等しかった。

 極限の不安の中で、密やかにそんな自信の芽が育ち始めた。働いて学費の全額を貯め、卒業を目的にしない自費での進学を実行したのは二年後のことだった。自分が必要とする講義以外は一切出席するつもりがない、そんな奇妙な決意の進学だった。世間の無責任な価値評価の中をでなく、自身の価値軸を確立しそれを生き切ること。迷いの果ての、自分にとってはとてつもない転換だった。疑いもなく、そこが自身の原点だ。

 走っている列車から飛び降りれば、骨折くらいは当たり前だ。だが、心が死に、自身の可能性の開花を閉ざし、軽いだけの快楽に燥ぐのがいやなら、凡庸な列車に乗って進むことがこれ以上できないと感じたのであれば、やはり君は其処を飛び降りるしかない。そして、列車の中の人々の数倍を学ぶのでなければ、それは単なる脱落に過ぎないものになる。花は去り、世間の中で異化されようと、その悲しみには耐え、醒め切った意識で学び続けるしかない。何かを得るということは、多分、それ以外の全てを諦めるということに等しいから

 若さという煉獄、自己放棄することなく若さを乗り切るという至難、それを通過してきたというだけで、きっと生は生に値するものになる。だ一点、当時、何一つ私自身を説明できなかった貧しい表現力について、深く同輩達に詫びるばかりだ。申し訳ない。

 メアリー・ホプキンの「Those were the days」、曲調以上に胸詰まらせる想いが、そこにぎっしりと詰まっている。

                        

                                川口

 

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未来図

2010-09-14 22:04:25 | インポート

 先週末にバンコクの伊勢丹へ半年ぶりで出かけてみた。UDDと軍との衝突で一帯は焼け落ちてしまったが、伊勢丹の傷は浅く、今は開店している。隣のセントラル・ワールドや向かいのBIG-Cは再開の目途はまったく立っていない。

 なぜか近辺に30人程度の赤シャツが居て、周辺を警察が監視していた。こんな繁華街が反政府運動の聖地化してしまったら大変だが、それを除けば再建工事のトラックが賑やかに出入りし、人々も至ってのんびりと街を歩いていた。

 結局、伊勢丹の中には入らなかった。91人が亡くなり、1,900人が負傷した4月の混乱の現場、未だにその傷は癒えてはいないように感じたからだ。

 何一つ根本的な課題が解決したわけではない。タクシンも相変わらず国外から反政府を煽っている。地方と都市、既得権益層と新興勢力、王党守旧派と民主勢力、様々なベクトルでタイはその強固な階層社会の根底を揺さぶられている。家族主義国家タイの幻想は、そう長くは続かない。

 それでもタイは、今年8%程度の経済成長を達成する。日産がタイ生産の大衆車マーチを日本に逆輸出するなど、円高に耐えられない企業がアジアシフトを大幅に加速しているからだ。日本の落日を西から眺めれば、富の程よい移転、成長センターの移動、ということになる。良いことなのか悪いことなのか分からないが、それは間違いもなく今今に進行している現実だ。

 高齢の国王の衰弱が進んでいる。崩御の日をXデーとし、様々な対策が企業では練られている。普段より多めの部品在庫を持ち、長期の服喪に備えている。その日、タイは羅針盤を失くした船のようになる。国民の落胆ぶりは想像を超えるだろう。そして、その部分を補うものも、代理の者も、何も存在しない。だが、その日は必ず来る。

 

  民主党の代表選挙は菅の圧勝に終わった。どっちでも良かったのだが、市場は直ちに円高の歩みを速めることで反応した。菅では口先介入以上の荒業を繰り出すには役不足、と判断したのだろう。

 無策の低能首相と思われているのだから、それを逆に利用し、直ちに円売りドル買いの介入をすべきだ。菅の再選で安心し切っている市場に奇襲攻撃をかけることになり、一定のインパクトを持てる。

 つまり、タイミングは今しかない。この絶好機を逃せば、とてつもない国難はまだまだ続くことになる。ここで円売りドル買いに十兆円を超える規模で介入し、資金を回収せず市場に垂れ流せばよい。それができなければ日銀も政府も為替のド素人、経済音痴の集団ということになってしまう。

 いずれにせよ、長期政権にはならない。所詮はアマチュアの政治が、この厳しい国際環境の中で生き延びられる筈がないのだ。尖閣の軋轢にも、普天間の危険除去も、恐らくは呆然と立ち尽くすだけのことだろう。乾坤一擲の悪意もなく、断固たる善意もない。中国もアメリカも、北朝鮮もロシアも、尋常一様の皆様ではない。日本の国益は、悄然とした面持ちの菅では到底守れない。

 長く、曲りくねった道。それでも、アジアの未来図は次第にはっきりとしてきた。誰にもわからないのが未来、などということはない。未来は常に定められた蓋然性の中にある。何時までもわからないのは、単なる不明の者だ。

 次の時代に備えよう。明らかな未来図の中で、居場所を定めよう。没落する日本に、いつまでも心奪われてはならない。

                           

                                                                                 

                                                                   川口

 

 

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民主党の挽歌

2010-09-11 17:36:36 | インポート

 野党の党首選挙なら嘲って見られるところだが、勝てば首相ということになれば話は別だ。菅ー小沢の党内選挙、その議論の内容には日出る国の没落を感ずるしかない。

 事物の本質はその生成史にある、という学問の方法論の切り口を使えば、菅は市川房江の議員秘書が出発点。日本がどうなろうが、外交がどうであれ、とにかくお金はいけない、の単純な一点主義。政治というより、権力への執念でおば様選挙に潜り込んだ。如何にすれば票になり、這い上がれるかで自身の思想スタンスすら決める人物。清廉潔白なおばさん向けだが、薄っぺらな正義以外に何の教養も持ち合わせてはいない。

 小沢は言わずもがなの田中角栄の秘蔵っ子だった。統治とは利権とポストを支配すること、親分としてその分配に関与できなければ死んだに等しい、と思い詰める人物だ。彼にとっては日本の未来図や外交なども、権力闘争の中で利用すべき二義的なものにすぎない。

 ひきつけを起こしたような気持ちの悪いアクション付きの菅の演説、衆愚は黙っていろと言っているに等しい小沢のマスコミ対応、いずれも思想や構想力の中身のない言葉の羅列には変わりがない。げに恐ろしい水準の党首選挙と云ってよいだろう。

 総選挙は近いような気がする。この指導者の水準では、とても日本が持たないからだ。どちらが勝っても政権を放り出すような事態に追い込まれ、戦略的な世界の動きの中で、愕然とするほどのノー天気な姿を晒し、嘲笑を受けながら倒壊することになる。

 避けられないはずの政党再編を絡ませながら、早く選挙をやってみる以外になにもない。アマチュアに政治を任せたらどうなるのか、の実験は終わった。円高による経済危機は急速に進んでいる。今更の危機感表明や小出しの対策にはどんな力もない。

 菅は、自分は無為無策ではなく、欧米に対して日本が為替介入してもマイナスの反応をしないでくれと今頼んでいるところだ、と記者会見で胸を張ってみせた。これから皆さんに夜襲を掛けるが驚かないでほしい、と当の相手に頼みまわっている、というのだ。とても馬鹿げた夜襲になりそうだ。

 まだまだ暑い。鬱陶しさに耐え、バカバカしさと戦うこと、それが人生というものの姿らしい。少年老い易く、学成り難し。合掌。

                          

                            川口

 

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リスク

2010-09-03 15:16:49 | インポート

 円高が深刻の度を増している。今更の小出しの政府の対策はまったく意味をなさず、85円を切る水準が定着してしまいそうだ。輸出産業の呻吟は半端なものでない。社内想定レートを調整するのはいとも簡単だが、そうなれば外国企業との競争に勝っていくのは至難の業になる。

 日本は、所詮海外マーケットで勝ち抜いていく以外の選択肢はない。原材料を輸入に頼る以上、日本がその加工付加価値で食って行くという姿は変えられない。内需の拡大といっても、そんなスケールではだれも満腹になれない。円高にはメリット、デメリットの両面がある、などという悠長な話では済まないはずなのだ。

 驚くようなペースで空洞化が一段と進むことになる。国内製造を諦める他ないところにまで企業は急速に追い込まれ、国内工場にとって死活的に重要だった産品までも海外の生産拠点に移管せざるを得なくなっている。国内生産の縮小、若しくは放棄、という姿でしか現状には適応できない。

 政治は日本の根幹のような、この戦略レベルの議論を長い間野ざらしにしている。だれもがこれで良いとは思っていないはずだが、押しとどめる力は余りに弱い。ぼつぼつ国を捨て、世界人として生きる決意を固める企業も出てくることだろう。つまり、本社そのものの移転だ。

 今回の円高トレンドは、今までのものとはまるで意味が違う。日本の未来への諦念が広く浸透し、戦略レベルの国捨てが起こり得る、というものなのだ。この政治状況では経済は戦えない、そのように企業が判断し始めている。為替でもレアメタルでも、日本は連戦連敗、政治には次代の絵があるのかどうか疑わしい。

 さて、どうしたものだろう。国外に在って国内を支える、その絵の有効性はますます確認されてきているのだが・・。国内は本当にこのまま、放棄されるものでいて良いのだろか?

 日本の政治の国際性と戦略性のなさ、それが日系企業の最大のリスクになりつつある。

                           

                                                                                     川口

  

 

 

 

 

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