1970年代前半の東京、小平の友人の下宿先でピンク・フロイドの「原子心母」を聞いた。もちろんLPレコードの時代だ。
ロック音楽など聴く機会すらなかった。だが、たまたま聞いたそのピンク・フロイドの実験的音楽は余りに新鮮だった。オーケストラや合唱を絶妙に融合させ、その哲学的で難解な詩とともに、聞いたこともないロックの世界「ATOM HART MOTHER」の宇宙が広がっていた。
LPは「父の叫び」、「ミルクたっぷりの乳房」、「マザー・フォア」、「再現」などの小副題に区切られてはいたが、全体では25分ほどの交響楽といって良いような衝撃的なロックだった。
中学生の頃、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲にあっけなく感動してしまい、以来ひたすらクラシックを聴いていた。周囲と話を合わせるためにだけ様々な音楽を聴いてはいたが、その趣向性向、クラシック絶対主義には長く何の変化もなかった。だが、ピンク・フロイドとの出会いは、他のジャンルをまともに聴こうとする決定的な契機となったのだ。
頭で聴くのか感覚で聴くのか、解釈か美そのものか、他愛もないそんな音楽に関する仲間内の議論は、何時も楽しかった。それは原子心母のお蔭で一層深い内容が持てるようになった。
シェーンベルクの「浄夜」とバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の間に、スコーピオンズのロック、コルトレーンやエバンスのJAZZのLPが並んだ。クラシック好きの本質に何も変化はなかった。が、そのことでクラシックの姿と限界も把握できることになった。
見知らぬものに心を開いていくということ、見知らぬものに触発されるということ、そのことの意味は何時も意外に大きいものだった。固定観念に閉じこもり、分かったことにしてしまうこと、その守りの姿勢が新たな体験の機会を奪い、自身の可能性の発展を極端に狭める。
「見る前に跳べ」、「書を捨て街に出よう」、そんな懐かしい本の背表紙に励まされ、世界と格闘する自分を実験動物のように見つめる楽しみと意義を、その頃に見出した。実験動物に過度の感情移入はしない。観察に徹すれば極端にはしゃぐことも、落ち込むことからも避けられる。私は、私自身の精神の危機の時代を、そのように克服して来たのだと思う。
あるがままを見つめる、如何なる固定観念にも支配されない、たぶん私は心の自由を、その時手にした。ピンク・フロイドのお蔭で・・。
川口