チャオプラヤ河岸の25時

ビジネスマンの日記帳

原子心母

2009-10-27 00:29:20 | インポート

 1970年代前半の東京、小平の友人の下宿先でピンク・フロイドの「原子心母」を聞いた。もちろんLPレコードの時代だ。

 ロック音楽など聴く機会すらなかった。だが、たまたま聞いたそのピンク・フロイドの実験的音楽は余りに新鮮だった。オーケストラや合唱を絶妙に融合させ、その哲学的で難解な詩とともに、聞いたこともないロックの世界「ATOM HART MOTHER」の宇宙が広がっていた。

 LPは「父の叫び」、「ミルクたっぷりの乳房」、「マザー・フォア」、「再現」などの小副題に区切られてはいたが、全体では25分ほどの交響楽といって良いような衝撃的なロックだった。

 中学生の頃、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲にあっけなく感動してしまい、以来ひたすらクラシックを聴いていた。周囲と話を合わせるためにだけ様々な音楽を聴いてはいたが、その趣向性向、クラシック絶対主義には長く何の変化もなかった。だが、ピンク・フロイドとの出会いは、他のジャンルをまともに聴こうとする決定的な契機となったのだ。

 頭で聴くのか感覚で聴くのか、解釈か美そのものか、他愛もないそんな音楽に関する仲間内の議論は、何時も楽しかった。それは原子心母のお蔭で一層深い内容が持てるようになった。

 シェーンベルクの「浄夜」とバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の間に、スコーピオンズのロック、コルトレーンやエバンスのJAZZのLPが並んだ。クラシック好きの本質に何も変化はなかった。が、そのことでクラシックの姿と限界も把握できることになった。

 見知らぬものに心を開いていくということ、見知らぬものに触発されるということ、そのことの意味は何時も意外に大きいものだった。固定観念に閉じこもり、分かったことにしてしまうこと、その守りの姿勢が新たな体験の機会を奪い、自身の可能性の発展を極端に狭める。

 「見る前に跳べ」、「書を捨て街に出よう」、そんな懐かしい本の背表紙に励まされ、世界と格闘する自分を実験動物のように見つめる楽しみと意義を、その頃に見出した。実験動物に過度の感情移入はしない。観察に徹すれば極端にはしゃぐことも、落ち込むことからも避けられる。私は、私自身の精神の危機の時代を、そのように克服して来たのだと思う。

 あるがままを見つめる、如何なる固定観念にも支配されない、たぶん私は心の自由を、その時手にした。ピンク・フロイドのお蔭で・・。

                          

                                                                                 川口

 

 

 

 

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貧困率

2009-10-21 00:49:18 | インポート

 

 日本の相対的貧困率は06年時点で15・7%と発表された。相対的貧困とは全世帯平均年収(448万円)の半分(224万円)に満たない年収世帯を云う。恐らく今今の足元は20%近くまで悪化しているだろう。この指標はそれほど急速に悪しき方向に傾いてきた。

 先進国の中では際立って多い。ほとんどが10%以下のヨーロッパは無論、格差社会の典型のようなアメリカでさえ15%未満である。

 このような格差社会への流れは急激に進展した。非正規労働の拡大や、老人世帯など単身者世帯の拡大が原因とされる。新政権はこの問題に取り組み、非正規雇用には一定の歯止めを掛けようとしている。

 多分、それは良いことだろう。だが手法によっては、グローバリズムの下で日々世界との競争にさらされ、巨大な景気変動に足元をふらつかせる企業にとって、それは主力生産基地の海外移転を更に加速する選択にしかならない。

 格差の是正は下の底上げでも上の圧縮でも可能だが、全体経済の衰弱こそが問題であるはず。一体どのように日本を活性させるのか、その答えは何処からもまだ聞こえてこない。取り敢えず平均化を目指す、そのように政策の舵を切ったということだろう。それ以下でも、それ以上でもない。

 直近の日銀短観は「回復の兆しがある」、と景気判断を上方に修正した。だが、実体経済の現在は、来年前半の二番底懸念との闘いだ。

 マインドが冷え各社の在庫が積み上がれば、当然製造は再度の調整に入る。いち早く回復したのは、皮肉なことにゴールドマンサックスのような震源地アメリカの巨大金融資本である。またぞろ彼らが同じマネーゲームを始めるのを阻止できないのであれば、オバマへの世界の期待も一気に霧散することになる。

 現実は確かに厳しい。疲れぬように、落ち込まぬように。こんな時こそ自らの立ち位置とペースを乱さず、不動の姿で激動期に臨もう。

 

 タイは来月初旬、またロイカトーン(灯篭流し)を迎える。雨季の最後、毎日夕刻には雨になる。貪欲な世界を洗い流す雨と、淡い望を託す灯篭、タイの最良の季節が間もなく始まる。

 

                                 川口

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新貧困層

2009-10-05 02:52:53 | インポート

 

 

 民意による本格的な政権交代 の歴史を持たない国、日本。今回はどうのような顚末になるのだろう。明確な変化を期待されているだけに、その舵取りは難しいものになりそうだ。

 かつての日本は高度成長の経済的基礎力により、比較的手厚い社会保障と生涯雇用が実現し、唯一成功した社会主義国とも形容され、強力な第二次産業の力で先進化の道をひた走ることができた。

 今、あらゆる側面でその成長モデルが限界にあることを皆が自覚している。その暗雲立ち込める競争社会、それに疲れ果てているところに、更に新貧困層の拡大という大きな課題をこの国は背負った。

 非正規労働の怪しいセーフティーネット。

  グローバル市場での競争に対応するため、急激に進む技術革新に対処するため、余りにも甘い方向に振れた若者の職業観、様々に理由はあった。だからと言って巨大な貧困層の拡大を看過すべきでない。衰弱した思考能力の故の若者の自業自得、と切り捨てるのでは済まされない。若年労働力がその甘さに気がついた時は既に希望を失い、不安定雇用の中で家庭を持つことすらが不可能化している。それは社会の再生産にとって致命的な事態の進行である。

 内需の拡大を云われて久しい。成長が止まった今、それを本格起動させねばならないのは如何にも至難の業になる。だが、何としてもそれを行わねばならない。セイフティーネットの整備で所得を安心して消費に回すマインドを国内に作り出す、それ以外にはどのような解決策もない。富が内需に回らないのであれば、一体何のための経済大国作りであったのか、訳がわからない。

 かつて、戦後の貧困からの脱出が我々の時代のテーマであった。遮二無二働き、世界第二位の経済大国になった。結果、また貧困との闘いが始まることになろうとは・・・。

 貧困は最大の影響が子弟に及び、教育や希望の機会均等を阻害し、人的社会資本を長期間に渡り破壊する。圧倒的な生産技術、革新的な発明発見、全ての日本の成長の資源は人的資産によってもたらされてきた。その再生産ができなくなることは、日本の没落を確定的にする。

 知的生産と単純労働、この先の日本が迎えるのはその軸で選別された階層社会である。つまり、教育のない、基礎力の身に付いていない者には、そもそも仕事がないという事態である。圧倒的な生涯所得の差がそこで産まれることになる。貧困は貧困層として世代をまたぎ、強固に固定化されて行くことになるだろう。

  二次産業が国外との競争に対抗できなくなれば、来るべき社会には、膨大な単純労働力を吸収してきた雇用の受け皿、無数の生産工場というものが著しく減少する。だからこそ高度産業化社会では、教育の機会均等が最低限達成されていなければならない必須の要件だ。自らビジネスを作り出す気概と創造力、ITを使いこなすスキル、世界とコミュニケーションできる教養と自信、それなしには個人の未来図を脱工業化社会に描かせることができなくなるのだから。

 何はともあれ、日本は政権交代によって明確な転機を手にした。豊かだが貧しい、そんな奇怪な経済成長の果てにまた貧困との闘いが待っている。ばら撒き以外の方法で、知恵を絞るべき時だ。

 

 

                  川口

 

                               

                                         

 

 

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