今日テレビで刑事ドラマを視て感じた。
人は変わるが山は変わらないという言葉だ、しかし実際山の高さは変わる。
富士山の高さはミナナロで3776メートルで現在も同じ高さだろう、しかし栃木の山の高さは変わって居るのだ、昭和34年那須岳(茶臼)はヒクイナで1917メートルだったが現在1915メートルだ、そして男体山はニシノハシで2484メートルで現在2486メートルで有る、何故こんなことを例に出すかと言えば記憶力の件でだ。
私は興味が有る事は記憶力凄く良い、小1から高専迄遠足の事ほぼ記憶している。
小1の時遠足は父母付き添いで行った、その時貧しい母子家庭の女の子が一人で来て昼食を寂しげに食べてるのを見て可哀想になった、何故教師が一緒に食べて上げないのか不思議に感じ、より教師と学校が嫌いになった。
2年は大谷鹿沼 3年は太平山足利だ一時的な降雨で或る学校の体育館で食べた記憶が有る。
4年は那須で先程の山の高さはガイドさんの説明だ 5年は日光生憎雨だった半分自慢で私は晴れ男だ旅行会社時代も雨でも観光地では晴れが多かった 6年の春は江の島鎌倉で一泊旅行だその時習った歌で七里ヶ浜と逗子開成の生徒偲んだ2曲今でも覚えている。秋に特別東京見物が有り東京タワーに登り感激した。
中1は稲毛に潮干狩りだ、その時一人が旅行費を払えず参加できなかった小1同様何故教師が都合付けないか腹立った、1か月して父親が亡くなり病院代等必要で苦しみ無理だったのだろうと納得したが可哀想に感じた。
中2は奥日光湯元の2泊林間学校でその時登った前白根山の魅力に惹かれ山男に成った 中三は奈良京都2泊で初めての電車旅行だ思い出は多い。
どの学年でも記念写真撮影場所の状況と観光地天候コース思い出等隅々まで記憶している。
また小6時の生徒の顔見ると何組だか即座に分かった、多分先生の影響が多い時代で顔付が似てきて覚え易かったのだろう。友人に話すと大概驚く、但し脳梗塞で倒れるまでだ稍々ボケが入り今は少々キツイ。
現在では立ったらアレ俺何をしようとしたのか忘れる始末だ。
処で興味が無い事は全く記憶出来無い、仕事上車20台位買ったがナンバー1台しか覚えて居ない57-5757の特徴有るからだ、また電話番号及び人の名前等全く駄目だ。またワープロのせいでポチ同様では無く漢字読めるが書くのは辛い。
本当に人間の記憶力とは奇妙で不思議だ。
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