奇しくも本日書かなければと思った記事が、購読ベストテンに入ったので驚いた。
みのもんた、三島由紀夫、特攻隊シリーズ1と2の四記事で有る、これを一記事で書いてみよう。
時期は77年の幅が有るが似たような時代背景と内容を持っている気がする。
三島由紀夫は昨日のYahoo!JAPANに横尾忠則と瀬戸内寂聴の対談記事と美輪明宏単独の記事だった。
三者とも三島のセクシャル問題には触れていたが、其々だ美輪明宏は天才ても少年時代の教育のトラウマを背負っていて、文壇向きの営業用の顔を持ち出版社には駆け引きが有ったが素顔は子供見たかったと言う。
横尾と瀬戸内は只ならぬ秘密を暴露したが、長文に成るので簡単に書く。三島は(男の死)成る写真集を日本とアメリカにて篠山紀信撮影で販売したが、篠山紀信作では無く三島劇場だったと語った。
本来二作計画したが横尾が病気で参加できず、同志で森田二人の一作に成ったらしい。自身との一作が出来たら我はピエロと述べていた、瀬戸内は三島の亡霊に悩まされるそうだ。美輪明宏が特に思って居るが現在の世の中を見ないで亡くなって良かったと述べている。
其の現在がガースーだ、みのもんたも内に入るが食事会を総理に成って154日も行って居る。
銀座の店は高級で一人分6~7万円するそうだ、8人なら50万円は超すだろう。それが154日なら七千七百万円とは驚きだ。処で何を話しているのか分から無い、会議や会話なら国会議事堂や官邸に会議室や応接間が無いのも不思議だ。
相手は芸能人や、大手企業のお偉方が占めるのだろう。庶民の生活を知るとか学術会議では無さそうだ必要な事と思わないが何か裏仕事プンプン匂う。
ガースーはGOTOキャンペーンで人の移動とコロナの関連性は未だ認めてはいない。
最後は特攻隊だが本文は後日書きます、この場では殺されていった彼らの嘲笑で書くが俺の本音で有り彼らの本音と思って読んで下さい。
(俺は死ぬ係じゃあ無いから)抜け抜けと語った中沢裕少将らが居た、後に東京芝の寺で行われた(神風忌)に名前の記載も無い。責任を取った将軍も少なからず居たが多くは(俺も後から逝く)と言いながら逃げた将軍が多かった。
特攻隊には謎が多く、菅原中将は他の将軍が自決を進めたが(生きて責任を取る)が有名で特攻隊観音を四体作ったがポーズと言う人も多い、真実を書く事が俺の信条だからここでは控えるが自衛隊の公用車を自由に使ったのは事実らしい。尤も偉く成ったのは元将校だから自然な仕草だ。
また将校の息子達は、前線に行くのを避けるため多くは陸海軍大学に進学させたらしい。
参謀や将校に成れば前線に行かず(死)は無いのだ。安全策は立てて有るのだ。
戦中が其の儘残る現在である、ガースーの政治活動は何らかの不思議も無い行動だろう。
アホが戦犯逃れの売国奴でCIAのスパイの孫は情けない。
特攻隊は後で真実を詳しく書きます、しかし書類の多くが焼却処分されて居るので難しい。その名残が現在の
シュレッダーだろう。