なぜ、人は願うのだろう。
願うということは何か?
自力では足りないと自覚しているということか?
他力本願になったということか?
自分の力をその想いに集中させるためか?
困難な状況だから人は願うのではなかろうか。
願いは様々かもしれない。
他力本願な願い、奇跡への祈り、心を鎮め自らの全ての精神を困難をブレークスルーするためだけに集める所作、
困難だと思う状況だからこそ、人は願うとしたら、
思うに困難が取り除かれれば、人は願わなくなるのだろうか?
たとえば、その状況は困難ではない、と思い込むとか。
したしい人が励ましてくれて心が強くなり、また力強く立ち上がれるとか。
困難な状況を幾多も経験し、ある程度覚悟ができるようになっているとか。
ふと、人はなぜ願うのだろうと思った。
そこで逆にこう思う。
毎日、願いを、祈りを、願掛けをしていると、困難な状況が少なくなるのかもしれない。
それこそ、その困難の意味を良い意味で見出し、克服してしまうのではなかろうか。
ふとそんなふうに思った。