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2007-09-01 土 「社説--比べて読めば面白い」 授業時間増(産経)

2007-09-01 09:22:28 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 産経
産経新聞 2007年09月01日(土曜日)付

【主張】 学習指導要領 「脱ゆとり」さらに徹底を

 学習指導要領改定を検討している中央教育審議会が、小、中学校の授業について主要教科の時間数を増やす方針を決めた。ゆとり教育からやっと転換が図られる。「脱ゆとり」をさらに徹底し、学力回復につなげたい。

 学習量は昭和40、50年代のピーク時から半減している。詰め込み教育や受験戦争への批判のなか、昭和52年の指導要領改定で「ゆとり」や「精選」の言葉が使われ2割以上削減された。

 平成8年の中教審答申では、暗記型でなく自分で問題を解決できる「生きる力」が重視され、学校5日制や総合学習の時間の創設が盛り込まれた。

 これを受け、10年の学習指導要領改定で土曜授業分以上に学習量を減らした。この削減で、「つまずきや落ちこぼれが減り、じっくり学ばせ、個性を育てる」というねらいだった。

 しかし、その後の学力調査などをみると、読解力不足や論述型の問題ができないという弱点は変わらず、ゆとり教育が目指した能力は育っていない。逆に薄い教科書で学ぶ子供たちが、基礎基本を身につけていないことが明らかになっている。

 今回の改定素案では、小学校の国語で「古文・漢文の音読や暗唱」、算数で「計算能力の確実な習得」を例示するなど、基礎的な知識を重視することを改めて示した。

 ゆとり教育の象徴的授業だった総合学習については削減を打ち出した。教科で学んだ知識を活用し、自分で調べていく機会は重要だ。しかし子供任せの教師が少なくない。「さぼり教育」「遊びの時間」の批判さえある。

 また、一部教職員組合が総合学習の教材用に偏向した歴史教育や平和教育の資料をつくり、授業が悪用されたケースもあった。

 今回の授業増は政府の教育再生会議の報告に沿ったものだ。素案の脱ゆとりの方向は評価できるが、文部科学省や中教審はこれまで放置してきたゆとり教育への反省や検証をきちんと行っていない。

 学力低下への危機感は強く、各地の教育委員会が独自に夏休みの短縮や土曜活用に取り組んでいる。文科省、中教審はゆとり教育の失敗を率直に認め、学習内容充実への明確な指針をさらに打ち出す時である。

(2007/09/01 05:09)


2007-09-01 土 「社説--比べて読めば面白い」 授業時間増(毎日)

2007-09-01 09:13:18 | 「保存している記事」から
「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 産経
毎日新聞 2007年09月01日(土曜日)付

授業増加 「ゆとりからの逃走」が始まった

 小中学校の主要教科の授業時間が1割増える。小学校では高学年で「総合的な学習の時間」を削って英語の授業を始める。文部科学省の学習指導要領改定・告示を経て実施は早くて11年度だが、実態として早々と「ゆとり教育」に見切りをつける終業のベルが鳴らされたといっていい。

 今の学習指導要領は98年に改められ、02年度から実施された。学校週5日制の中で、授業内容のスリム化、総合的な学習の時間の創設などを柱としたが、学力低下の批判を受け、安倍晋三首相は教育再生会議などを通じて全面見直しを表明していた。

 ゆとりは失敗か。確かに当て外れや甘さはあった。一つは、目玉の総合学習が多くの学校や教員に大きな負担と感じられたことだ。

 総合学習は検定教科書や点数評価がなく、学校や教員が独自の授業を工夫、考える力や学習意欲を高めることを目的にする。導入前「何をしていいか分かりにくい。例示を」という要望が強く、当時の文部省が「国際理解」「環境」など大まかなテーマを挙げた。その結果、国際理解を名目に英語学習をする学校が相次いだ。

 当て外れの二つ目は、地域・家庭との連携だ。5日制で増える休日を活用し、地域や家庭の協力で体験学習機会の拡充が期待された。しかし、理念にまだ遠く、多くの子が受験塾、学校の土曜補習などに通う現実がある。

 三つ目は、新しい学力観を反映するはずだった入試の改革がなかなか進まないことだ。単にふるい分けが主眼の難問奇問や、少子化時代に受験生取り込みを図る手抜き入試が横行する。

 ただ、教育政策の成否を見るには年数と注意深い解析が必要だ。国際比較調査や現場の声などに基づく学力低下論も、本当に「ゆとり」の弊害なのか、短絡はないか、なお検証を要する。

 またいうまでもなく、ゆとり教育は「楽をする」ことが目的ではない。文科省もゆとりの理念は今後も堅持するとは言う。だが本来の理念通りに実践するなら当事者は相当な努力を要し、その実りとして前記のように入試などに波及的変化をもたらすことも可能だ。そうしたことは避け、共通カリキュラムの教科学習を再び拡充し総合学習や選択教科を削るというのは「ゆとりという理念のしんどさから逃げる」ことではないか。

 ゆとり教育導入の最大のつまずきは、学校現場や国民に共通理解を広げる説明が十分なされなかったことだ。今回の改定でも同じ状況がある。例えば、小学校の英語導入はどうか。大半の学校が総合学習に英語を入れている現状を追認し、「差がついてはいけない」と一律実施するという。話が逆立ちしている。まず十分な説明をして必要の是非を広く論議し、決定に反映させるべきではないか。

 ことは教育だ。何をしようとしているのか。どう子供を育て、どういう人材像や価値観で将来を描くのか。もっと説き、論を交わし、共通認識を深める言葉が豊かに発せられなければならない。

毎日新聞 2007年9月1日 0時14分


2007-09-01 土 「社説--比べて読めば面白い」 授業時間増(朝日)

2007-09-01 09:03:57 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 産経
朝日新聞 2007年09月01日(土曜日)付

授業時間増―大切なのは「質」の方だ

 子どもたちにとっては、夏休みの終わりに追い打ちをかけられるような知らせだったかもしれない。

 小学校の授業時間が増える見通しになった。30年ぶりのことだといい、早ければ11年度から実施される。

 国語、算数、理科、社会と体育を約1割増やす。低学年で週2時間、3年生以上は週1時間程度増えることになる。

 また、5、6年生には「英語活動」を週1時間程度取り入れる。その代わりに、3年生以上の総合的な学習の時間を1時間減らすことになった。

 中学校でも、授業時間を増やす方向で検討が進められている。

 これまで授業時間は、週5日制の導入や詰め込み教育への批判、ゆとり教育の推進などで減少傾向にあった。

 それが一転して増やすことになったのは、学力が低下しているという批判に耐えられなくなったからだろう。その事情はわからないわけではない。

 だが、それにしても文部科学省の方針は、あまりに揺れが大きすぎないか。

 「ゆとり教育」を掲げて、「生きる力」を育むとして、鳴り物入りで新しい学習指導要領がスタートしたのは、つい5年前のことだ。その具体策が、授業時間の削減や総合学習の創設だった。

 こんどは逆に授業時間を増やし、総合学習を減らすというのだから、子どもも教師も戸惑ってしまうだろう。

 文科省が「ゆとり教育の見直しではない」と言っているのも理解しがたい。

 自ら打ち出した方針を誤りだったと認めたくないのだろうが、これを機に「ゆとり教育」を変えるのだ、とはっきり説明した方がいい。そこをあいまいにしたまま色々な具体策を出していくと、現場は混乱するばかりだ。

 もう一つ気になるのは、授業時間という「量」を増やせば、学力低下に歯止めをかけられると単純に考えているのではないか、ということだ。

 もちろん、時間を増やすことがプラスに作用することもあるだろう。子どもによっては、増えた授業で理解が進むことがあるかもしれない。

 だが、いま一番深刻な問題は、できる子とできない子の格差が広がっていることだ。授業についていけない子を時間を増やすことで救えるとは思えない。

 できない子への教え方を大胆に変える。少人数や習熟度別の学級をつくる。そんなふうに「質」を変えなければ、全体の底上げを図ることはできまい。

 英語活動の導入についても、ひとこと言っておきたい。

 総合学習などを利用して英語を教えている小学校は、いまでも9割を超える。今回の方針は現状の追認ともいえる。

 だが、導入するにしても、中学での英語授業の前倒しではなく、助走にとどめるべきだ。正規の教科にして成績を評価するようなことになれば、競争も激しくなり、副作用が大きくなりかねない。


2007-08-26 日 今日の朝日新聞 社説

2007-08-26 03:36:32 | 「保存している記事」から

朝日新聞 社説 2007年08月26日(日曜日)付

内閣改造を前に―首相へ贈る「五つの反省」

 自民党の歴史的惨敗に終わった参院選挙から間もなく1カ月。衝撃がなおさめやらぬなかで、安倍首相はあす内閣改造に踏み切る構えだ。

 選挙後も首相の足元は揺らいでいる。各種の世論調査では内閣支持率が20%台を低迷。朝日新聞の調査では47%が「首相は辞めるべきだ」と答えた。党内でも公然と退陣論が語られる。私たちも辞任が当然との考えに変わりはない。

 それでも首相は続投を選んだ。「国民の厳しい審判を受け止め、反省すべきは反省する」。そう繰り返してのことである。であれば、ここは本当に反省していただこう。首相もそれなしに政権にとどまるほど無神経ではあるまい。

 だが不思議なことに、この1カ月、首相の言葉に耳を澄ましても、何を反省するのか、肝心な中身が伝わってこない。これはどうしたことか。

 ならば仕方ない。僭越(せんえつ)ながら、私どもが考えた「五つの反省」を安倍首相に進呈したい。


 一、人事の重さを知る

 これは、首相自身が身にしみていることに違いない。1年足らずの内閣で4人もの閣僚が交代した。現職閣僚の自殺というおぞましいできごともあった。ほかにも閣僚の暴言や失言が相次いだし、ポストの重さに耐えきれない閣僚も目についた。

 「お友達内閣」といった批判をまた繰り返そうとは思わない。旧態の派閥均衡人事にせず、安倍カラーを出したい。そんな思いもあったのだろう。

 だが、政治の成否は人事で決まる。国会議員になってわずか13年、閣僚経験も乏しいまま一気にのぼりつめた首相にとって、初の人事は荷が重過ぎたのだろう。この授業料をどう生かすかだ。


 一、危機管理の能力を

 不祥事や失態を一度も起こさなかった政権など、過去にもなかったはずだ。大事なのはそのときどうするかである。

 最初は大した問題でないかのように振る舞い、対応を先送りして傷口を広げてしまう。安倍首相が繰り返した過ちだ。

 消えた年金記録の問題を民主党に指摘されると「不安をあおる」と切り返し、閣僚らのカネの問題も次々にかばい続けて致命傷になった。小池防衛相と事務次官が演じた人事対立のどたばたもあった。これで一国のかじ取りができるのか。国民はその危機管理能力に大きな不安を覚えている。


 一、言葉に責任を持つ

 「私か小沢さん、どちらが首相にふさわしいか、国民に聞きたい」。参院選で首相は自らそう言い切り、この選挙を信任争いと位置づけた。

 一国のトップリーダーの宣言である。敗北すれば退陣という決意だと受け止めた人も多かったろう。だが、それは全くの肩すかしだった。

 政治家にとって「言葉は命」だ。たった一言が民意を動かすこともあるし、失望を広げることもある。ましてや首相の言葉である。安倍氏はいま一度、言葉の重みをかみしめる必要がある。

 8月15日に靖国神社の参拝を見送ったのはよい。だが、「行ったか行かなかったかも言わない」とは、子供だましの逃げ口上ではないか。本来の心情に反する決断なら、その無念もきちんと語ればよい。国民はそういう姿を求めている。旧日本軍の慰安婦問題でも、煮え切らない発言ぶりが混乱のもとになった。


 一、基本路線を見直す

 首相はいまも「私の基本路線は国民の理解を得ている」と繰り返している。本当にそう考えているのなら、見当違いも甚だしい。国民の理解があるなら、なぜこれほどの大敗を喫したのか。その吟味なしに反省などありえない。

 首相の基本路線といえば何といっても「美しい国」であり、「戦後レジームからの脱却」、その先の憲法改正だろう。だが、美しい国とは何なのか。戦後を否定して戦前レジームに戻したいのか。安倍首相のもとでは改憲したくない、という人が多いのは、なぜなのか。

 一方、小泉政権から引き継いだ構造改革はぼやけてしまった。改革の負の遺産をどうするか、それは首相ならずとも難題だ。何を引き継ぎ、何を改めるか。ここでも基本政策の吟味は欠かせない。


 一、おごりを捨てる

 先の通常国会で与党は17回もの採決強行を重ね、国民投票法などの成立を急いだ。首相の号令のもとに、である。

 多数決は民主主義のルールには違いないが、だからといって、これほどまでに数の力を振り回していいのか。しかも、衆院の圧倒的な議席は小泉前首相が「郵政」の一本勝負で得たものだ。安倍氏はそれを乱用したに過ぎない。

 参院の与野党逆転で、この手法はもう使えない。だから今度は低姿勢で臨むようだが、野党に植えつけてしまった不信感はこれから自身に跳ね返ってくる。

 とすれば、反省は手遅れかも知れないが、それでも苦い教訓は生かさねば。万事おごりを捨てるべし、である。

 この春死去した城山三郎さんは、新刊の随筆集のなかで、戦前の気骨の首相、浜口雄幸(おさち)の次の言葉を引いている。

 「政治家は国民の道徳の最高の基準を生きなくてはいけない。国民全員が見ている」「総理たる者が約束を破れば、国民は何を信じて生きていけばいいのか」

 激しい逆風の中で、首相は試練に立ち向かう。果たしてこれから巻き返しがなるか、それとも破綻(はたん)を迎えるのか。それは、自らの反省によって、国民の信頼を取り戻せるかどうかにかかっている。


2007-08-25 土 今日の東京新聞 【コラム】 筆洗

2007-08-25 09:44:26 | 「保存している記事」から

東京新聞 【コラム】 筆洗  2007年8月25日

 自ら政権選択選挙を挑んで大敗しながら、居座りを決め込んだ安倍首相。自身を含まぬ“人心一新”の内閣改造を目前に、日本経団連一行を引き連れ、アジア歴訪中だ▼インドのコルカタでは念願だった東京裁判のインド代表判事、故パール氏の長男に面会した。パール判事はA級戦犯全員の無罪を主張。戦後復権した首相の祖父、故岸信介元首相の招きで来日、勲一等を受けた。首相の今回のパール家表敬は、アジア諸国から日本の戦争責任を否定する動きと受け取られかねない▼“戦後レジームからの脱却”という、施政の初心に帰って、大敗の苦境を乗り切る腹づもりだろうが、この夏は、戦地からの引き揚げ体験者や、高齢の元兵士たちから、堰(せき)を切ったように体験を語り残そうという動きが目立つことは知るまい▼考古学者の大塚初重さんと五木寛之さんの対談『弱き者の生き方 日本人再生の希望を掘る』(毎日新聞社)は心に染みる。「脚にしがみついてくる戦友を燃え盛る船底に蹴(け)り落として生き延びた」大塚さんと、「ソ連兵に『女を出せ』と言われ、押し出すように女性を人身御供に三八度線を越えた」五木さん。罪の意識から語りえなかった体験を二人は吐露する▼荒井とみよさんの『中国戦線はどう描かれたか』(岩波書店)は、“ペン部隊”として戦地に派遣された作家たち、とりわけ林芙美子の従軍記の行間からのぞく戦争の真実を読み解く労作だ▼“空気の読めない”安倍首相は、戦争責任追及と戦後平和を維持したいという国民の願いからも脱却したいのか。


2007-08-25 土 今日の東京新聞 社説

2007-08-25 09:34:14 | 「保存している記事」から

東京新聞 社説 2007-08-25 土

米イラク政策 単純化が過ぎないか

 米軍のイラク撤退議論が高まる中、ブッシュ米大統領が戦前の日本軍をアルカイダになぞらえる演説を行った。日本が民主化できたのだから、イラクも可能だという。歴史を単純化してはいないか。

 ブッシュ大統領が米ミズーリ州カンザスシティーの海外戦争退役軍人会で行った演説は、本論の主要部分を日本との比較に充てた。

 「敵は自由を忌み嫌っていた。その敵は米国民の戦意をそぐほどの惨害を与えようと自爆攻撃をしかけた」。「といってもアルカイダのことではなく真珠湾奇襲、そしてその後、東アジアに帝国を築こうとした一九四〇年代の日本の戦争マシンのことだ」。大統領はこう切り出し、いかに戦前の日本が今のイラクに似ているかを説いた。

 日本は文化的に民主主義が根付かないと思われていたこと。女性は従順過ぎて政治的独立にはなじまないと思われていたこと。狂信的な国家神道が民主化を不可能と思わせていたこと、などが主な点だ。

 その日本が戦後、米国最大の同盟国になり、女性の防衛相さえ誕生するまでになった。イラクに米軍が駐留を続ける理由は、日本の民主化を助けたアメリカの理念、権益そのものだ、と続けている。ベトナム戦争にも言及し、米軍撤退がその後の惨劇につながった、とも指摘した。

 演説が、来月に発表される米政府のイラク報告書を前に退役軍人の会合でなされたものという事情は分かる。しかし、その歴史の比較はあまりにも単純過ぎないだろうか。

 日本やドイツで成功した民主化過程が、歴史と文化を異にするイスラム圏で一律に適用できる、とどうして確信できるのだろうか。アフガニスタン、イラクでの民主化は確かに自由選挙を経て新生国家の誕生を見たが、その足元は危うい。イラクのマリキ政権は宗派抗争から大量の閣僚が引き揚げ、崩壊の危機に直面している。パレスチナでは選挙を通じて武装闘争路線を捨てないハマスが支持を得る皮肉な結果となり、分断を生んでいる。

 テロとの戦いは、国家を超えた姿なき組織との非対称性の戦いだ。国民国家の枠を超えたグローバル化が進み、欧州連合(EU)に見られるように、世界的に新たな秩序が模索される時代。求められる「力の誇示」以外の紛争解決モデルは示されていない。

 ブッシュ大統領は対テロ戦争を「イデオロギーの戦い」と主張し、この一点で一切の妥協を拒んでいるように見える。

 多様であるべき歴史の比較には慎重でありたいと思う。


2007-08-25 土 今日の朝日新聞 社説

2007-08-25 09:30:03 | 「保存している記事」から

朝日新聞 2007年08月25日(土曜日)付

ブッシュ演説―日本の過去に触れるなら

 とかく権力者は、自分の都合に合わせて歴史を解釈するものですが、ブッシュさん、あなたの見方も歴史のつまみ食いではありませんか。

 イラク戦争の正当性と米軍の駐留の必要性を強調するために、第2次大戦やベトナム戦争などを取り上げた、退役軍人会での大統領の演説です。

 「日本の軍国主義者、朝鮮やベトナムの共産主義者は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた」

 「日本の文化は民主主義とは両立しないと言われた。日本人自身も民主化するとは思っていなかった」

 9・11テロで、多くの米国人は日本軍の真珠湾攻撃やカミカゼ特攻隊を思い浮かべました。イラク戦争を始めるときに米政府内には、武力による民主化の成功例として、日本の占領を考える人たちがいました。日本に言及したのは、こんな背景があるからでしょう。

 しかし、戦後の日本の民主化が成功したからといって、イラクもというのは乱暴すぎます。日本には、明治の自由民権運動や大正デモクラシーの歴史がありました。占領軍の民主化政策にも助けられましたが、戦争は二度とごめんだという民意が軍国主義を復活させませんでした。イラクのように占領後も反米闘争が続いている状況とは違います。

 米軍がベトナムから撤退したから、ベトナムでは大量の難民が発生し、隣国のカンボジアではポル・ポト派による大量の虐殺が起こった、という見方も単純すぎます。米国の介入でベトナムの人々がどれだけ傷ついたか。カンボジアまで爆撃したことがポル・ポト派を勢いづかせた歴史も無視しています。

 イラクに関連して第2次大戦やベトナム戦争から学ぶとしたら、その国の未来はその国の人々にゆだねるしかないということです。戦後の日本やドイツでは、戦争の指導者たちを排除したあと、できるだけ自治に任せました。ベトナムでは米軍が撤退したからこそ、両国のいまの友好的な関係があるわけです。

 それにしても、演説ではずいぶんたくさん日本へ言及されましたね。

 「天皇に根ざした狂信的な神道があるので日本は民主化できない、天皇を裁判にかけないかぎり日本の民主化は失敗する。そういった意見が米国内にはあったけれど、日米が協力して民主主義制度のなかに天皇を位置づけた結果、より強固な民主主義が育った」

 最近、米国内では、靖国参拝問題や慰安婦問題などで、日本の保守回帰が第2次大戦の正当化につながり、それがやがて米国離れを導く、といった懸念が出てきています。ひょっとして、「過去を直視しない日本」への牽制(けんせい)がもうひとつのメッセージだったのでしょうか。

 ブッシュさんも安倍さんも、「共通の価値観」が日米の絆(きずな)だと言っています。第2次大戦について、その観点からお二人でじっくり話し合ってみませんか。


2007-08-24 金 「社説--比べて読めば面白い」 安倍外交(東京)

2007-08-24 23:30:40 | 「保存している記事」から

東京新聞 社説 2007年08月23日(木曜日)付

安倍外交 『価値観』もほどほどに

 安倍晋三首相がインド国会での演説で、日米豪印四カ国の連携強化を訴えた。価値観を共有する各国との結束は重要だ。ただ、度が過ぎると、他国に誤ったメッセージを送ることになりはしないか。

 首相は十九日からインドネシア、インド、マレーシア三カ国外遊の旅に出掛けている。参院選惨敗で政権の混乱が続く折から、与党内には「外国に行っている場合か」との不満もあった。

 首相としては「主張する外交」の柱と位置づける「価値観外交」の推進によって、一定の成果を挙げたいとの切実な思いがあったようだ。

 基本戦略は、自由、民主主義、基本的人権といった価値観を共にする国々と、安全保障、経済、人的交流などでの連携強化を目指す。軍事、経済面で台頭著しい中国をけん制する意味合いもある。

 今回、最重視した訪問国は、急速な経済成長を続ける大国インド。首相は演説でまず「世界最大の民主主義国において国権の最高機関で演説する栄誉に浴した」と語った。その上で、両国のパートナーシップの強化が米国や豪州を巻き込み、太平洋からインド洋にかけた「拡大アジア」の発展につながると提唱した。

 自著「美しい国へ」の中でも、首相は日米豪印の連携に向け、日本のリーダーシップの必要性を強調している。今年三月には日豪首脳会談で「安全保障協力に関する共同宣言」に署名した。まさに自らの手で、四カ国の枠組みをがっちり固めているつもりなのだろう。

 しかし、考えておかなくてはいけないのは、その副作用だ。日本が米豪印と結束すればするほど、例えば中国は「包囲網」を築かれていると警戒感を強めることになる。アジア諸国への慎重な配慮は欠かせない。

 米豪印も同様の理由から、四カ国の連携が突出することには慎重だ。ライス米国務長官は先に訪米した小池百合子防衛相に「中国に思いがけないシグナルを送る可能性がある」と、ブレーキをかけたほどだ。

 首相が独り相撲を取っているようにも見える。安全保障、経済にとどまらず、温暖化対策など地球レベルの危機を考えれば、必要なのはきな臭い包囲網ではなく、共通のテーブルだろう。

 インド訪問で首相が力点を置くべきは、唯一の被爆国としての日本の立場である。インドが核拡散防止条約(NPT)に加盟しないまま、核開発競争につながりかねない米国との原子力協力協定に合意し、隣国パキスタンを刺激している。首脳会談で苦言を呈することこそ「主張する外交」にふさわしい。


2007-08-24 金 「社説--比べて読めば面白い」 安倍外交(産経)

2007-08-24 23:24:00 | 「保存している記事」から

産経新聞 【主張】 2007年08月24日(金曜日)付

日印首脳会談 戦略的協力さらに育てよ

 安倍晋三首相は訪問先のインドでシン首相と首脳会談を行い、安全保障や経済、環境・エネルギーなどを柱とした日印の戦略的協力関係をさらに深めることで合意した。

 今回の会談は、昨年12月のシン首相訪日の際に合意した「戦略的グローバル・パートナーシップ」を具体化に向けて進めることが主な目的だった。

 両首脳の共同声明では、日印関係を「基本的価値観を共有し、最も可能性を秘めた2国間関係」と規定した。防衛・安保協力から、通商関係拡大、経済連携協定(EPA)促進、地球温暖化対策まで広範な分野を網羅し、実質的な前進をめざすことで合意ができたのは大きな成果といってよい。

 日印関係は最近まで活発といえなかったし、通商・投資面でも発展の余地を大きく残している。安倍首相には200人余の経済界代表も同行した。政府間協力に加えて、民間の経済分野でも相互協力の深化と拡大に努める意味は小さくない。

 また、安倍首相がインド国会で行った「二つの海の交わり」と題する演説で「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益だ」と強調した点も重要だ。アジアの軸足を確認しつつ、日印両国に米、豪も加えた「拡大アジア」の枠組み強化に取り組む姿勢を打ち出したことを評価したい。

 来年のシン首相訪日時には、日印間の安全保障協力に関する報告をまとめるという。首脳相互訪問や首脳会談の年次開催という形で、日印は戦略的パートナー関係をさらに緊密なものに育てていく必要がある。

 今回の歴訪で安倍首相は、インドネシアで対ASEAN(東南アジア諸国連合)外交の新方針を打ち出すなど、麻生太郎外相とともに進めてきた「主張する外交」「価値の外交」を戦略的に展開してきた。

 アジアは中国の台頭などで21世紀のパワーゲームの最も動きの激しい焦点となっている。その中で、日本外交の戦略的地平を多角的に広げていく作業はきわめて大きな意義を持つ。

 安倍首相には、帰国後の週明けに参院選後の内閣改造が待っている。世界の中で戦略的外交を進める姿勢を堅持していくうえでも、それにふさわしい布陣を期待したい。

(2007/08/24 05:07)


2007-08-24 金 「社説--比べて読めば面白い」 安倍外交(日経)

2007-08-24 23:18:23 | 「保存している記事」から

日本経済新聞 社説 2007年08月23日(木曜日)付

多角的アジア外交へ日印関係広げよ

 安倍晋三首相がアジア3カ国を歴訪中である。22日にはインドのシン首相と会談、「戦略的グローバル・パートナーシップ」と銘打った両国関係を深めることで合意した。多角的で均衡の取れたアジア外交を進めるため、価値観を共有する大国インドとの関係拡大を日本外交の柱の一つに据えることは重要だ。

 インドは民主主義の大国であり非同盟諸国の中心国でもある。経済的にも存在感を増し、経済規模は既にアジアで第3位だ。

 だが2005年4月に小泉純一郎首相が訪問するまで日印首脳の往来は少なく、経済的にも日本との貿易、投資関係が活発だったとは言い難い。インドに進出している日本企業は増えてきたとはいえ、500社弱にとどまる。

 安倍首相とシン首相は日印関係について「最も可能性を秘めた二国間関係」だとの認識で一致した。その可能性を開花させるべく、安全保障、地球温暖化対策などの分野で連携を強めると合意したことは大きな成果だ。

 安倍首相には日本経団連の御手洗冨士夫会長を団長に200人あまりの企業首脳が同行している。インドとは今年1月に経済連携協定の締結交渉も始まった。日本企業は中国市場への過度の依存によるリスクを回避する必要があるとの認識を強めており、日印の経済関係拡大の余地は大いにある。

 ただし日本はインドが米国との間で結んだ原子力協定を支持するわけにはいかない。同協定は米国がインドに原発技術を提供するための取り決めだが、インドはパキスタンなどとともに核拡散防止条約(NPT)に加盟せず一方的に核兵器保有を宣言している。米印協定はNPT体制をないがしろにしかねない。

 安倍首相は歴訪の第一の訪問先ジャカルタで東南アジア諸国連合(ASEAN)の大国インドネシアとの経済連携協定に署名した。さらに演説で、ASEANが民主主義や人権尊重を重視した憲章づくりを進めていることを高く評価し、経済連携協定のネットワークなどを通じ地域統合を支援していくと述べた。インドの次には親日国でASEANの中核国であるマレーシアを訪問する。

 首相のアジア3カ国歴訪は参院選での自民党の大敗をうけて帰国直後に内閣改造、自民党役員人事を決定しなければならないというあわただしい時期と重なった。だがASEANとインドを重視する路線が日本のアジア外交の基本の一つであることを打ち出せた。


2007-08-24 金 「社説--比べて読めば面白い」 安倍外交(毎日)

2007-08-24 23:10:29 | 「保存している記事」から

毎日新聞 社説 2007年08月24日(金曜日)付

日印関係 戦略的協調への第一歩に

 アジア歴訪中の安倍晋三首相はインドのシン首相との会談で、政治、経済、安全保障、地球環境問題などでの連携を確認した。

 国際社会の中で存在感を増しているインドとの関係を強化することは日本のアジア外交の幅を広げる観点から意味がある。しかし、多面的な外交を繰り広げるインドと付き合っていくには日本にもしたたかな戦略的視点が必要なことを忘れてはならない。

 インドはIT産業の急速な発展を軸に経済成長を続けている。昨年のGDP(国内総生産)成長率は9%を超え、アジアでは日本、中国に次ぐ3番目の経済規模だ。世界第2位の人口を抱え中間所得層も拡大している。

 安全保障面でも、インド洋は中東原油の日本への輸送ルートであるシーレーン(海上交通路)の安全確保のうえで重要な位置にある。緊密な協調が必要な相手だ。

 しかし、最近まで両国の関係は緊密とはいえない状態が続いていた。人の往来をみても、日中間に比べると35分の1、航空便数は61分の1とかなり見劣りする。

 今回の首脳会談のポイントは二つあった。地球温暖化対策と、インドと米国が合意した民生用核協力協定への対応である。だが、この二つの課題について目を引く成果があったとは言えない。

 地球温暖化問題で安倍首相は、世界全体の温室効果ガスの排出量を2050年までに現状比で半減させるという「美しい星50」構想を説明した。実効ある温暖化対策を進めるには二酸化炭素(CO2)の排出量が世界5位のインドを取り込まなければならない。

 安倍首相の協力要請に、シン首相は「ポスト京都議定書」の枠組み参加に前向きに応じたものの、先進国と同じように削減義務を負うことには慎重姿勢を崩さなかった。環境と経済の両立をタテに温暖化対策に消極的なインドを巻き込むにはさらに知恵を出す必要がある。

 インドと米国の民生用核協力についてシン首相が日本の支持を求めたのに対し、安倍首相は明確な支持表明を避けた。インドは核拡散防止条約(NPT)に参加していない核保有国である。日本は核兵器の廃絶を目指す立場だ。イランや北朝鮮の核開発を非難しているのだからインドの核兵器保有を認めるわけにはいかない。

 安倍首相はインド国会での演説で「拡大アジア」という新しい概念を打ち出した。自由、民主主義、基本的人権といった価値観を共有する日本と米国、豪州、インドの連携を訴えたものだが、この構想の裏側には中国けん制の狙いがみえみえだ。

 だが、全方位外交のインドは中国との関係強化も図っており、一筋縄ではいかない。安倍首相の狙い通りに「反中国価値観」で実を結ぶほど単純な話ではないだろう。今後の日本のアジア外交には、対中国と対インドの効果的なバランス関係を考慮し、拡大アジアの中でどういう役割を果たしていくかということこそが問われる。

毎日新聞 2007年8月24日 0時15分


2007-08-24 金 「社説--比べて読めば面白い」 安倍外交(朝日)

2007-08-24 23:05:16 | 「保存している記事」から

朝日新聞 社説 2007年08月24日(金曜日)付

首相の訪印―価値観外交のすれ違い

 米国とインド、それに豪州。自由と民主主義という価値観を共有するこれらの国と連携して事に当たる。それが安倍首相が唱える価値観外交である。

 首相にとって、インド訪問はその実践と言えるものだった。だが、価値観を共にする相手であっても、国益の違いを乗り越えるのは容易でないことを思い知らされたのではないか。

 「自然界に畏(おそ)れを抱く点にかけて、日本人とインド人には共通の何かがあると思わないではいられません」

 安倍首相はインド国会での演説でこう述べ、自らが提唱する「美しい星50」への賛同を求めた。地球の温暖化を防ぐため、温室効果ガスの排出を2050年までに今の半分に減らす構想である。

 温暖化防止が世界共通の課題であることには、インドも異論はない。シン首相は京都議定書後の枠組み作りへの参加を「真剣に考慮する」と応じた。

 ただし、インドにとっては経済をさらに成長させて貧困層を減らすことが、温暖化防止と並ぶ重要課題である、と付け加えることも忘れなかった。

 いま温室効果ガスの削減義務のないインドのような途上国に、今後どのような義務を負ってもらうのか。具体策に踏み込もうとすれば、難しい交渉になることを予感させる会談でもあった。

 国益の違いをさらに強く印象づけたのは、米印の核協定問題である。

 インドは核不拡散条約に未加盟のまま核実験を強行した。ところが、米国は査察を条件に民生用の原子力技術や核燃料を提供する協定に合意した。フランスやロシアも追随し、インドを核不拡散の例外扱いにする動きが広がっている。

 首脳会談でインド側は米印協定への支持を求めた。これに対し、安倍首相は「唯一の被爆国として核不拡散体制への影響を注意深く検討する」と述べるにとどまり、態度を保留した。

 理解しがたい対応である。被爆国の首相がこんなあいまいな態度を取っていいはずがない。大切な友人であっても、言うべきことは言う。核不拡散問題では譲歩できない、と明確に伝える。それが日本の役割ではないか。

 そもそも安倍首相の価値観外交は、中国包囲という色彩を帯びている。

 03年度以降、インドは中国に代わって円借款の最大の受け取り国になった。価値観外交の展開に伴って、援助額はさらに膨らんだ。

 しかし、日本にとって中国が持つ重みは、インドとは比べものにならない。在留邦人でみれば、中国が10万人を上回るのに対し、インドは2000人ほどだ。相互依存の度合いが全く異なるのだ。

 中国を牽制するテコにインドを使うような外交は見透かされる。インドにしても中国との交流を深めており、利用されることに甘んじるような国ではない。

 価値観を声高に唱えるような一本調子の外交は考え直した方がいい。


2007-08-21 火 「社説--比べて読めば面白い」 安倍外交(産経)

2007-08-21 23:34:59 | 「保存している記事」から

産経新聞 【主張】 2007年08月21日(火曜日)付

首相アジア歴訪 戦略外交の確実な継続を

 安倍晋三首相の計1週間におよぶインドネシア、インド、マレーシア3カ国歴訪の旅が始まった。

 インドネシアでは、ユドヨノ大統領と日本・インドネシア経済連携協定(EPA)に署名したほか、政策スピーチを行い、「ケア・アンド・シェア(思いやりと分かち合い)の精神」を基礎とする新しい対ASEAN(東南アジア諸国連合)方針を打ち出した。

 インドでは昨年12月のシン首相の来日時に合意した「戦略的グローバル・パートナーシップ」の実質化を図る一方、地球環境とエネルギーに関する共同声明を発表する。マレーシアとは良好な関係の一層の発展を目指す。

 今回の歴訪は、昨秋の安倍内閣発足以来の戦略的外交の一環といえる。台頭著しい中国と変化が進む世界情勢をにらんだ安倍戦略外交は、これまでのところ着実な成果をあげてきた。

 今後の政局がどうなろうと、日本国政府として、この戦略的外交を確実に継続することが重要である。

 安倍首相は就任直後、まず中国、韓国を訪問、小泉純一郎前首相時代に冷え込んだ日中関係を改善した。一方で、日米同盟を軸にしつつ、安全保障協力を日米から豪・インドにまで広げてきた。今年1月には、欧米の安全保障体制である北大西洋条約機構(NATO)本部を日本の首相として初訪問し、連携強化を呼びかけた。

 麻生太郎外相とともに進めてきた「主張する外交」「価値の外交」(自由、民主など基本的価値観を共有する国々との連携強化)も国際社会での発言力強化につながりつつある。

 今回、安倍首相がインドネシアで行った対ASEAN政策スピーチは、ASEAN発足40周年と日本のアジア外交の基礎となった福田赳夫元首相による「福田ドクトリン」(1977年)から30年という節目に行われた。

 その中で示された「思いやりと分かち合い(共有)の精神」は、福田ドクトリンの「心と心の触れ合い」を継承しつつ、価値観だけでなく、問題解決の努力や成果も共有していこうという姿勢を示したものだろう。

 とはいえ、この精神が「安倍ドクトリン」として評価されるには、今後の地道な具体化の努力が必要だ。言葉だけに終わらせてはならない。

(2007/08/21 05:02)


2007-08-12 日 今日の東京新聞 社説 と コラム

2007-08-12 00:07:16 | 「保存している記事」から

東京新聞 社説 2007年08月12日(日曜日)付

週のはじめに考える 権力の重さと怖さ

 参院選で権力者としての重い責任を問われた安倍晋三首相は、権力の怖さを発揮することでそれに応えました。その最終判定は最高権力者である国民の責任です。

 安倍首相は参院選の最中も「美しい国」について抽象的な説明に終始しました。改憲を企図し果たせなかった祖父・岸信介元首相と自分を重ね合わせた発言はあっても、体系的な政治思想や理念が語られることはありませんでした。

 それは、「美しい国」の形をどうするかについて、自分に白紙委任を求めたようなものです。

 しかし、一九三三年、「全権委任法」をヒトラーに与えたドイツのような過ちを、日本の有権者は犯しませんでした。


 意欲だけが先走る政権

 この法律によりナチスは、当時、最も民主的といわれたワイマール憲法を棚上げし、ファシズムの道を突っ走ったのでした。

 作家の堺屋太一さんは安倍内閣を「知識と能力に欠ける」と断じ、「政治家の知識と能力が欠け、意欲だけが先走るのは一番困った現象」(「文芸春秋」八月号)と嘆きました。選挙結果は同じ思いの人々の多さを示しているようにみえます。

 国会運営や、閣僚の失言、「政治とカネ」、年金など噴出した問題への対応で、国民は予測される「美しい国」の姿に気づいてしまいました。

 他の政治家や末端の公務員を悪者にして自分は逃れようとする無責任さ、民意を汲(く)み取れず対応が後手後手に回る無能ぶり、「私の内閣」や「首相指示」を乱発する権力意識の強さ…権力者の責任の重さ、それ故に求められる謙虚さを首相が自覚しているとは思えません。

 目立つのは祖父に学んだかのような強引さです。選挙前の国会で相次いだ採決強行は、岸政権末期の一九六〇年、警官隊を導入して新しい日米安保条約の批准承認採決を強行した混乱に似ていました。


 想起させる「声なき声」

 選挙に惨敗しても「基本線は国民に理解されている」と強弁して政権に居座る姿も、数十万人のデモ隊に国会を包囲されながら「声なき声は自分を支持している」と言い放った岸元首相を想起させます。

 大衆はナショナリズムの鼓吹で一時的な熱狂を見せても、本質を見破る目は持っています。

 拉致問題に関する安倍首相の「毅然(きぜん)たる姿勢」で北朝鮮に対する優越感にしばし浸った人たちも、「戦後レジーム(体制)からの脱却」に危うさを感じるまでにそう時間はかからなかったのではないでしょうか。

 日本は歴史上、少なくとも二度の大きな脱却を経験してきました。

 明治維新は封建体制の国家から資本主義の近代国家に転換する脱却でした。それから八十年近く後、近隣諸国民と同胞に大きな犠牲を強いたすえに戦争に敗れた結果として、軍国主義を脱し民主国家として新生することができました。

 いずれも、負の遺産を清算し過去を克服するために、それまでの体制と断絶したのです。未来を切り開くための、前を向いた変革でした。そうしてできたのが「戦後レジーム」であり、日本国憲法です。

 日本の政治家なら、まずこの歴史認識からスタートしなければなりません。ところが、安倍首相が三度目の脱却として目指す「美しい国」には戦前回帰のニオイがします。

 かつてと同じ愛国心押しつけになりかねない新教育基本法、「昔はよかった」式の議論で教育勅語の世界に戻そうとしているのではとさえ思わせる教育再生会議、新憲法制定…国民が求めているものとの間には大きな隔たりがあります。

 十九世紀の資本主義をほうふつさせる格差拡大容認の政策は、富の分配に配慮しながら全体を底上げしてきた戦後日本の思想とは異質です。挑戦する機会さえ与えられず格差の淵(ふち)に沈んだ若者の目には、再チャレンジ政策が言葉遊びと映ります。

 おまけに支持率が極端に下がってからの首相のあたふたぶりは、統治能力の欠如を露呈しました。

 表面的には「政治とカネ」、年金問題ですが、根本的には歴史と現実に対する安倍首相の認識と統治能力が問われたといえましょう。

 それでも政権を手放さないのは権力の怖さを物語ります。同時に、有権者が情緒や感性で政治的選択をすることの危険性も示しています。

 近代日本を築いた指導者たちは、青い空に輝く雲を目指して坂を上りました。彼らには歴史の進歩への信頼と重い責任の自覚がありました。

 いまは青空も光り輝く雲も容易には見えない時代ですが、坂道は逆戻りするのではなく、進歩を信じて上り続けたいものです。


 不安や怒りを持続し

 そのためには未来を政治家に一任するわけにはゆきません。

 それだけに今度の参院選を一時の“祭り”や“禊(みそ)ぎ”に終わらせてはなりません。不安や怒りを持続しながら政治家と政治を厳しく監視し、コントロールしてゆくのは最終権力者である有権者の責任です。

 

東京新聞 【コラム】筆洗  2007年8月12日

 異例のことなのか、よくあることなのかは分からない。ある閣僚が外国政府の要人と会談した際、役所が用意した発言要旨の書類を読み上げなかった。会談の成果がない。役人の目にはこう映った▼用意した発言があったことにすれば問題ない。こう思いつくと、相手国に了解を求めた。かくして会談では予定通りの合意があったと発表されたという。小泉政権の時代に聞いたある役人の告白である▼外交の場で、会談は基本的に非公開で行われる。トップ自身か同席者が後で内容を説明する。話さなかったことが話したことになるだけでなく、逆もあるのだろうと勘ぐってしまう。今公表すると混乱を招くだけ、等々と。密約の存在も外交ではよく話題になる▼そんな不透明さを民主党の小沢一郎代表は嫌ったのだろう。インド洋で米英軍艦艇などに給油支援を行うためのテロ特措法の延長をめぐり米国のシーファー駐日大使と会談したが、約四十五分間のやりとりをすべて公開した▼「憲法九条の解釈をしながら、我々の安全保障の結論を申し上げます」。小沢氏は大上段に構えた感がある。「日本の平和と安全に直接的に関係がない地域に部隊を派遣し、米国や他の国と共同の作戦をすることはできない」と結論づけた。政府は憲法に反した派遣を続けてきたと批判しているようにも聞こえる▼民主党が参院で第一党となり、安倍政権の方針だけが日本の進んでいく道ではなくなった。もう一つの道も選択肢として国民に用意される。どちらを選ぶのか。難しいが、悩みがいはある。


【私説・論説室から】 2007年8月12日

『世襲』の弊害が噴出した

 世襲議員の弊害が一挙に露呈した-参院選での自民大敗や後始末を見てそう思う。

 自民党で国会議員の二、三世が三割前後を占め、政権中枢を担ってかなりたつが、その弊害が安倍政権混迷の根底にありそうだ。悪役を演じた「ばんそうこう大臣」の赤城徳彦前農相は偉大な祖父の地盤を受け継ぐ。これをかばって危機管理や人事のまずさを見せた安倍晋三首相は三世、取り巻きにも世襲が多い。

 大敗の象徴は農村や地方都市である。長い間自民党の基盤だったが、いまや「小泉改革」が決定的にした地方格差に苦しんでいる。しかし地方選出の世襲議員の多くは、親の仕事場である東京生まれの東京育ちだ。地方の生活感が薄い中で、住民の悲鳴は耳に届かなかった。

 世襲議員は、本人の資質にかかわらず、議席確保のため担ぎ出される。地盤、看板、カバンが保証されているからだ。カネの問題で細かいことまで説明する必要はない。多少の非難があっても、選挙で落ちることはない。そして数合わせで出てきた議員にとっては数の論理が最優先。かくして選挙直前の国会では強行採決が乱発された。

 民意や議会制民主主義の軽視、こうした世襲議員が陥りがちな弊害が有権者の拒否反応を招いた。こんな調子で憲法を変えられたらたまらないという民意も含めて。それでも続投という安倍政権に、これも世襲議員にありがちな独りよがりとみて、内閣支持率は下がり続けている。

 もっとも大勝した民主党の小沢一郎代表も二世だ。野党での苦労が民意への敏感さを養ったか。与野党逆転の参院を中心とした国会運営が次の試金石になる。(小林一博)


2007-08-10 金 「社説--比べて読めば面白い」 ヒロシマ原爆の日(産経-2)

2007-08-10 07:56:09 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 中国 西日本 琉球新報 産経-2 西日本-2
2007年08月10日(金曜日)付 産経新聞主張

長崎平和宣言 「北の核」への警告を評価

 広島に続いて長崎でも62回目の原爆の日を迎えた。ことし4月に凶弾に倒れた伊藤一長前市長に代わって選ばれた田上富久市長が平和宣言を読み上げた。

 田上市長は冒頭で、生前の伊藤前市長が原爆の炎で黒焦げになった少年の写真を掲げ、国際司法裁判所に核兵器使用の違法性を訴えたことに触れて、「前市長の核兵器廃絶の願いを受け継いでいく」と述べた。

 さらに、新たに核兵器を保有したインド、パキスタン、北朝鮮などの国名を挙げ、「新たな核保有国の出現は、核兵器の危険性を一層高め、核関連技術が流出の危険にさらされている」としたうえで、「北朝鮮の核廃棄に向けて、6カ国協議の場でねばり強い努力を続けてください」と訴えた。

 伊藤前市長も昨年の長崎平和宣言で北朝鮮の核の脅威に触れていた。田上市長はこの点でも、前市長の意向を受け継いでいるようだ。

 先に秋葉忠利広島市長が読み上げた平和宣言は、「米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』と言うべきだ」と米国を強く非難しながら、北の核には全く触れていなかった。

 イデオロギー色の強い広島平和宣言に比べると、長崎平和宣言は現実を踏まえており、バランスのとれた内容といえる。

 田上市長の長崎平和宣言は被爆国のわが国における「原爆投下への誤った認識」も指摘した。長崎県選出の久間章生前防衛相が6月末の講演で、米国の原爆投下について「しょうがない」と述べたことを指すとみられる。被爆者の立場に立った発言を日本の政治家に求めたものと受け止めスい。

 長崎ではかつて、本島等元市長が「原爆投下は米国やアジア諸国から見れば天罰」といった発言を繰り返した。「誤った認識」として、こちらも忘れてはいけない。

 北の核問題をめぐっては、6カ国協議に加え、今月末に平壌で7年ぶりに行われる南北首脳会談で話し合われることになる。北の核放棄に向け、韓国の盧武鉉大統領がどこまで北朝鮮の金正日総書記を説得できるかが最大の焦点である。

 田上長崎市長らから、北に核放棄を求めるさらに強力なメッセージが発せられることを期待する。

(2007/08/10 05:02)