毎日新聞 2007年09月01日(土曜日)付
授業増加 「ゆとりからの逃走」が始まった
小中学校の主要教科の授業時間が1割増える。小学校では高学年で「総合的な学習の時間」を削って英語の授業を始める。文部科学省の学習指導要領改定・告示を経て実施は早くて11年度だが、実態として早々と「ゆとり教育」に見切りをつける終業のベルが鳴らされたといっていい。
今の学習指導要領は98年に改められ、02年度から実施された。学校週5日制の中で、授業内容のスリム化、総合的な学習の時間の創設などを柱としたが、学力低下の批判を受け、安倍晋三首相は教育再生会議などを通じて全面見直しを表明していた。
ゆとりは失敗か。確かに当て外れや甘さはあった。一つは、目玉の総合学習が多くの学校や教員に大きな負担と感じられたことだ。
総合学習は検定教科書や点数評価がなく、学校や教員が独自の授業を工夫、考える力や学習意欲を高めることを目的にする。導入前「何をしていいか分かりにくい。例示を」という要望が強く、当時の文部省が「国際理解」「環境」など大まかなテーマを挙げた。その結果、国際理解を名目に英語学習をする学校が相次いだ。
当て外れの二つ目は、地域・家庭との連携だ。5日制で増える休日を活用し、地域や家庭の協力で体験学習機会の拡充が期待された。しかし、理念にまだ遠く、多くの子が受験塾、学校の土曜補習などに通う現実がある。
三つ目は、新しい学力観を反映するはずだった入試の改革がなかなか進まないことだ。単にふるい分けが主眼の難問奇問や、少子化時代に受験生取り込みを図る手抜き入試が横行する。
ただ、教育政策の成否を見るには年数と注意深い解析が必要だ。国際比較調査や現場の声などに基づく学力低下論も、本当に「ゆとり」の弊害なのか、短絡はないか、なお検証を要する。
またいうまでもなく、ゆとり教育は「楽をする」ことが目的ではない。文科省もゆとりの理念は今後も堅持するとは言う。だが本来の理念通りに実践するなら当事者は相当な努力を要し、その実りとして前記のように入試などに波及的変化をもたらすことも可能だ。そうしたことは避け、共通カリキュラムの教科学習を再び拡充し総合学習や選択教科を削るというのは「ゆとりという理念のしんどさから逃げる」ことではないか。
ゆとり教育導入の最大のつまずきは、学校現場や国民に共通理解を広げる説明が十分なされなかったことだ。今回の改定でも同じ状況がある。例えば、小学校の英語導入はどうか。大半の学校が総合学習に英語を入れている現状を追認し、「差がついてはいけない」と一律実施するという。話が逆立ちしている。まず十分な説明をして必要の是非を広く論議し、決定に反映させるべきではないか。
ことは教育だ。何をしようとしているのか。どう子供を育て、どういう人材像や価値観で将来を描くのか。もっと説き、論を交わし、共通認識を深める言葉が豊かに発せられなければならない。
毎日新聞 2007年9月1日 0時14分









