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文化的遺伝論

2016-04-26 12:26:52 | 日記
ドーキンスが「利己的な遺伝子」で紹介したmemeという概念が、生物学を越えて広がっている。
もはや「遺伝子」とは、生物学的な構造物ではなく、「伝わるもの」「伝えるもの」という概念だ。

かつて、アメリカ大陸が発見されるまで、人類の文化の潮流~遺伝~は、ユーラシア大陸において行われていた。
日本は東西の文化の終着地~崖~だった。
東の文化の中心地であった中国から発信されるものは、日本で吹き溜まりとなった。
西の文化が中国に流れ着き、その果てにあるのが日本だった。
そして、日本の文化を伝える先は無かった。

地政学的に同様と思われがちな朝鮮半島とは異なり、日本はその文化遺伝子を全て許容し受容した。
いや、この表現は誤解を招くだろう。

朝鮮半島でも、文化は刹那的に享楽的に、そして即物的かつ利益特化的に発展した。
それは「文化の最終地としての結実」とはほど遠い姿ではあったが、間違いなく「朝鮮塵的文化」を膿みだした。
日本文化を娯楽として見るならば、朝鮮文化は享楽的とみることができる。

そして、「発信することのなかった地」の文化は21世紀において、その文化遺伝子を放出する。
・現世的な利益を第一優先とする朝鮮塵文化は、間違いなく世界に影響を与えている。
それは、何も生み出さず、ただ模倣し、略取し、ただ消費するという文化だ。
・需要のないところに需要を生み出す日本的な文化もまた、世界に影響を与えている。
生命を持たない人工的な製造物に表情や感情を与えるという思想や、素敵な不要物を生み出すと言う文化だ。

情報の発現形を形質とするのが遺伝学ならば、情報の発現形を文化という形で表現するのもまた、遺伝学だろう。

蛇の足,ミミズの眼などを遺伝の痕跡とするならば、地動説,エーテル説,フロギストン説もまた、遺伝の痕跡だ。

不要な文化は痕跡となり、不要な遺伝形質はruinとなるのだ。

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