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完全フィクション

実在する人物・団体とは一切かかわりがありません。

産業医,健診医は差が大きい

2025-03-15 13:39:24 | 日記
産業医とか健診医って、医者のなかでもちょっと下に見られがち…。なにかを治療しているわけじゃないし、責任が軽そうで、やってる医者も責任感が薄そうな印象がある。
そして、真面目なひとは本当に真面目で、ちゃらんぽらんなひとは本当にダメ。

乳幼児の健診は、まぁ大概は真面目…見逃すと重篤な疾患が隠れているからね。
小学校から中学校~そして高校生となるにつれて、「既に重篤な先天性疾患は判明して治療が開始されている」「もしも疾患があれば親が気付く」「患児本人が自分で不調を訴えることができる」になっていくので、責任が軽くなっていく。
高校生の健診は内科医の分野になり、内科医は日々の診療のなかで重篤な疾患を診療しているので健康な高校生の健診にはさほど関心がなかったりとかさ。
そして、成人が相手の企業健診も、「異常があれば人間ドックで見つかってるでしょ」「ちゃんと人間ドックを受けてくださいね」な雰囲気になっている。

さて、SNSで「産業医は労働者にとって役立たず」「産業医は企業側」「産業医は何もしてくれない」みたいなものをみた。
これはなかなかに難しい。自分は産業医ではないけれど、学校職員健診を学校医としてやる。その際に「健康上の理由で就労できなくなると本当に大変で、学校側も教員も大事になるので、重症でも就労不可だけはつけないでくださいね」みたいなことをあらかじめ言われて強く念押しされる。「健康上の問題があれば、学校側で受診させますので」みたいなことも言われる。
これを「学校側=企業側」「教員=社員」に置き換えたような会話が、日本中で行われているのだろう。
産業医は意見書を書くことができるのだが、意見書なんて実物を見たこともないし、何処にあるのかも知らないし、書き方も忘れたという産業医が普通だ。一般人からしたら驚くかもしれないが、健診業務というのは意外と医者にとって身近でなく縁遠いものだったりする。乳児健診の母子手帳への記入は慣れていても、園医や学校医としての健康診断表の書き方に慣れていない小児科医だって珍しくない。

医学部の授業で産業医の職務について学ぶのだが、まともに受け止めると仕事量が膨大なことになっている。しかし、額面通りに働いてる産業医はごく僅かだろうし、実際に職場環境の管理なんて医者がふらっと見に来てチェックするなんていうのは誰も喜ばない。

さて、勤務医も労働者なのでストレスチェックを受けたりすると「医師との面談が必要です」みたいな結果を受け取ることがある。だが、実際に面談するかと言えば、ほったらかしでしない。一度、そういう結果を受け取ると次回からは問題のない結果になるように答を調節してしまう。下手に休養や休職を勧められるくらいなら、働いている方がラクなのだ…。

健診や産業医の業務要件を厳しくしたら、誰もやりたがらない。資格と名前だけでできるようにしたら形骸化してしまう。難しいところだろう。

読売新聞ー連載小説

2025-03-15 01:09:09 | 日記
読売新聞(朝刊)の連載小説がやっと終わった。
駄作だ。

小説,紀行文,新聞記事にしても、blog記事にしても、文章というのは読み手に何かを伝えるためのものだろう。手紙であれば、特定の相手に伝えたいことがあるから書くのだ。
研修生は、何を伝えようとして書かれたのか。書き始めたらなんとかなると思って書き始めた挙句に、なんともならなくなったのではないか。

なにも完結せず、なんの結論もなく、ただ日常を無為に過ごしているかのような内容でしかない。いっそ、川を歩こうとして溺死してしまえば太宰モドキくらいには仕上がっただろう。
情愛も情欲も希薄で、うすぼんやりと日々を過ごし、異文化に触れることで成長した気になる空っぽで幼稚な女の独白などなんの意味があるのか。書く価値があるのか、読ませる意味があるのか。同人小説の類ではないか。

作者や小説だけではない。
読売新聞の小説担当者も同様だ。
新聞小説というのは、新聞購読料に含まれているものだ。書店に行って、自分の手に取り、自分で選んで購入するものではない。新聞を購読するならば、ついてくるものだ。そこには、新聞購読者に読ませる価値があると思われるものでなければならない。
あまりにも駄作だ。
このような無為なものが続くのであれば、読売新聞の購読をやめよう。

併呑と支配のイスラム

2025-03-15 00:34:33 | 日記
【ムスリムは変容しない】
全てのムスリムは、彼らの基準での幸福を異国で実現しようとする狂信者だ。
彼らは、自らの変化も変容も受容もせずに、ただ異国を異文化を異民族を併呑し支配し変容を迫る。
日本に移住してきた彼らが、「この地で我々の幸福を実現する」と宣言したときに日本人を守るはずの日本政府は何をしてくれるのだろうか。

イスラム教に限らず、異文化,異民族は世界のあらゆる場所にある。文化の軋轢は人類の歴史だ。日本でいえば、飛鳥白鳳時代に大陸文化が、安土桃山時代に西欧文化が伝来した際にも様々な軋轢が生じた。しかし、日本に中国文化は根付き、西欧文化は受け容れられている。なぜ、ムスリムは受け容れられないのか。
ムスリムが受け容れられないのは、日本だけではない。欧州でも米国でも中国でも、ムスリムは受け容れられていないームスリムが侵入し侵略している現実があるだけだ。
「イスラム社会に抵抗を感じる」というのを、日本だけのように扱うのは間違っている。世界のあらゆる場所で、イスラム社会の侵入が争いを生んでいる。
イスラム移民は、支配するための侵入者なのだ。

ムスリムはムスリム同士のつながり,絆,信頼を重視し、異文化に属する人間を侮蔑し排除しようとする。ムスリムはイスラム教徒というだけでなく、文化,思想を含み、またその思想に基づく統治,政治,外交を行う集団なのだ。そして、彼らは彼らの正義をあまねく地の支配に利用する。彼らはアッラーの名を利用して侵略を行っているのだ。
ムスリムの行う併呑と支配から逃れるには、彼我の間に排除と分断という大きな溝を作り上げるしかない。かれらを隔離しなければ、我々が彼らに支配されるだろう。