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「高桑氏族」 覚書(115)

2013-09-19 11:11:02 | 歴史

高桑の社(やしろ)(5)

日枝神社

祭神・大山祗神(おおやまつみのかみ)(山を司る神)
本殿・縦2尺5寸(約75cm)
 横2尺3寸
境内・153坪 信徒・956人

日枝(ひえ)神社は、全国各地に鎮座するが、「山王信仰」に基づき、比叡山麓の「日吉(ひえ)大社」(滋賀県大津市)より、勧請を受けた神社である。

「山王信仰」とは、「日吉大社」より生じた神道の信仰である。高桑日枝神社も、元は「山王社」や「山王権現」と称したが、明治6年から、現社名となった。

「日枝山(ひえのやま)は、後に「比叡山」となり、天台宗の総本山・「延暦寺」の山号になっている。それ故であろう、天台宗の隆盛であった頃、高桑の氏神として勧請したと伝える。

神明神社
由緒・勧請年月不詳 祭神・天照大神
本殿・縦1間1尺(約2m)
 横1間5尺(約3m)
境内・140坪 信徒・956人

琴比羅神社
由緒・勧請年月不詳
祭神・大巳貴神(おおあなむちのかみ) 合祀・崇徳天皇
本殿・縦3尺(約90cm)
 横2尺5寸(約75cm)
境内・81坪 信徒・956人

祭神の「大巳貴神」は、出雲神話の主神であり、「因幡の白兎」の話で、子供でも知っている「大国主神」である。「農耕神」とされる。

高桑の「琴比羅宮」(ことひらぐう)は、讃岐(香川県)の、「こんぴらさん」・「金刀比羅宮」(ことひらぐう)に通じるが、問題は、「崇徳天皇」が、合祀されている謎である。由緒では、この点を語っていないので、推測するしかない。

第75代・崇徳天皇は、百人一首を楽しんだ人には、“瀬を早み 岩にせかるる・・・・・”(崇徳院)で、馴染み深いが、一般には、「悲運の天皇」・「怨霊(おんりょう)伝説の天皇」としての、天皇像を想い浮かべる。日本三大怨霊として、他に「菅原道真・平将門」が挙げられるのは、衆知である。

当時皇室内の対立で、保元元年(1156年)、「保元(ほうげん)の乱」となった。崇徳上皇は敗れ、罪人として、讃岐配流となり、以来無念にも2度と都を見ることなく、46歳で薨去した。

その後都では、社会不安が増大し、要人の死去が相次いだ。貴人達は、これぞ崇徳上皇の怨霊のなせる業(わざ)と恐れ戦(おのの)いた。その怨霊を鎮めるべく、上皇の霊を祀った。その霊は、讃岐に留まっているであろうとして、讃岐の金刀比羅宮、延いては高桑の「琴比羅宮」に合祀されたのであろう。

写真は、「高桑・神明神社」

Sinmei


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