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「高桑氏族」 覚書(95)

2013-08-11 11:28:55 | 歴史

              覚書(94)の続き
Comment(4)

              卑見(4)

高桑次郎の謀反事件以後、美濃源氏に組込まれた可能性が高く、この様な、髙い可能性を示唆する何らかの根拠を、お持ちなのでしょうか。高倉系の、臣籍降下の形跡が無い皇子の誰かが、平安末期以来、存続して来た臣籍の「美濃源氏」に組込まれるというのは、有り得ないのではないでしょうか。

「美濃源氏」に、土岐氏・開田氏・鏡氏・高桑氏等々が、古くから存在しますが、その「高桑氏」とは別に、新たに「高倉系高桑氏」が、「美濃源氏」に組込まれたという事でしょうか。

「美濃源氏」の長い歴史を見ても、その様な「高桑氏2氏併存」の史実は無いように思います。それとも、古くからの高桑氏に取って代わって、「高倉系高桑氏」が、美濃源氏入りしたという事なのでしょうか。

又それがどうして、高桑次郎事件以後なのか、その理由が解しかね、困惑しています。高桑次郎事件は、「承久の乱」後、暫く経ても、鎌倉幕府側による、朝廷側参戦者に対する厳しい追及が続いている事を示しています。

後鳥羽上皇側として参戦した高桑氏を初めとする美濃源氏諸氏は、存続の岐路に立たされていました。その様な時期に、極力避けなければならない追及対象の「美濃源氏」に、どうしてわざわざ組込まれなければならなかったのでしょうか。その点が理解出来ませんでしたので、その件は、無かったのではないかと思うようになりました。


編集者の高桑の意見回答をと言うご要望でしたので、素人の小生にその資格はな無いのですが、以上敢えて愚見を重ねてきました。

歴史家・専門家は、諸記録・諸意見に対しては、その儘採用するのではなく、慎重な検証が必要であるとの戒めを厳守していますが、歴史家でない小生もそれを真似てきました。

その結果、貴見とは異なる卑見も多くなりましたが、率直を宗としましたので、失禮に当たる部分に付いては、何卒ご寛恕下さい。