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「高桑氏族」 覚書(94)

2013-08-09 11:03:07 | 歴史

              覚書(93)の続き
Comment(3)

              卑見(3)

(高桑次郎の謀反事件以前の高桑氏は、)高倉系高桑氏と言った方が、適切かもしれません。「高倉系高桑宮」ではなく、「高倉系高桑氏」ならば、高倉天皇(第80代、平安末期)の系列から、一人の皇子が、臣籍降下して、「高桑氏」を名乗って武士となり、高桑氏の始祖となった事になります。しかしその様な史実は、寡聞にして存じません。

宮家は、簡単に宮家を離脱出来ないのは、昔も今も変わらないのは、当然と思います。朝廷での「臣籍降下」という厳格な手続きが必要です。

現今でも、皇族から一般民間人になるには、宮内庁での厳格な手順を経ての上です。今上天皇・皇后の第一皇女・清子内親王が、平成17年、皇籍を離脱・降嫁し、黒田清子さんになった事は、人々の記憶に新しいと思います。余談ですが、勲一等の清子(さやこ)さんが、近所のスーパで、モヤシを買物籠に入れている主婦姿を、近所の主婦が見掛けるそうです。

「源氏」では、「清和源氏」(清和天皇・第56代・平安前期、諸氏に新田氏・武田氏・土岐氏・高桑氏等々)が、最も有名ですが、次に有名なのは、「村上源氏」(村上天皇・第62代・平安中期、諸氏に島津氏・織田氏・朝倉氏等々)でありましょう。

しかし「源氏」は、上記2大源氏ばかりではなく、「源氏21流」と称される計21の流れがあります。「嵯峨源氏」(嵯峨天皇・第52代・平安初期)や「宇多源氏」(宇多天皇・第59代・平安初期)等々ですが、21流の中に高倉天皇の流れはありませんし、源氏以外にも「高倉系」からの臣籍降下者はいないのではないでしょうか。つまり「高倉系高桑氏」は考えられないのではないでしょうか。

姓氏研究で最も有名なのは、南北朝時代に編纂された「尊卑分脈」14巻でしょう。図書館で、各巻分厚い5巻本として、閲覧出来ますが、源氏・平氏・橘氏・藤原氏等、主要氏族系図の大集成です。

これは歴史の専門家から、最も信頼され、引用されていますが、それでも系図の性質上、各氏族に都合良く、書き換えられている危険がありますので、全面的に信頼する事の無いようにと、歴史家は自らを戒めています。これは系図に限らず、諸記録に対して、記録に有るからと、その儘信用せず、専門家は常に厳しい目を向けているようです。

上が第1の姓氏研究であるならば、第2のそれは、日本史学者・太田亮(あきら)氏が、実に40年間の半生を掛け、心血を注いで、昭和11年に完成させ、名著と讃えられている「姓氏家系大辞典」でありましょう。

その中の「高桑氏」の項目を要約すれば、「高桑、源姓、美濃国厚見郡高桑邑より起こる。」とあります。小生の様な歴史の素人は、謙虚に太田氏の様な専門家の碩学に依拠する外ありませんので、これを当「覚書」の基礎として書き進めて来ました。つまり「清和源氏系美濃源氏」としてです。

そうではなく、「高倉系高桑氏と言った方が適切」とのご高見ですが、若し「高倉系高桑氏」という姓氏が、上記とは別に存在していたならば、40年間の研究成果である太田氏の上記姓氏大辞典に採録されない筈はないと思料するのですが、・・・。

現在、姓氏研究の第一人者である駒沢大学教授・渡辺三男博士の著書・「日本の苗字」でも、「高桑氏」の項を見ると、「高桑、美濃国厚見郡高桑に起こるものは源氏」とあり、この姓氏専門家も「高倉系高桑氏」の苗字を認めていないようです。

            覚書(95)へ続く