風に吹かれて、気の向くまま

人生折り返し地点を過ぎた下町男の思いつき。

04 永代橋佃しま

2007年01月10日 | 今昔 江戸名所百景 
04 永代橋佃しま


この絵は永代橋の下から佃島の方向を望み
夜の白魚漁の有様を描いたもの。

佃島周辺で獲れる白魚は最も美味とされ
幕府にも納入する事になっていた。

永代橋は隅田川の最下流で、日本橋の箱崎と深川佐賀町を結んでいた。
(現在では新川1丁目と永代1丁目を繋ぐ)
完成は元禄11年(1698年)
その4年後には、赤穂浪士が永代橋を渡り高輪の泉岳寺に引き揚げて行った。


永代橋下から佃島を望む ↑上に見える黒い物体が永代橋


今でも行われる江戸三大祭の一つ、深川八幡祭り(富丘八幡宮の祭)で
多くのギャラリーが集まる場所でもある。

江戸時代、観客と担ぎ手の重さで橋が落ち、一時期祭りが中止になったらしい。
それから橋を渡る時神輿をさすのだとか…。(氏子さんから聞いた話)

佃島は、幕府から呼び寄せられた摂津(大阪)西成郡佃村の漁民が
干潟を賜り、干潟を埋立てて住み着いた所。
出身地の村の名前を取って付けられた。
佃煮発祥の地でもある。


隅田川に掛かる橋は、夜綺麗にライトアップされています。





因みに…隅田川は昔、流れている流域の違いで5つの名前があった。
千住の宿より上流を『荒川』 
隅田村の辺りから『隅田川』
浅草辺りで『浅草川』
駒形辺りで『宮戸川』
両国橋より下流を『大川』と読んでいた。
関東大震災以後に隅田川が全体の名前になった。


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4 コメント

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佃島 (江戸っ子NOBU)
2007-01-11 06:05:08
おめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。読んでいて突然おもいだしたこと・・・
小さい頃によく言われたことに『悪いことすると佃に置いてくるよ!』あっしが中学頃まで佃は島で渡し舟がないと帰ってこれなかったのです。よく木場に佃島から天秤棒を担いで佃煮や金魚うりが長屋にきたのを覚えていますがなぜか白装束で悪いことをした人がずっと働いているのかと子供心に思っていました。
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今では (下町男)
2007-01-11 14:36:12
>江戸っ子NOBU様
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

なるほど…φ(◎。◎‐)
昔は島だった訳ですから、船で渡るのは当たり前だった訳ですね。
島に住んでいたのは漁師さん、船は持っているはずだから物売りに出かけるのに苦労はしないですね。

貴重な情報ありがとうございます。
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ココ (四葉)
2007-01-18 14:00:15
永代橋が写ってる画像を取ってる橋。

ソコ好き。散歩コースに入ってます。

ドラマとかで使われてますよねー


昔は、たくさん川の名称があったんですね。


永代橋を、神輿かついで渡りたい。
まだ、ないんですよ。
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あら (下町男)
2007-01-18 15:46:09
>四葉様
同じ川でも、流れる場所によって
名前が変わるなんて面白いですよね。

あら無いんですか?
永代1は、橋を渡る時に女神輿になっていた
気がしましたが…
町会によって違うのかな…。

あの長い橋をさしきりで持っていくのは
かなり辛いです。


手(背)が届かなくて…。
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