05 両ごく回向院元柳橋
絵の隅田川の対岸にある橋は、薬研堀に架かる元柳橋。
橋の北に柳が有ったから、柳橋と言っていたが
神田川の河口に架かった橋を柳橋と言うようになり
この橋を元柳橋という様になった。
現在は元柳橋の姿も川の面影も無い。
回向院裏通りから元柳橋方向を望む
明暦の大火(1657年)の時、隅田川に両国橋は掛かっておらず
浅草見附の橋(現在の浅草橋)が通行止めになり
行き場を無くし川で溺死したり焼死する惨事が起きた為
幕府が架けた橋が両国橋である。
その時に亡くなった無縁仏を供養する為に建てたのが回向院である。
回向院の境内では、無縁仏供養の寄付を募る為に勧進相撲が行われた。
境内に土俵を築き、桟敷を設け櫓を立て、
年に2回春と秋に雨天を除く10日間開かれた。
当時力士は「1年を20日で暮らすいい男」と呼ばれ
歌舞伎役者と共に人気者だった。
当時の最高位は大関で人格・技量共に授けられた称号であった。
絵の隅田川の対岸にある橋は、薬研堀に架かる元柳橋。
橋の北に柳が有ったから、柳橋と言っていたが
神田川の河口に架かった橋を柳橋と言うようになり
この橋を元柳橋という様になった。
現在は元柳橋の姿も川の面影も無い。
回向院裏通りから元柳橋方向を望む
明暦の大火(1657年)の時、隅田川に両国橋は掛かっておらず
浅草見附の橋(現在の浅草橋)が通行止めになり
行き場を無くし川で溺死したり焼死する惨事が起きた為
幕府が架けた橋が両国橋である。
その時に亡くなった無縁仏を供養する為に建てたのが回向院である。
回向院の境内では、無縁仏供養の寄付を募る為に勧進相撲が行われた。
境内に土俵を築き、桟敷を設け櫓を立て、
年に2回春と秋に雨天を除く10日間開かれた。
当時力士は「1年を20日で暮らすいい男」と呼ばれ
歌舞伎役者と共に人気者だった。
当時の最高位は大関で人格・技量共に授けられた称号であった。
こんにちは。
情報ありがとうございます。
そうですね、忘れていました (゜∀゜)ゞ
実物は写真でしか見た事は無いんですが…。
ねずみ小僧も死んだ後、墓の石を削られるなんて
思ってもいなかったでしょうね。
わたしは両国橋周辺をウォーキングしています。
回向院の境内には「ねずみ小僧の墓」もあるんですよ!
ねずみ小僧にあやかり
墓石のかけらを持ってくると願いが叶うことから
“受験生”や“バクチ打ち”にも人気があります。
わたしも
“ジャンボ宝くじ”のたびに削ってお守りにしているのですが・・。
そろそろ当たるのかな(笑)
いまでは、墓の前に置かれた石碑を削って
みなさんがお持ち帰り用のかけらとしています。