大阪府松原市阿保に鎮座する阿保神社
阿保はあおと読む
駐車場なし
阿保神社は阿保地区の南西の位置にあり、菅原道真を祀る。
境内には阿保親王を祀る親王社と厳島姫命を祀る厳島神社がある。
境内には老楠3本あり清浄なる神域です。
「阿保神社」
阿保について
阿保のほぼ全域(1丁目~7丁目)は阿保遺跡と呼ばれ、弥生時代から近世に継続する集落遺構が見つかっています。このうち、阿保5丁目の阿保浄水場周辺や、長尾街道北側の阿保4丁目では、平安時代の掘立柱建物跡が確認されました。また、海泉池に接する阿保5丁目からは、平安時代から鎌倉時代にかけての海泉池を利用した灌漑用の溝や井戸が検出されています。親王の別荘を想定させる遺構は見つかっていませんが、平安時代の開発の様子がうかがえます。
阿保親王が河内国丹比郡に別荘を造営したと伝える背景には、平城天皇の更衣(後宮の宮女)であった母の葛井宿禰藤子との関わりが考えられます。
葛井氏は百済系渡来氏族で、飛鳥時代から奈良・平安時代にわたって、河内国志紀郡長野郷(藤井寺市)を本居としていました。
7世紀半ばに建立された葛井寺は、葛井氏の氏寺でした。永正7年(1510)、三条西実隆が記した寺記『西国三十三所名所図会』には、阿保親王が同寺を再興したと伝えています。親王の母が葛井氏の出身であったことから、親王が当地に住み、伽藍の修復をしたと伝えられたのでしょう。
ただ、阿保の地名については親王とは別だという考え方もあります。奈良時代の『続日本紀』天平19年(747)9月2日条に、東大寺大仏造営のために銭千貫文を寄進した河内国人初位下阿保連人麻呂が見られるからです。この阿保連を当地の人物とみなせば、阿保の地名伝承は再考しなければならないでしょう
「まるで巨大なオクトパスですね」
ひとこと
小さな境内の神社ですが境内の裏には大きな大楠があり、樹齢は1000年以上とか。。。
「郷土探訪」