古社を訪ねて


大阪・奈良の『古き神々との出会い』

64 日吉八王子神社

2007-09-20 | 大和国

奈良県大和高田市土庫に鎮座する 日吉八王子神社

日吉八王子神社
だいたい矢印の辺りに鎮座 西向き

御祭神
国狭土命

古来この地方の水神として、当麻家外数軒の崇敬篤かったと伝える。


神社は二上山と相対して鎮座する。

ひとこと
吉野郡に八王子神を祀る神社が多い気がする。
神仏習合思想が浸透した庶民信仰の対象であった感が強い。

「郷土探訪」





62 御井神社

2007-09-18 | 大和国

奈良県宇陀市榛原区檜牧に鎮座する 御井神社
式内社

御井神社
神社は三井山の麓に鎮座する。

御祭神
御井神
天照皇大神
天児屋根命
水分神

祭神について
「延喜式神名帳頭註」に御井神はスサノオの子で母は稲葉八上姫であるとし「古事記」では御井神は木俣神の別名であるとしている。
江戸期には食井明神、または気比明神・四社大明神と称されていた。
観音寺といった神宮寺があったそうだが、神仏分離で廃寺となった。



御井神社境内のツルマンリョウ自生地

昭和28年3月23日指定
ツルマンリョウは台湾、中国のほか我が国では、鹿児島県屋久島、山口県・出雲神社境内と本県に自生分布する希産種である。本県では吉野町・妹山樹叢・山口高鉾神社境内、東吉野村・八幡神社境内・丹生川上神社中社、榛原町・初生寺境内・御井神社境内にその分布を見ることができ、ツルマンリョウの自生においては奈良県は多産種といえる。そのうち御井神社の自生地は現在ツルマンリョウの北限地である。
ツルマンリョウは、ヤブコウジ科の常緑の匍匐性低木で雌雄異株である。開花期は7月中旬で果実は球形で翌年9月頃に紅熟する。匐枝は地下を浅くはって分岐し、そこから地上茎が頂生する。花は葉脈に集中して出て花弁を有する。
平成2年3月
奈良県教育委員会

ひとこと
よく参拝する神社のひとつ

「郷土探訪」


60 談山神社

2007-09-13 | 大和国

奈良県宇陀市榛原区安田に鎮座する 談山神社

談山神社



御祭神
藤原鎌足
由緒 明らかでないが多武峰の談山神社と深い関係があったと伝える。



鎮座地 安田について
地名の由来は、集落前方の水田にちなむ好字地名らしい。

ひとこと
このあたりは、ポコポコ古墳があった。

「郷土探訪」



58 三輪神社

2007-09-09 | 大和国

奈良県香芝市田尻に鎮座する「三輪神社」
駐車は観音寺を利用できる。



御祭神
大己貴命
三輪明神を勧請創祀したと伝える

三輪神社


本殿は山の山頂に鎮座するが明治20年頃はじめて新築したらしく、もともと大神神社(三輪山)と同じく、背後の山を御神体とした古代祭祀の形態の神社だったらしい。


境内からは三輪山ではなく二上山が良く見える。


三輪神社の隣にある 鳥嶽山 観音寺
身替観音で知られている

鎮座地 田尻について
この田尻は二上山の北方の丘陵上にあります。
地名は「大和の田の尻」
開懇地の終わりの場所を意味する説がある。
因みに、大阪泉南の田尻町は「田の端」

「郷土探訪」




56 白岩神社

2007-08-29 | 大和国

奈良県宇陀市榛原区赤埴に鎮座する白岩神社
画像左中央は仏隆寺の有名なサクラの巨樹
駐車場 仏隆寺を利用

白岩神社
クリックすると周辺ガイドへリンクします。



御祭神
須勢理姫命
社記によると延暦9年(790)赤埴白岩下に鎮座とある。


背後には巨石が・・・
ズームイン!

鎮座地 赤埴(あかばね)について
「万葉集」巻7に「倭の宇陀の真赤土」と詠まれている赤紅色の土質に因むという。
赤色埴土(はにつち)のことだろう。

ひとこと
駐車場に無人売店あり。。。

「郷土探訪」



52 十八神社 

2007-08-19 | 大和国

奈良県宇陀市榛原区額井に鎮座する十八神社

額井岳



「十八神社 由緒」



創祀について延長5年(927)との伝もあるが、信憑性が薄い。

鎮座地額井について
神社は額井岳(大和富士)の南麓に鎮座する。
地名の由来は山の中央部に清水の湧く泉(額井)があることによるとの説がある。

ひとこと
鳥居からの見晴らしはバツグン。。。

「郷土探訪」


49 岡崎稲荷神社

2007-08-15 | 大和国

奈良県大和高田市三野山(岡崎山)に鎮座する岡崎稲荷神社

岡崎稲荷神社



当神社は、大和高田市の市街地より西方約2キロの位置にあり、古代朝鮮より帰化された百済王ゆかりの古墳といわれる霊妙で尊い岡崎山(三野山)に祭祀されています。
お山は馬見丘陵の南端(オカのサキ)に位置し、ヘビ、モグラおよびイタチ等が生息しており、また、かつてはキツネも出没し、正面から御所地方、東面には高田川一帯も眺望できました。
現在のお山は、孟宗竹や杉等の常緑樹で、こんもりと美しい樹叢をなし、終戦後も占領軍の意向により禁猟区に指定されています。

当神社は、もと岡崎村の嶋越宅内に鎮座されていたのを、文亀二年(西暦1502年)当家の先祖が一族の鎮護のため、現在の所有地に鎮座し、慶応元年、拝殿を再建して以来、村民の尊信厚く、近郊からも参拝されるようになりました。また、浄財による神殿、拝殿および大小の赤い鳥居等の再建、改修も数次に及び、現在では、近郊にとどまらず、全国一円にわたり、参詣の人々を迎えています。

御祭神
保食神
五穀および種々の野山の幸、また衣食の事を司り、家族繁栄、人々の精神、長寿を守り給います。
とりわけ当社は、近世後期に、産褥に苦しんでいた婦人の一途な祈願に対し如実にその霊験があらわれ、さらに、安産を乞い願う多くの参詣者にもご利益の証しがあい次いだことから、安産の神様として広く内外の祟信を集めるようになり、現在では、ご祈祷済みの「腹帯」が、はるか海を渡って(ブラジル、デンマーク等)に届けられております。

岡崎稲荷山をめぐる信仰
寒供養(寒行)・・・・毎年、厳冬の時期に、夜、お山に、赤飯のおにぎり、あぶらげ等をお供えして巡拝し、人それぞれの心情(例えば厄除け)をご眷族神に祈願することがおこなわれています。

境内祀社
稲荷社二社

ー宮司さんから頂いた栞よりー

ひとこと
お稲荷さんですが安産の神さまとして信仰があるようですが、少子化で最近は安産祈願される方がめっきり減ってしまったと嘆いておられた。
社務所の少し西側(古墳の横)に猿田比古神社も祀っていた。

「郷土探訪」








48 大蔵神社

2007-08-13 | 大和国

奈良県吉野郡吉野町南国栖に鎮座する大蔵神社
式内社

大蔵神社

大蔵神社

吉野町の東南端、川上村に通ずる衣笠山の南斜面に鎮座する旧指定村社で、国栖郷一円の鎮守であった。

祭神は大倉比売命・鹿韋津比較売命・石穂別命。創祀不明。

 『大和志』に川上鹿塩神社として「在= 樫尾東川南国栖三村之交界- 今称= 大蔵明神- 国栖荘七村民家相共預= 祭祀- 」とあったことで式内川上鹿塩神社とされた時代もあった。
 本殿に接して、神宮寺の寺屋敷や庭園などがある。東川村・南国栖村の氏神であったが、明治の神仏分離で別当等は廃寺となった。数十年前までは東川と南国栖が祭典に参加した。

 神前一対の石灯籠の右側は弘化4年(847)東川若連中から、左側は天明6年(1786)国栖郷から寄進している。
 その後、東川は当社分霊を自村へ遷祀して氏子から離別するに至った。例祭は9月1日初遡祭として親しまれてきた。

本殿は切妻造・桧皮葺の三間社で、内陣に安置の神像はいずれも鎌倉期の作。社宝に中世以来奉納の古鏡多数あり、中の一面に「大蔵大明神、正応5年(1292)5月25日 藤原□□敬白」との針書がある。
 大蔵神社庭園は室町期の標高303mの高所にある小池や流れを持つすぐれた庭園として県指定の名勝である。


ここが大蔵神社庭園


神社前の道は昔、吉野から川上へ通じる街道だったそうだ。
屋敷跡だろうか所々に石垣が残る。


神域には巨石がゴロゴロしている。






穴居跡だろうか?





「郷土探訪」











47 岩神神社 

2007-08-12 | 大和国

奈良県吉野郡吉野町矢治に鎮座する「岩神神社」
式内社

岩神神社



御神体
岩穂押分神

元来巨石を御神体とする古代の祭祀形態から発展した社とみられる。
昭和14年 宿ノ神社を岩神神社と改名。

「御神体」


背後の巨石が御神体

鎮座地矢治について
地名は谷間村落をあらわす谷地のことで、矢は谷あるいは屋の佳字、治は墾の意でこれも好字を用いたものという。

ひとこと
地元で馬の背と呼ばれている岩もある。

「郷土探訪」