大阪府交野市寺に鎮座する 住吉神社
御祭神
住吉大神
創建年代不明
明治5年6月私市の天田神社に合祀されたが、同12年7月旧に復し村社に列せられた。
鎮座地 寺について
地名は寺院の存在からだと思うが正行寺が地名の由来かも?
「古社を訪ねて」
大阪府東大阪市六万寺町に鎮座する 梶無神社
式内社 西向き
御祭神
船山明神・大山祇神・女鹿葺津媛の他、男神不明・女神木花咲耶橘姫命などの説あり。
梶無の名は、神武天皇の東征にあたって孔舎衛坂の戦いに利なくこの地に回幸したが、風強く、波高くして船の梶が折れたからだという。
旧社地は瓢箪山駅の南西にあたる字梶無が旧社地と言われています。
七五三の時期に参拝したが、正装した子供さんが微笑ましく見えた。
鎮座地 六万寺について
六万寺は、古くは桜井村とも呼ばれていたようで、梶無神社の東側の古い家並みが桜井の中心部だったようです。
ここには、明治5年に梶無神社に合祀されるまで桜井神社が鎮座していたそうです。
因みに、桜井の井は予想通り、井戸の井でまた、周辺は桜井郷にあたり、桜井屯倉があったところで、桜井田部連が首長として支配管理していたと言われています。
「郷土探訪」
大阪府八尾市都塚に鎮座する 都留美嶋神社
式内社 西向き
御祭神 よく解らないそうだが闇御津羽神(水神か?)とも伝える
境内は児童公園になっている。
神社の西側は田圃が広がっているが東側は、本殿の裏は道が走り住宅が密集している。
どうやら元々違うところに鎮座していたようだ。
参拝時は、お爺さんと御孫さんが竹とんぼをして遊んでいた。
久しぶりに見た竹とんぼだった。
鎮座地 都塚について
地名の由来は、古代の由義宮の宮跡の一部が残り塚をなしていることによる。
「郷土探訪」
大阪府羽曳野市軽里に鎮座する 軽羽迦神社
軽里地区の氏神 南向き
矢印付近に鎮座 南向き
御祭神
天照大神と蔵王権現 熊野権現の二神を合祀し三神を祀っている。
古社ではないが、なかなか立派な本殿
この日も氏子さんが綺麗に境内を掃除されていた。
鎮座地からして、日本武尊を祀っていると思っていたが、天照大神とは以外だった。
「郷土探訪」
大阪府羽曳野市古市に鎮座する 白鳥神社
東向き
「白鳥神社」
御祭神
日本武尊 素盞鳴尊 橘媛尊
本殿横より近鉄古市駅のホームが見える。
赤く見えるのが近鉄電車
神社は「モガリ」と呼ばれていた前方後円墳上に鎮座し、古墳は近鉄古市駅の工事で少し削り取られた。
現地の案内板にも書いてある神社の旧社地「伊岐宮」の場所だが、軽里の羽曳野中央図書館前の峯塚~山ノ池付近の谷を「伊岐谷」と呼んでいたらしく、このあたりに祭祀場があったらしい。
鎮座地について
古市 太古から物々交換の市場があったことから
軽里 この辺りは古市古墳群と呼ばれていて古墳が多いのであるが、「軽里」は日本武尊の仮りの墓(カリハカ)から「カリハカ」転化して「カルハカ」となり、「ハカ」は縁起が悪いので、ハカ→サト となり「軽里」となったかも知れない。
「郷土探訪」
大阪府羽曳野市碓井に鎮座する 碓井八坂神社
西向き
御祭神
素盞鳴命
地図によっては、海照光神と表記している。
「碓井八坂神社と井徳院址」
神社前にある電柱
羽曳野市碓井一丁目
鎮座地 碓井について
現地の案内板にもかいてあるが、碓井は「清泉碓井」の井戸から。
現在、碓型の井戸枠が地元のある御宅にあるそうだ。
井徳院址は一時、削り取られて石川堤に運び去られて低い田地となっていたが、そこに盛り土をして碓型の井戸枠が保存されている御宅が建てられたそうである。
井徳院の梵鐘は、洪水を知らせる「碓井の水鐘」として有名だった。
「郷土探訪」