平らな深み、緩やかな時間

299.國分功一郎の「スピノザ論」と「芸術の終焉論」について①

はじめに、あたりまえのことをお断りしておきます。

それは表題に掲げた「國分功一郎」、「スピノザ」、「芸術の終焉」という言葉の関係についてです。

國分功一郎さんは、今や日本を代表する哲学者ですが、彼が特に芸術や絵画に関する著作を出版しているわけではありません。私がこのblogで注目してきた國分さんの著作は、主に「スピノザ論」と、言葉の「中動態」に関するものです。

それからスピノザ(Baruch De Spinoza、1632 - 1677)は、デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られた人です。彼が芸術について詳しかったのかどうか、私は不勉強なのでよくわかりませんが、少なくともヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770 - 1831)に端を発すると言われる「芸術の終焉論」について知っていたはずがありません。

ですから、「國分功一郎」、「スピノザ」、「芸術の終焉」という三つの言葉は、普通に考えると関係がないのです。しかし、このblogを続けて読んでいただいている方ならば、私が何とかこの三つの言葉を結びつけて何か考えようとしていることを、理解していただけるのではないか、と思います。その「何か」というのは、具体的には芸術表現の可能性のことであり、もっと大きく言えば芸術を端緒として考えた人間の生き方についての問題です。私は「芸術の終焉論」を國分功一郎さんの「スピノザ論」を応用して乗り越えることが、芸術の可能性を切り拓くことに繋がると考えています。そして、それがこれからの人間の生き方について考える端緒となるとも思っているのです。

もちろん、こんな大それたことを考えるには、私の思考力や学識ではまったく不十分です。しかし、他にこんなことを考えようとする人はいないでしょう。だから私が試みるしかないのです。どんなことになるのか、まずはお読みください。

 

それでは、「芸術の終焉論」から始めましょう。

「芸術の終焉」というセンセーショナルな話題は、1980年代半ばから流布されるようになりました。私はその話題の根拠について突き止め、とりあえず「芸術の終焉」などということは真剣に受け止めるに値しない、という結論に達しました。その詳しい経緯を知りたい方は、次の私のblogをお読みください。

 

  1. 『芸術の終焉のあと』ダントー著と『美学講義』ヘーゲル著

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/c8bace79581bcc80f5f2c0100cd2c540

 

そのblogにも書いたのですが、「芸術の終焉」を唱えたのは、美術評論家のアーサー・コールマン・ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924 - 2013)さんだと言われています。そのあたりの事情について、ダントーさん自身は次のように書いています。

 

ほぼ同時期に、しかし、お互いの思想をまったく知らずして、ドイツの美術史家ハンス・ベルティングと私は芸術の終焉に関するテクストを出版した。われわれはともにつぎのようなはっきりとした認識をもつにいたった。すなわち、たとえアートワールドの制度的複合体―ギャラリー、美術学校、定期刊行物、美術館、評論の体制、キュレーター―が、外見上は、比較的安定しているようにみえるとしても、視覚芸術を生みだす諸条件に、ある重大な歴史的転換が起こったということである。

(『芸術の終焉のあと』第1章 序論 アーサー・C・ダントー著 山田忠彦監訳)

 

ダントーさんの認識としては、1980年代に「視覚芸術を生み出す諸条件に、ある重大な歴史的転換」が起こったことについて「芸術の終焉」としてテクストを出版したところ、それが他の美術史家の著作と相まって広まったのだと言うのです。

ダントーさんが「芸術の終焉」という言葉を使ったのは、大哲学者のヘーゲルが150年ほど前に『美学講義』の中でそう言い出したからなのです。ヘーゲルは、その当時広まっていたロマン主義の芸術が彼の好みではなかったらしく、人類の歴史は発展しているのに芸術の分野は後退している!と感じたのです。

 

こうして、ロマン主義の終点にあるのは、外界も内面も気まぐれの産物となり、両側面が離れ離れになったありさまで、ここに芸術は破棄され、真理を獲得するには、芸術の提供できる形式を超えた、もっと高度な形式を獲得しなければならないことが、意識に自覚されます。

(『美学講義』「第二部 Ⅱ章立て」ヘーゲル著 長谷川宏訳)

 

ヘーゲルは、このように講義の中で「芸術は破棄され」てしまっていて、それまで芸術が請け負ってきたような「真理を獲得する(役割を果たす)には、芸術の提供できる形式を超えた、もっと高度な形式を獲得しなければならない」と言ったのです。つまり、芸術は終わってしまったのであり、芸術が探究してきたような真理を得るためには、芸術を超えた別の何かが必要だと言ったわけです。

ダントーさんは、今や芸術は行き詰まっているけれども、それは200年近く前にヘーゲルがすでに「芸術は終わった」と言っていた、だから芸術は終焉したんだ!と書いたのですが、それが見事に広まったわけなのです。

ダントーさんが、ヘーゲルを引用していささかショッキングな言い方をしたことの罪深さはともかくとして、1980年代の芸術に閉塞感があったことは確かです。だからこそ、「芸術の終焉論」は世界的に広まってしまったのですが、そのことについて、ダントーさんよりも信頼がおける日本のフランス文学者、翻訳家である阿部 良雄(1932 - 2007)さんが言っていることに注目しましょう。

彼は『モデルニテの軌跡』という著書の「あとがき」の中で、次のように書いています。

 

80年代は「歴史の終焉」がうんぬんされ始めた時期であって、異論を唱えることは容易ながら、実感ー一種の安堵感ないし脱力感ーを伴う所説として暗々裡に受け入れられたのではあるまいか。こと美術史に関しては、芸術がその時代の人間精神の至高の表現であることを止める時代にさしかかっているという、ヘーゲルの予言に遡るまでもなく、1970ー80年代「ポストモダン」の位相において、様式あるいは流派の交代としての歴史記述が困難ないし無意味なものと化しつつあるのが意識された時点で、一歩先に「歴史の終焉」が到来していたと言い立てることもできるであろう。

「大きな物語」の実効性減退に伴って、美術を論ずる言説(ディスクール)は、二重の危機を体験することになった。一つは、美術史的言説において、過去を一元論的時間構造の相の下に把握・記述することの困難である。もう一つは、美術批評の言説において、時間的に先立って在るものに比べて何か新しい発見や工夫があると指摘することで賞賛の根拠とするパターンが、機能し難くなってきたことだ。

(『モデルニテの軌跡』「あとがき」阿部良雄)

 

私は少し前に書いたblogでも、上記の阿部良雄さんの文章を引用しています。その中で、モダニズムの始まりの時期に詩人で美術評論家でもあったボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821 - 1867)がどんなことを言っていたのか、阿部さんの著書をもとにご紹介してみました。

興味のある方は、ぜひ次のblogをお読みください。

 

295.阿部良雄、歴史の終焉、モデルニテ、そしてボードレールについて

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/34fc23b187040179dde24c6797e1f37b

 

さて、この阿部さんの1980年代の状況分析を読むと、彼が「美術を論ずる言説(ディスクール)は、二重の危機を体験」しているのだ、と言っていることが気になります。その「二重の危機」とは何でしょうか?

それを整理すると、次の二項目になります。

 

・美術史的言説において、過去を一元論的時間構造の相の下に把握・記述することの困難

 

・美術批評の言説において、時間的に先立って在るものに比べて何か新しい発見や工夫があると指摘することで賞賛の根拠とするパターンが、機能し難くなってきたこと

 

一つ目の項目は、簡単に言えばある一つの基準をもとに、時系列で美術史を追いかけることが難しくなった、ということでしょう。現在の美術が最先端だとしても、その思考のパターンで過去を整理していくこと、そしてそのことによって美術史の言説を成り立たせることが難しくなってきたのです。

二つ目の項目は、後の時代の美術表現が前の時代の表現を乗り越えて発展してきた、というこれまでの美術史のパターンが当てはまらなくなってきた、ということです。

これらの点について、阿部良雄さんは『モデルニテの軌跡』の別の章で、それぞれ次のように書いています。

まずは一つ目の項目に当てはまりそうな文章です。

 

60年代には芸術の自律性、構造性を徹底的に追求するミニマル・アートや、物質性(形体性)すらも排除して純粋性の極を究めるコンセプチュアル・アートが出現するが、他方ではポップ・アートやハイパー・リアリズム、あるいはフランスの新具象のように、現代社会に氾濫する具象的画像群を積極的に芸術表現の中に取りこんで、環境としての現実との間に共鳴的ないし批判的な関係を実現しようとする傾向も顕著に現れて、純粋性、自律性を目的とする予定調和的な進化の図式を信ずることはいよいよでき難くなった。

(『モデルニテの軌跡』「1 歴史主義からモデルニテへ」阿部良雄)

 

現代社会のさまざまな価値観を反映して、美術の世界においてもさまざまなイメージが乱立しています。その中で芸術の「純粋性、自律性」を維持できなくなってきた、と阿部さんは分析しています。これまでのように、「一元論的」な考え方で美術表現を整理することは不可能になったのです。

それから、二つ目の項目については、次のような阿部さんの現状分析が当てはまるでしょう。

 

80年代に至って表現主義の復活とも目されるニュー・ペインティングの出現したことをもって、60ー70年代の禁欲的傾向への反措定と見なすならば、否定の弁証法によって規定される流派の交代として叙述される美術史の枠組みだけは維持されるわけだが、時を同じくして、芸術における前衛(avant-gaude)はもはや成立しないという言説がかなりの信憑性をもって流布されるに及び、この枠組みすらも頼りないものと見えざるを得なくなってくる。芸術上の新たな試みとしての主義(イスム)なり流派(エコール)なり傾向なりが、既存の主義なり何なりに対する反措定として自らを規定することにより進化の最先端に位置し、まず「前衛的」な批評家・画商・愛好家から成る「幸福ナル少数者」に支持されたのが、しばらく後には広い範囲の公衆の受け容れるところとなって前衛性を喪失し、その頃には次の前衛が萌芽を現している、といった事態が繰り返されて、流派の交代としての美術史が展開されて行く、そういう認識=行動モデルはついに無効になったのではないかと実感されるのである。

(『モデルニテの軌跡』「1 歴史主義からモデルニテへ」阿部良雄)

 

私も1980年代を生きた人間として経験したことですが、「ニュー・ペインティング」の出現は強烈でした。今では、そのムーヴメントが顧みられることはありませんし、それらの中の一部は忘れ去られ、一部は美術館にひっそりと展示されています。しかし1980年代の頃の「ニュー・ペインティング」の流行は、それまでの芸術の「主義(イスム)」や「流派(エコール)」という真面目な考え方をひっくり返す、とんでもない出来事だったのです。その動向をいち早く察知して宣伝活動に一役買った目ざとい批評家が、今では教育系のテレビ番組でもっともらしい絵画の解説をしていてびっくりしました。調べてみると、彼はそれなりの地位についているようですが、その人が何か内容のある著作を世に問うたという話を聞いたことがありません。私は、「ニュー・ペインティング」は何一つ、芸術上の有効な足跡を残さなかったと思います。しかしただ一つだけ、「流派の交代としての美術史が展開されて行く、そういう認識=行動モデルはついに無効になった」ということを、私たちに認識させたことが、その成果であったと思っています。

現在、社会全体がモダニズムの行き詰まりで病んでいますが、美術における「ニュー・ペインティング」はその予兆であったのかもしれません。地球環境の破壊や経済的な格差による人々の分断などで社会状況は深く病んでいますが、絵画における「ニュー・ペインティング」はそのように病んだ社会を一足早く反映していたのです。

そして美術の世界は、その後も何ら健全なムーヴメントを作り出せないでいるのですが、それは阿部良雄さんが書いているように、「そういう認識=行動モデルはついに無効になった」からなのでしょう。私たちは、このような厳しい状況を把握したところからでないと、一歩も前に進めないのだと思います。

 

ここまでが「芸術の終焉論」にまつわる話です。「芸術」は「終焉」していませんが、これまでのようなモダニズム的な美術史の言説、すなわち「一元論的時間構造」によって美術を把握すること、そして同じくこれまでのような批評的な言説、すなわち過去の「主義(イズム)」が新しい「主義」によって健全に乗り越えられていくという考え方が、もう適合しなくなったのです。このような状況下で、何をどのように考えれば良いのでしょうか?

その時に私が出会ったのが、國分功一郎さんによる「スピノザ論」です。國分功一郎さんは次のようなことを書いていました。



私はスピノザ哲学を講じる際、学生に向けて、よくこんなたとえ話をします。

ーたくさんの哲学者がいて、たくさんの哲学がある。それらをそれぞれ、スマホやパソコンのアプリ(アプリケーション)として考えることができる。ある哲学を勉強して理解すれば、すなわち、そのアプリはあなたたちの頭の中に入れれば、それが動いていろいろなことを教えてくれる。ところが、スピノザ哲学の場合はそうならない。なぜかというと、スピノザの場合、OS(オペレーション・システム)が違うからだ。頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない・・・。

「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」と言う時、私が思い描いているのは、このような、アプリの違いではない、OSの違いです。スピノザを理解するには、考えを変えるのではなくて、考え方を変える必要があるのです。

(『100分DE名著「エチカ」スピノザ』國分功一郎)

 

私がこの文章を以前に引用したのは次のblogでした。

 

274.國分功一郎『スピノザ』① スピノザとフェルメール

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/63b09abcbfd14b38c5c6341cd709b53b

 

その後、3回にわたって國分功一郎さんの「スピノザ論」を追いかけました。

 

275.國分功一郎『スピノザ』② 身体性について

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/4d5e14da3b0e19cb374df3842b5d4c1b

 

276.國分功一郎『スピノザ』③と現代絵画の可能性、宮塚春美展

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/d6478fe6d2283e4a3e2690dec5909a27

 

277.國分功一郎のスピノザ論と「もうひとつの現代絵画」

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/a1947ba45a00bcc44f8d3edfff124425



よかったら、これらをご参照ください。

ご面倒でしたら、277だけでも読んでいただけると、結論に近いことが書いてあります。

 

さて、この國分功一郎さんのいう「アプリの違いではない、OSの違いです」というところを、「芸術の終焉論」の問題に当てはめるとどうなるのでしょうか?

例えば、モダニズム全体を一つの芸術上の「主義(イズム)」として捉えて、モダニズムが終わったから次はポスト・モダニズムだ、と考え、そしてモダニズムを象徴する「ミニマル・アート」の絵画が終わったから、次はポストモダニズムの「ニュー・ペインティング」だ、という美術史的な解釈は、まさに「アプリの違い」でしかありません。古いものを退けて新しいものを「一元論的時間構造」的な観点で置き換えているだけだからです。それが何かの誤魔化しのようにしか思えないことからも、このような「アプリ」の変更が無効であることは明らかでしょう。

それでは、「OSの違い」としてこの問題を捉えるとしたら、どうなるのでしょうか?それは、単純にこの「主義(イズム)」は古い、とか新しい、とかいうふうに捉えないで、もっとそれぞれの時代の作品に対して多元論的にその可能性を見出していくことになります。そして、そこから生まれるこれからの芸術表現は、その「OSの違い」を認識した上で、これからの芸術表現にとって必要だと思われることを提示する、いわば今の時代に必然性を感じる表現でなくてはなりません。それは必ずしも、見た目の新しさを必要とはしていません。過去の「主義(イズム)」だと思われていた作品に新たな可能性を見出し、それを指し示すような表現だってありうるからです。

 

私たちはこのように、一つの時代を一元論的に整理しようという考え方を改めなくてはなりません。

このことを私はマルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980 - )さんの著書『なぜ世界は存在しないのか』から学びました。その時に書いたのが、次のblogです。

 

  1. 『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエルについて

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/f2a61fa9d7a2aba8c48afecce3fa03a7

 

マルクス・ガブリエルさんは、いま最も注目されている哲学者です。彼は「新しい実在論」を唱えていて、その考え方によると、ちょうどいま私たちが考えてきた多元論的なものの見方が必然性のあるものだとわかるのです。以前のblogでも引用した文章ですが、マルクス・ガブリエルさんはそのような多元論的なものの見方を、「新しい実在論」の観点から、次のように書いています。



なぜ新しい実存論が最良の選択肢なのかは、簡単に理解できます。ヴェズーヴィオ山が現在のところイタリアに属する地表面の特定の地点に位置している火山であるということ、これだけが事実なのではありません。ヴェズーヴィオ山がソレントからこんなふうに見えるが、ナポリからまったく別様に見えるということ、これもまったく同じ権利でひとつの事実です。ヴェズーヴィオ山がソレントからこんなふうに見えるが、ナポリからはまったく別様に見えるということ、これもまったく同じ権利でひとつの事実です。ヴェズーヴィオ火山を見るさい、わたしが感じていながら表に出さないさまざまな感覚も、すべて事実です(複雑なiPhone 1000 Plusアプリが開発され、わたしの思考をスキャンしてオンライン化するのに成功したら、それらの感覚も表に出されずにはいられないでしょうけれども)。こうして新しい実在論が想定するのは、わたしたち思考対象となるさまざまな事実が現実に存在しているのはもちろん、それと同じ権利で、それらの事実についてのわたしたちの思考も現実に存在している、ということなのです。

これにたいして形而上学と構築主義は、いずれもうまくいきません。形而上学は現実を観察者のいない世界として一面的に解し、また構築主義は現実を観察者にとってだけの世界として同じく一面的に解することで、いずれも十分な根拠なしに現実を単純化しているからです。ところが、わたしの知っている世界は、つねに観察者のいる世界です。このような世界のなかで、必ずしもわたしには関係のないさまざまな事実が、わたしの抱くさまざまな関心(および知覚、感覚、等々)と並んで存在している。この世界は、観察者のいない世界でしかありえないわけではないし、観察者にとってだけの世界でしかありえないわけでもない。これが新しい実在論です。古い実在論、すなわち形而上学は、観察者のいない世界にしか関心を寄せませんでした。他方で構築主義は、成立していることがらの総体、すなわち世界を、それこそナルシシズム的にわたしたちの想像力に帰してしまいました。いずれの理論も何にもなりません。

(『なぜ世界は存在しないのか』「哲学を新たに考える」マルクス・ガブリエル著 清水一浩訳)

 

そして、マルクス・ガブリエルさんによれば、阿部良雄さんが書いていた「一元論的時間構造」による時代の捉え方は、次のように否定されています。

 

わたしたちは、けっして全体としての世界を捉えることができません。全体というものは、どんな思考にとっても原理的に大きすぎるのです。しかしそれは、わたしたちの認識能力のたんなる欠陥のせいではありませんし、世界が無限であることに直接関連しているのでもありません(じっさい、わたしたちは、たとえば無限小法や集合論といった形で、少なくとも部分的には無限さえ捉えることができます)。むしろ世界は、世界のなかに現れることがないから原理的に存在しえないのです。

したがって一方で、わたしの主張は、世界が存在しないのだから、そのぶんだけ、存在するものは一般的に期待されているよりも少ない、ということです。世界は存在しないし、存在しえない。ここからいろいろと重要な結論を導き出すことになりますが、それらの結論は、とりわけ今日の社会政策やメディアによって流布している形での科学的世界像に異議を申し立てるものとなるでしょう。厳密に言えば、わたしはあらゆる世界像に異議を申し立てることになるでしょう。世界が存在しない以上、世界についてのどんな像も結ぶことなどできないはずだからです。

しかし他方で、わたしの主張は、世界以外のあらゆるものが存在するのだから、存在するものは一般に期待されているよりもずっと多い、ということでもあります。

(『なぜ世界は存在しないのか』「哲学を新たに考える」マルクス・ガブリエル著 清水一浩訳)

 

この引用文では内容がわからないかもしれません。その場合は、私の108.のblogを読んだ上で、『なぜ世界は存在しないのか』を購入して読んでみましょう。いろいろと専門家の間でも賛否が分かれる本のようなので、納得するかどうかは読んだ方次第だと思います。

 

そして私がこんなふうに、いろいろな本を引っ張ってきて、繋ぎ合わせてそれらしいことが言えるのは、一般的な「新書」レベルの、理解の浅い思考の故だ、と考える方も当然いらっしゃると思います。そして、それはその通りだと思います。最初にお断りしたように、私の思考力では荷が重すぎるのです。

しかし、「芸術の終焉」などということが言われて久しいのに、ちゃんと整理してそのことを否定し、その誤った芸術理解に対して、これからの芸術表現はどうあるべきなのか、ということをまともに回答した本を私は読んだことがありません。哲学や思想の世界では、マルクス・ガブリエルさんのような優れた若い学者が、現状に危機感を持って数多くの発言しているのに、これはどうしたことでしょうか?

 

そしてここで私が今回整理したようなことは、私たちが寄って立つべき地平を確認したに過ぎません。ここはまだ、スタート地点なのです。いまは一元論的な価値観ですべてが語れる状況ではありません。したがってこれからは、一人一人の表現者がそれぞれの地歩を見定めて、足場を固めた上で表現を高めていかなくてはなりません。私たちの置かれている状況はとりとめのないほどに自由であり、それだけの困難が生じているのです。

そこで私自身が考えているのが、「触覚性絵画」という新たな絵画の地平です。

「触覚性絵画」については、これまでも書いてきましたし、個展の折にテキストを書いてきました。今年も個展が近づいてきましたので、今回のこの文章に続く形で近いうちに文章を綴って、パンフレットの草稿としてみたいと思っています。

 

もしも過去の私の「触覚性絵画」についての個展パンフレットをお読みになりたい方がいらっしゃったら、次の私のテキストを集めたページをご覧ください。

 

http://ishimura.html.xdomain.jp/text.html

 

上のページから、次のテキストを選んでいただけると、「触覚性絵画」ということを模索し始めてから後の、私の個展の文書をpdfファイルでご覧いただくことができます。

 

2020.3 触覚性絵画の試み 『個展』(ギャラリー檜)TEXT

 

2021.3  『個展』(ギャラリー檜) パンフレット

 

2022.4  『個展』(ギャラリー檜) パンフレット



それでは、また続きを書きます。

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