平らな深み、緩やかな時間

281.『サルトル 実存主義とは何か』などについて

少し前にドイツの哲学者、ハイデガー(Martin Heidegger, 1889 - 1976)の著書『存在と時間』を『100分DE名著』を手掛かりに、何回かに分けて読み解きました。

 

269.『100分DE名著「存在と時間」』②、黒澤明監督『生きる』

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/293427db0917045f97d3c14def20e2f3

 

そのときに「実存」に関わる用語を、いくつかまとめて記録しました。

 

「現存在(ダーザイン)」 存在の意味を問う存在者(人間)のこと

「本来性」        人間が自分の本来の生き方を生きること

「非本来性」       人間が他者の思惑によって生きること

「実存」         時間の中で現存在が関わり合う存在(自分)のこと

 

ハイデガーは、「人間(現存在)」が時間の中で「頽落」しがちな存在である、つまり「本来性」ではなくて、「非本来性」の人生を生きる傾向にある、と考えて、そのことについて考察するために『存在と時間』という難解な大著を書いたのでした。それはまるで黒澤明(1910 - 1998)監督の『生きる』という映画のようではないか、と思って私は先のblogを書きました。

 

この「実存」あるいは「実存主義」という難解な翻訳語ですが、今ではあまり聞かれなくなったものの、私の若い頃には最新の哲学用語の代名詞のようなものでした。「実存主義」の中身はよくわからないのですが、それは私たちが生きていく上での本質を捉えた言葉、権威主義的で保守的なものに対抗する言葉、というような響きがあったと思います。

その実存主義を代表した思想家が、フランスの哲学者、小説家、文学者であったジャン=ポール・サルトル( Jean-Paul Charles Aymard Sartre、1905 - 1980)でした。私がサルトルの名前を意識するようになった頃には、彼はすでに高齢でした。それでも国際的な事件が起こると、サルトルがそれをどのようにコメントしたのか、がニュースになるほどの影響力があったと思います。

そういえば、彫刻家のジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901 - 1966)に関する本を読んでいたところ、ジャコメッティがいつものカフェで食事を取りながら新聞をながめて、おお、サルトルがこんなことを言ってるぞ、とつぶやく場面がありました。ジャコメッティはサルトルと仲が良かったそうですが、こんなふうにパリのカフェで哲学者のコメントについて気軽に論じてみせるなんてカッコいいなあ、と憧れたものでした。

それはともかく、サルトルは学問の専門領域の中で黙々と研究するタイプの思想家ではなく、積極的に現実社会と関わった人でした。それだけに、生前は知識人の代表のように扱われていたのに、亡くなった後では過去の人のように処遇されていて、ちょっと残念です。それに文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908 - 2009)に批判されて、その影響力が削がれてしまった、ということもあったようです。

https://book.asahi.com/article/13096292

そして私も、これまでサルトルについてちゃんと考察したことがありませんでした。それでこの年齢になってお恥ずかしい話ですが、とっくに馴染みのはずのサルトルの「実存主義」について、今回もNHK『100分DE名著』(海老坂武著)のわかりやすい解説を手掛かりにして、その理解を深めようと思います。そしてもちろん、その理解がどのように芸術や美術と関わるのか、も同時に考察しようと思います。

 

さて、サルトルですが、写真を見るとわかる通り、右目がひどい斜視でほとんど失明していたのだそうです。そして、サルトルはそんな自分のことを醜いと思っていたのですが、その割には若い美しい女性と常に恋愛関係にあり、また生涯の伴侶であったボーヴォワール (Simone de Beauvoir、1908 - 1986)とは互いに自由な性的関係を認めていたそうです。しかし、最後はボーヴォワールに看取られて亡くなったということを、海老坂さんは書いています。

家庭環境は複雑で、サルトルの父は早くに亡くなり、母の再婚相手の継父とうまくいかず、転校した学校ではいじめられたりもしたそうです。しかし結局、高等師範学校を卒業して、浪人しつつも優秀な成績で哲学科の教師の資格を得ました。サルトルは学生時代に、優れた思想家でフェミニズムの始祖とも言われたボーヴォワールや、のちの現象学者のモーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)らとすでに出会っています。頭の良い人同士は、何か呼び合うものがあるのかもしれません。

そのサルトルが「実存主義」の代表のように呼ばれるようになったことには、若干の偶然があったようです。第二次世界大戦後の退廃的な雰囲気の中で、パリのサン・ジェルマン・デ・プレ界隈には、住所不定の若者たちがカフェやキャバレーに集っていて、自由気ままに過ごしていました。彼らはなぜか、「実存主義者たち」と呼ばれていたのです。その頃、サルトルはボーヴォワールと安ホテルで暮らし、行きつけのカフェに出没し、若い歌手だったジュリエット・グレコ (Juliette Gréco、1927 - 2020)やジャズ・トランペット奏者で小説家の卵だったボリス・ヴィアン(Boris Paul Vian, 1920 - 1959)らに囲まれていたので、「実存主義者」と呼ばれた若者たちの中心だと目されたようです。

サルトル自身は、はじめのうちは「実存主義者」であるつもりはなかったようですが、1945年に「実存主義とはヒューマニズムである」という有名な講演を行い、そこで自ら実存主義者であると宣言したのです。

その講演で、サルトルは実存主義を象徴する有名な二つのことを言ったと、『100分DE名著』の中で海老坂武さんは書いています。

 

この講演にはいくつかのポイントがあって、実存主義を説明するわかりやすい二つの定式が提示されています。  

第一の定式が、「実存は本質に先立つ」。  

第二の定式は、「人間は自由の刑に処せられている」。

 「自由の刑に処せられている」は、「人間は自由に運命づけられている」という言い方をしてもいいでしょう。そこでは、「自由」と「運命」という逆説的な関係が暗示されています。

(『100分DE名著 サルトル 実存主義とは何か』海老坂武)

 

サルトルは1930年代にドイツに行って、フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl 、1859 - 1938)やハイデガーの現象学を学び、そこでハイデガーの「実存」という概念を自分なりに吸収したようです。しかしサルトルが唱えた「実存」はハイデガーの概念とも微妙に違っているようですから、ここであらためてサルトルの「実存」という言葉を押さえつつ、サルトルの上の言葉について考察しましょう。

海老坂さんはサルトルの「実存」とは、「この世界に現実に存在するということ」だと解説しています。また、サルトルの言葉の中の「本質」というのは、「その物の性質の総体」だと解説しています。これはどういうことなのか、「実存」と「本質」を対にして考えてみましょう。

例えばペーパーナイフがあるとすると、実際に目の前にペーパーナイフが置いてあれば、それが「実存」ということになりますが、ペーパーナイフと言われるもの全般のことであれば、それは「本質」ということになります。このペーパーナイフが目の前に置いてある、という状況を考えてみましょう。現実には、そのペーパーナイフを作った職人、もしくは製造者がいたはずで、彼らはペーパーナイフとはどのような物なのか、用途や素材、さらにその作り方まで把握しているでしょう。そのようなペーパーナイフのことを、サルトルは「本質」と言ったのです。その「本質」から具体的な一本のペーパーナイフが製造されて、私たちの目の前に置かれたのですから、物事の順序を考えると「本質」が「実存」に先立つ、と言うのが妥当でしょう。しかしサルトルは、人間の場合には「実存」が「本質」に先立つ、とあえて言ったのです。そのことの意味は次の通りです。

 

 ところがサルトルは、人間の場合はそうではない、と主張する。逆に「実存が本質に先立つところの存在」こそ人間である、と彼は宣言するのです。  

 

実存が本質に先立つとは、この場合何を意味するのか。それは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味するのである。(中略)人間はあとになってはじめて人間になるのであり、人間はみずからがつくったところのものになるのである。このように、人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである。(『実存主義とは何か』) 

 

 人間はまず先に実存し、したがって、自分の本質はそのあとで、自分自身でつくるものだ、というのがサルトルの考え方です。「人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない」、これが「実存主義の第一原理」です。そしてそこから、みずから主体的に生きるという「主体性」の概念が出てきます。

(『100分DE名著 サルトル 実存主義とは何か』海老坂武)

 

サルトルにとって、人間は主体的な存在である、ということがとても大切です。人間の「本質」は、あらかじめ存在するのではなく、個々の人間の「主体性」によって後から形成されるのだ、と彼は言いたいのです。

そして人間は自分の可能性を未来に向かって自ら投げ出すのだ、という考えからサルトルは「投企」という言葉を使いました。そして未来を「自由」に「選択」するのが人間であり、そこには「責任」が伴うので「不安」にもなるし、自分一人で決めることの「孤独」も生じてくる、というふうに考えました。これらがサルトルの思想を考える上での重要な概念になります。

それでは、「人間は自由の刑に処せられている」という言葉は、どういう意味なのでしょうか?海老坂さんはサルトルの言葉を引きつつ、次のように説明します。

 

『実存主義とは何か』の中で示された、実存主義の第二の定式は、「人間は自由の刑に処せられている」という物です。

 

もしはたして実存が本質に先立つものとすれば、ある与えられた固定された人間性をたよりに説明することはけっしてできないだろう。いいかえれば、決定論は存在しない。人間は自由である。人間は自由そのものである。(『実存主義とは何か』)

 

そして「自由そのもの」として世界に投げ出された人間は、みずからがおこなうことの価値を、自分自身で決めていかなくてはならない。「ひとたび世界のなかに投げ出されたからには、人間は自分のなすこと一切について責任がある」と。

つまり、神は存在しないから、自分の行動を正当化する理由や逃げ向上として、神を呼び出すことはできない。価値を決定するのは神でも何でもなく、自分ひとりでしかない。そのことを「刑に処せられている」と表現しているのです。

(『100分DE名著 サルトル 実存主義とは何か』海老坂武)

 

サルトルの言葉も、海老坂さんの解釈も、実に身に沁みます。そう思った方は、ぜひ海老坂さんの著書を買って、原文にあたってください。

そして、このように宣言したサルトルの人生が、波風の立たない穏やかなものであったはずがありません。なにしろ「自由の刑に処せられている」のですから、あらゆることに対し、自分で主体的に判断し、責任を持って行動しなければなりません。それが、私が知っている晩年のサルトルの姿だったのだと思います。サルトルの周囲の人たちは、「このことに対して、サルトルはどう考えて、対処するのだろう?」と知りたくなるわけです。サルトルはそれらの疑問に対し、何ものにも責任転嫁せず、自分一人で考えて答えたのだろう、と思います。

もちろん、サルトルにも過ちに近い行動があったし、思想的には時代の制約も受けたでしょう。例えばソビエト連邦ができた当時、多くの文化人が社会主義や共産主義の考え方に賛同し、希望を抱きました。現在の中国やロシアの現状を見て、共産主義というよりは独裁主義ではないか、と批判するのは容易いことですが、それは現在地点から見た話です。サルトルも当時の多くの文化人と同様に共産主義に賛同し、ソ連やフランス国内の共産主義の動きに近づいたようですが、やがて距離を置くようになった、ということです。

そういうふうに、サルトルの思想を社会的に見ることも興味深いことですが、ここでサルトルの「自由」の問題を、芸術の問題に当てはめてみましょう。私が考えるところでは、芸術家はサルトルの言った「実存は本質に先立つ」、「人間は自由の刑に処せられている」という二つの定式を噛み締めなくてはならないと思います。

よく世間では、「この人は芸術家としての才能がある」などと言って、その人の芸術的な「本質」があらかじめ備わっているかのようにいうことがあります。私も自分以外の芸術家に関してならば、「この人は才能がある」という事があります。もっと具体的に言えば、「この人は色彩感覚が良い」とか「悪い」とか、「この人は形体感が強い」とか「弱い」とかいう事もあります。これらは後天的に身につけたものである場合よりも、多くの場合、その人に生まれつき備わっていたことを指して言うのでしょう。それはその人の一つの傾向として受け止める必要があるのかもしれませんが、当の芸術家にとって、それは決定的な意味を持つことはありません。

私に関して言えば、「色彩感覚は悪い」し、「形体感も弱い」のですが、それでも絵を描きたいのです。「絵を描く」という「自由」を選ぶためならば、それらの評価は戯言ぐらいに思っても良いくらいです。もちろん、その「選択」の「責任」は、すべて私自身にあります。だから芸術家は、「自由」のすべての「責任」を自分で負う覚悟でなければなりません。

 

さて、もしもこの文章を読んでいる方が学生の方だったら、あるいは学校を卒業して自分の進むべき道に悩んでいる方だったら、ぜひ言っておきたいことがあります

私が美術大学を受験した頃は、受験生の数が多くて、美術系の大学はどこも途方もない合格倍率でした。東京ではいくつかの予備校がしのぎを削っていて、美大合格を目指して多くの受験生が血の滲むような努力をしていたのです。今でも、似たような状況があることでしょう。私はダメな生徒だったので、コンクールのたびに早々と選外となり、自分の作品をまともに助言してもらうことすらできませんでした。美術大学側はちょくちょく選考基準を変えていたようですが、それでも大学合格という目標が定まっていることに変わりはないので、予備校のコンクールでは一つの基準を目指してみんなで頑張る、という構図が容易にできたのです。

さて、そのコンクールで上位に入り、現実にめでたく美術大学に合格したとしましょう。これで美術大学合格という基準から離れて、あなたは「自由」に絵を描くことができるようになったのです。「やった!」と大声で叫んでも良いのですが、ところであなたはどんな絵を描きますか?今ではさまざまなメディアが発達していますから、あなたが「絵画科」や「彫刻科」に合格したからといって、絵や彫刻を作る必然性はありません。コンピュータで画像や動画を作ったって、立派に美術家として認められるでしょう。しかし、あなたは何をよりどころとして、表現活動を続けたら良いのでしょうか?

サルトルはこんなことを言ったようです。

 

したがって実存主義者は、人間はなんのよりどころもなくなんの助けもなく、刻々に人間がつくりだすという刑罰に処せられているのだと考える。

(『実存主義とは何か』/『100分DE名著』からの引用)

 

実際に、私は多くの人が、「自由」という「刑罰」に負けて、表現活動をやめてしまったことを見てきました。美術大学に行ったからといって、すべての人が表現活動を続けなければならないわけではないですから、「刑罰」に負けて、は言い過ぎかもしれません。しかし、多くの美大生が受験の時にはうるさいぐらいにあれこれとアドヴァイスをされて、いざ合格してみたら明確な指針が示されず、それは自分で考えなさい、と放り出されるのです。私は大学の先生たちもプロフェッショナルならば、そういう学生に対して上手にアプローチするべきだと思いますが、しかしそこに「自由」がある限り、一人一人の学生の「責任」は否めません。その「自由」がどこかでいきなり訪れることは、特に現代美術と言われるような表現をしている人ならば、避け難いことでしょう。

でも、もしもあなたが「自由」に表現したい、と思っているのなら、その時に一歩踏み出すための、心の準備をしておきましょう。とくに難しいことではありません。あなたが大好きなことにのめり込んだり、何をやっている時に充実した気分になれるのかを探ってみたり、そんなことで良いのです。それとは逆に、大学の先生に「こういう絵を描きなさい」「こういう展覧会に出しなさい」というふうに従ってみて、いつの間にか展覧会の重鎮になったり、大学の先生になったり、という人生ももちろん良いのでしょうが、もしもあなたがそこに「自由」を感じていないのだとしたら、それは残念なことだと思います。

「自由」には「責任」が伴いますし、何よりも現実の生活では困難がつきものです。「自由」を「選択」したのは良いけれど、人生において自分は「敗者」だと感じることもあるでしょう。サルトルはそのことに対して、「負けるが勝ち」だと言ったのだそうです。サルトルの代表的な小説『嘔吐』の主人公のロカンタンは、自分の挫折について「負けた」と言った上で、次のようなことを言ったのだ、と海老坂さんは解説しています。

 

 しかも、自分が負けただけではなくて、「人は常に敗れるものであること」を知り、「勝つと思っているのは下種ども(ろくでなし)だけだ」として、負けることを人間の条件にまで拡大し、勝つことよりも、負けることを自覚することのほうを上位に置いているのです。

(『100分DE名著 サルトル 実存主義とは何か』海老坂武)

 

こんなふうに解説した上で、海老坂さんは生きている間において「敗者」ではあったけれど、芸術的な達成においては十分な成果を上げた人たちを紹介しています。詩人のヴェルレーヌ、ランボー、画家のモディリアーニ、作家のスタンダールなどです。彼らのような芸術的な達成ができるのかどうか自信はありませんが、私は「負けるが勝ち」ということに関して言えば、圧倒的な「敗者」である、という自信があります。私は何の肩書きもありませんし、私の芸術的な達成を認めてくれる人もいません。しかし、私はそのことに対して、全部自分で「責任」を負っています。これ以上の「自由」はないのかもしれません。

 

さて、サルトルのこのような「実存主義」の考え方において、「偶然」に起こる出来事、つまり自分の自由な意志に基づかないものはどう考えたら良いのか、という問題があります。それから先に上げたレヴィ=ストロースの批判もありました。サルトルは人間の主体性をあまりに重要視しすぎたのではないか、という批判です。私は、このblogで以前から近代思想の批判を試みてきましたから、サルトルの思想も批判的に乗り越えなくてはならないだろう、と考えています。それもこれから進めていきます。しかし、私たちはこのままサルトルを忘れてしまうのではなく、彼の唱えた「自由」についてもう一度考えてみた方がいいのではないか、と思ってここで取り上げました。

念の為に書いておきますが、サルトルの「自由」と「責任」は、現在の為政者たちが都合よく口にする「自己責任」とは別のものです。彼らは自分たちの「責任」を放棄して、私たちに一方的に自分たちの失政の「責任」をなすりつけたくて、「自己責任」などと言うのです。現在の日本の最高責任者を見てみましょう。自分で「責任」を負いたくないばかりに、防衛や予算編成、原発に至るまで、あらゆる支離滅裂な政策を矢継ぎ早に打ち出しています。「自由」を担うことができない小心者が身の丈に合わない力を手に入れると、こんなにも害悪を撒き散らすものなのか、と唖然とします。そして、その「処罰」は、いずれ彼を選んだ私たち全員が負わなくてはならないのです。絶望的な気持ちになりますが、子供たちの世代のためにも、あきらめずにできるだけのことをやりましょう。

 

さて、今回曲がりなりにもサルトルを学習し、少し前にハイデガーを勉強したので、彼らの思想の流れである「現象学」について、次回は考えたいと思います。やっと現象学の全体像を眺められるところに来たのかなあ、と思っていますので、ご期待ください。

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