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平らな深み、緩やかな時間

431.『パウル・ツェランと中国の天使』多和田葉子を読む

前回に続き、多和田葉子(たわだ・ようこ、1960 - )さんの作品を読んでみました。

この『パウル・ツェランと中国の天使』はとても変わった小説です。

前回の『文字移植(アルファベットの傷口)』も、変わった小説でしたが、およそ30年後に書かれたこの小説は、成り立ちそのものが変わっています。説明するのが難しいのですが、まずは書店の紹介を読んでみましょう。

 

まだ歌える歌がある、人間たちの彼方に。

コロナ禍のベルリン。若き研究者のパトリックはカフェで、ツェランを愛読する謎めいた中国系の男性に出会う。

〝死のフーガ〟〝糸の太陽たち〟〝子午線〟……2人は想像力を駆使しながらツェランの詩の世界に接近していく。

世界文学の旗手とツェラン研究の第一人者による「注釈付き翻訳小説」。

 

<担当編集者より>

「死のフーガ」で知られるユダヤ系のドイツ語詩人パウル・ツェラン(1920~1970)は、20世紀を代表するヨーロッパの詩人。両親はナチスによって命を落とし、ツェラン自身も労働収容所で生死の境をさまよいます。労働者として残るか、アウシュヴィッツへ送られるかの選別を受け続けたのです。

生誕100年に寄せて、多和田葉子さんがドイツ語で書き下ろしたこの小説には、詩集『糸の太陽たち』(1968)をはじめツェランの詩句がちりばめられています。ツェラン研究の第一人者・関口裕昭さんが詳細な訳注をほどこしました。

ツェランの詩集を愛する青年パトリックの心の旅がはじまります。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163916361

 

なお、上記の書店のページから、次のような興味深い鼎談(ていだん)のページを読むことができます。この内容もとても参考になるので、チェックしておきましょう。

 

【鼎談】多和田葉子×関口裕昭×松永美穂 文学と文学研究の境界を越える――『パウル・ツェランと中国の天使』をめぐって

https://books.bunshun.jp/articles/-/8008

 

それでは、この本のおおよそのところを確認していきましょう。

この『パウル・ツェランと中国の天使』は、上に書かれているようにユダヤ系のドイツ語詩人パウル・ツェラン(Paul Celan、1920 - 1970)さんの生誕100年、没後50年に寄せて、多和田さんがドイツ語で書き下ろした小説です。

そのドイツ語の小説を、ツェランの研究者の関口裕昭(せきぐち・ひろあき、1964 - )さんが日本語に翻訳したのです。

この関口さんという研究者ですが、実は以前にこのblogで『翼ある夜 ツェランとキーファー』という本をご紹介しましたが、その本を書いたのが関口さんでした。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/dd8a9d97cb5f1018f057509b45159556

 

この本も読み直してみたいですね。何とか、難解なツェランさんの詩を攻略したいです。

 

話を戻して、この『パウル・ツェランと中国の天使』は、ドイツ語版が2020年に書かれ、日本語版が2023年に発行されました。日本人の多和田さんがドイツ語で書いた小説を、同じ日本人の関口さんが日本語に翻訳するという、あまり聞いたことのない経過をたどって成立した本なのです。

このような成立過程のおかげで、私たちはあまりなじみのないツェランさんのことや専門的な文学者、芸術家のこと、あるいはドイツ語の語句について、関口さんによる詳細な訳注月で読むことができます。それに多和田さんの小説の本編は、やや唐突な終わり方をするのですが、その後の続きを関口さんが「訳者によるエピローグ」として独自の解釈で付け足しています。

 

さて、上記の鼎談によると、この小説の日本語翻訳は2020年の明治大学でのシンポジウムがきっかけだったようです。そのシンポジウムの時に、多和田さんが書いていた小説の原稿について話すと、それに興味を持った関口さんが、そのことを編集者に話して、それで日本語へ翻訳をすることになったそうです。

さらに「訳者によるエピローグ」という、かなり突飛な試みが書かれたいきさつについて、次のようなやり取りがあったようですので、紹介しておきます。

 

多和田  いや、これは本当に新しい試みです。そもそもこの本の一つの意義は、文学研究と文学の間のボーダーを越えることだと思うんですよね。こういう形はまずないだろうと思って関口さんに、もちろんOKです、と即答しました。読んでみたら、もし私が書いたら全く違うことを書いたな、と思ったんですけれども、それでいいんです。まさにそれがこのエピローグの意味ですから。

 

関口  これを発表すべきか、するべきでないか、迷いはありましたが、やはり多和田さんの作品にはすごく喚起力がありまして。特にこの小説では、ツェランの詩がたくさん出てきます。「ツェランの文学×多和田文学=読者の想像力」、これは知人で、ツェランに造詣の深い画家の植田信隆さんの言葉ですが、まさにどの人が読んでも、いろいろ想像力を膨らませることができる小説なんですよね。ですから僕は独断的にこのエピローグを書いたのじゃなくて、読者の一人としてこういう読み方ができると思いました、読者の皆さんはどう読まれますかって、提案したにすぎません。研究と創作の垣根を越えて、より新しい次元に進むことができたらいいなと思って、勇気をふるって発表しました。

(【鼎談】多和田葉子×関口裕昭×松永美穂 文学と文学研究の境界を越える――『パウル・ツェランと中国の天使』をめぐって)

 

多和田さんは、この小説について「そもそもこの本の一つの意義は、文学研究と文学の間のボーダーを越えることだ」と言っています。ツェランさんの晩年の詩は、文学の領域以外の医学、植物学、物理学などの専門用語が使われている難解なものだそうですが、多和田さんはその難解さにひかれて、あえてツェランさんの最晩年の詩集『糸の太陽たち(Fadensonnen)』(1968)をモチーフに選んだのです。そして、この詩集についてメモやノートを書いていたところ、それが面白くなって、この小説になったということです。

だからその多和田さんの創作に対して、研究者の関口さんがふんだんに訳注をつけたり、エピローグを付け足したり、ということは、研究と文学の垣根を越えるというこの小説の意義をくみ取った試みでもあり、「OKです、と即答」されたのです。

 

それでは、この難解な詩人に関する難解な小説はどんな物語なのでしょうか?そのあらすじについて、関口さんは次のようにまとめています。

 

主人公のパトリックは、ウクライナ生まれの両親を持つドイツ人の文学研究者です。パリのツェラン学会で講演をしようとしますが、彼自身も精神を少し病んでいて、参加する決心がつきません。その彼を救う存在がレオ=エリックという中国系の男性です。あまり中国人らしからぬ名前ですが、その鍼灸師が現れることで、パトリックの心も徐々に癒されていきます。二人の対話を通じて、ツェランの詩の解釈が行われ、最後にパトリックは学会に出席する決心をかためます。その後どうなるか――結末をどう解釈するかが、この小説を読む醍醐味の一つです。

(【鼎談】多和田葉子×関口裕昭×松永美穂 文学と文学研究の境界を越える――『パウル・ツェランと中国の天使』をめぐって)

 

ちなみに、主人公について「彼自身も精神を少し病んでいて」と書かれていますが、これはツェランさんが晩年に精神を病んで自死したことから、「彼(ツェラン研究者である主人公)自身も」精神を病んでいた、という言い方で書かれているのです。

そして、このようなあらすじをまとめたうえで、関口さんは「結末をどう解釈するかが、この小説を読む醍醐味の一つです」と書きつつ、自分の解釈によってそのエピソードを書いてみたのです。

ここまで読んでいただくと、これがどんな本なのか、どんな結末なのか、実際の小説を読んでみたくなると思います。そういう方は、ぜひ『パウル・ツェランと中国の天使』を手にとって読んでみてください。あらすじとしては、上に書かれているようにシンプルな話なので、私がここで、これ以上説明できることはありません。とにかく、一人の研究者が講演をするかどうか・・・、というだけの話ですから。

しかし、そんなシンプルな物語であっても、この小説を読み始めてみなさんが困惑しそうなことがありますので、そのことについて、少しだけ付け足しておきましょう。

例えば、この『パウル・ツェランと中国の天使』のはじめの章を少し読んでみましょう。その最初の文章は次の通りです。

 

交差点にぶつかるたび、その患者はサイコロを持ちあわせていない事を後悔する。待っていれば、自分に代わってサイコロが決めてくれるのに。

(『パウル・ツェランと中国の天使』「1 歌うことのできる成長」多和田葉子著 関口裕昭訳)

 

その少し後には次のような文章があります。

 

幸い彼は通りの左側にいるが、それは偶然ではない。というのは、家を出てからずっと、自分の家であろうが、女友達の家であろうが、左に曲がってきたからだ。

(『パウル・ツェランと中国の天使』「1 歌うことのできる成長」多和田葉子著 関口裕昭訳)

 

さらに数ページ後には次のような文章があります。

 

わたしはずっと外にいるが、そんなことは気にならない。どのみち人形は嫌いだ。人形のような女の子はおしっこの臭いがする。そのことは女友達に何度も言った。わたしは自らも芸術家であって、わたしよりも有名な成熟した女性が好きだ。

(『パウル・ツェランと中国の天使』「1 歌うことのできる成長」多和田葉子著 関口裕昭訳)

 

最初に、主人公について「患者」という呼称が使われています。それが少し後では「彼」という代名詞が使われています。これは普通の使い方なので戸惑いはありません。しかし、しばらく読むと、それが「わたし」になります。このあたりまで読むと、はたして「わたし」は「患者」のことなのかな・・・、と怪しくなってきます。客観的な描写と主観的な描写が入り乱れているのです。

それに、そもそもこの一連の話の流れの中で、主人公は外出したのか、していないのか、それだけのことが、よくわかりません。カフェに入ったと思ったら、女性歌手(オペラ?)の話になって、それが休憩時間になって、学校の休憩時間の話から授業中の話になります。さらに女友達の話から愛犬の話になって、どんどん話が交錯してき、混乱したところで、主人公の名前が明かされます。

 

患者の名はパトリックという。彼が内的独白の中で自分のことをときおり患者と呼ぶのは生き延びるための一つの戦略なのだ。「わたし(ichi)」はパトリックにとって人称代名詞であり、第一の、それゆえ稀有な孤独にあるもっとも重要な人称なのだ。三人称はひとつの救いである。というのは、常に「わたし」という温和な言葉を用い、全ての動詞に語尾のeを付けることは、不健康だからである。「もつ/ハーベ(habe)」、「考える/デンケ(denke)」、「食べる/エッセ(esse)」、「愛する/リーベ(liebe)」、「洗う/ヴァッシェ(wasche)」、「買う/カウフェ(kaufe)」というように。このモノトーンは何とかならないか。どんな作曲家だって、自分の台本作家にいつもeで終わらせるようなことは許さないだろう。

(『パウル・ツェランと中国の天使』「1 歌うことのできる成長」多和田葉子著 関口裕昭訳)

 

なるほど、小説内の人称がふらふらしている理由が、一応分かりました。ただし、「三人称はひとつの救いである」と言われても、何が救いなのかはわかりません。それに「動詞に語尾のeを付ける」ということにしても、その後にさまざまなeの語尾の動詞があげられてはいますが、ドイツ語のわからない私には「このモノトーンは何とかならないか」などと言われてもさっぱりわかりません。

また「パトリック」という主人公の名前にも理由があるようで、関口さんは「訳注」の中で次のように解説しています。

 

パトリック(Patrik);本来はアイルランド系の名前でドイツ人には少ない。詩人のファーストネームであるパウル(Paul)とその息子(Eric)の融合形とも考えられ、また患者(Patient)とも音が類似している。

(『パウル・ツェランと中国の天使』「1 歌うことのできる成長」脚注20 関口裕昭)

 

これも「訳注」として書かれれば、そういうことなのか、と思いますが、パウルと息子と患者という言葉が関わり合っている、という実感はわいてきません。外国語はむずかしいですね。

 

このように、この短い一節の中で、これだけ言語的な仕掛けがあって、それに主人公の意識の混濁まで加わると、内容をスーッと理解できるわけがありません。これが何かの論説文やエッセイであれば、もっとわかりやすく書いてよ!と言いたくなります。しかし詩や小説の文章の場合、わかりやすければよい、というわけではありません。このように、ごつごつとぶつかるような言葉の使い方をあえて選ぶ、ということもあるのです。

例えばここで、ツェランさんの『死のフーガ』という有名な詩の出だしのところだけ引用しますので、読んでみてください。翻訳の文章は、関口さんが『翼ある夜 ツェランとキーファー』の中に書かれていたものです。言葉の難しさが詩の魅力になっていることがわかると思います。

 

夜明けの黒いミルク私たちはそれを夕べに飲む

私たちはそれを昼に朝に飲む私たちはそれを夜に飲む

私たちは飲むそして飲む

私たちは空中に墓を掘るそこは寝るのに狭くない

ひとりの男が家に住む彼は蛇たちと遊び彼は書く

彼は暗くなるとドイツへ書くお前の金色の髪マルガレーテ

彼はそれを書き家の前に歩み出るすると星々は輝く彼は口笛で猟犬を呼び寄せる

彼は口笛でユダヤ人たちを呼び出し地面に墓を掘らせる

彼は私たちに命令する奏でろさあダンスのために

(『翼のある夜 ツェランとキーファー』「第一章 『死のフーガ』と灰の花」から「死のフーガ」の一節 ツェエラン、関口裕昭訳)

 

ひとつひとつの言葉の意味は、定かにはわかりません。しかし、差し迫ってくる危機感、「私たち」の境遇の悲惨さを、誰もが感じ取れる詩ではないかと思います。墓を掘らされるユダヤ人と、それを命じるドイツ人と、その対立が言葉の繰り返しやリズム感と合わさって、相乗効果を生んでいます。

そもそも「黒いミルク」という言葉が不気味です。何か飲んではいけないものに違いないし、それを毎日飲むことで死へと近づいていくという比喩なのかもしれません。

ツェランさんの晩年の詩について、その難解さに多和田さんが惹かれたということを、先に書きましたが、そのことについて多和田さんが語った部分があるので、読んでみましょう。

 

多和田  最初のページの余白には鉛筆で詩が書いてあって、それが『糸の太陽たち』の一篇だったんですね。そこから私は、この詩集に注目し始めました。

 ツェランは他の詩集でもいろんな専門用語とか外国語を使っています。植物学や物理学の専門家しか知らないような単語を拾い出して詩に使ったために、批評家から批判されることもありました。詩というのは誰が読んでもすぐに心に響くものでなければいけない、辞典で調べなければ意味がわからないような単語を使ったものは詩ではない、といった批判です。でも、まさにこのわからない言葉、知らない言葉との出会いこそが、非常に詩的な瞬間だと私は思うんですね。だって、すぐに理解できることが目的ならば、詩を書く必要はないわけです。大切なのはそこに言葉が、たとえ意味がわからなくても、非常に色濃く存在している、という手触りですね。わからない言葉が詩の中にあることの存在感は、私達の暮らす社会の中に、よくわからない人が混ざっているっていう感じとどこか似ています。その人は遠い異国から来たのかもしれないし、精神の病に冒されているのかもしれない。『糸の太陽たち』のわからなさに少し触れられた気がして、マールバッハ滞在中に、この詩集が一番面白く思えたんです。

(【鼎談】多和田葉子×関口裕昭×松永美穂 文学と文学研究の境界を越える――『パウル・ツェランと中国の天使』をめぐって)

 

後半のところが、とても貴重なコメントです。

「知らない言葉との出会いこそが、非常に詩的な瞬間だと私は思う」というところに、文学者としての感性を感じます。「すぐに理解できることが目的ならば、詩を書く必要はないわけです」というところは、絵画にも通じます。そうでなければ、抽象絵画などは単なる模様になってしまいます。そして、その次の一言が重要です。「大切なのはそこに言葉が、たとえ意味がわからなくても、非常に色濃く存在している、という手触りですね」というところです。「手触り」!やっぱり多和田さんは、触覚的に言葉に触れているのです。前回も書きましたけれど、この触覚的な感性こそ、私が絵画に求めているものなのです。

多和田さんはこの後に「よくわからない人が混ざっている」感じであるとか、「その人は遠い異国から来たのかもしれない」ということを言っていますが、これらのことが多和田さんを異国(ドイツ)へと導いた理由なのかもしれません。同質的な人たちとの関わり合いよりも、異質な人たちとの触れ合いを多和田さんは求めていたのです。そしてそればかりでなく、「精神の病に冒されている」かもしれないツェランさんの言葉だからこそ、多和田さんは『糸の太陽たち』という詩集を「一番面白く思えた」のです。そのときに多和田さんが求めたのは、未知のものと出会ったときの違和感、そのごつごつとぶつかるような感じです。これは一般的には避けたいものだと思いますが、こと芸術においては、この違和感が大切なのです。なぜなら、この違和感を含めて、はじめて人間はその全体性をとらえることができるからです。現代では、見知らぬものを排除するような傾向がますます強くなっていますが、それは自らを同質性の中に封じ込めてしまう、とても危険な状況だと思います。ですから、多和田さんの創作はますます重要さを増しているのかもしれません。

 

偉そうにいろいろと書きましたが、私はどちらかと言えば、こういうわけのわからない言葉や物語が数ページも続くと、その本を放りだしてしまいたくなる人間です。でも、すこしだけ我慢して読み進めると、なんとなく言葉のリズムが頭に入ってきて、読むペースがつかめてきます。

ということで、とりあえず今回は、文学や詩の苦手な私からの読書のお誘いでした。

もう少し深く多和田さんやツェランさんの本を読み込めるようになったら、またご報告します。

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