透析ライフと散歩と写真

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私が糖尿病から、人工透析になった経緯②

2015-08-25 | 透析体験談
糖尿病と宣告されただけではありませんでした。
血糖値が高いのと、タンパク尿が出ていることの他にも高血圧と、
動脈硬化症が起きていること、運動不足であるなどの指摘を受けました。、

食生活の改善は急務でした。
食事はカロリー計算をして食べることと、タンパクと塩分量の制限、
他に血糖値が下がるように、食後の運動をするように、指導を受けました。

今思えば当たり前のことを指導されただけでしたが、
私にはものすごく、ハードルの高いことのように思えました。

しかも私には栄養管理の知識が全くありません。
食事の時間は不規則な上に、美味い料理を自由に食べられる
恵まれた環境でしたが、そのことで体は逆に悲鳴を上げていたのでしょう。

好き放題に食べていた時代は、バブルの真っ最中で、若さもあってか、
いつもカロリーオーバーでした。
仕事は常に忙しく、運動はしなくなり、体重も増えていきました。

身長が161cmしかないのに、最高68kgまで増えた時に
背広のサイズが合わなくなって、初めて少し太り過ぎかなと、
体重が気になるようになりました。

多少気にはなっても、本気で何かしようとは思いませんでした。トホホです。

今思えば、その時が糖尿病になるかどうかの、
分岐点だったように思います。

その後にバブルが崩壊し、仕事は一気に減リ始めて、
商品は売れなくなりました。
この時代、誰もがバブルだと思っていなかったと思います。

私も「随分景気がいいなぁ」ぐらいにしか思っていませんでした。
いつまでも好景気が続くものと、お目出度いほどに安易に考えていました。
バブルだと分かったのは、バブルがはじけてからからのことです。

そこからは仕事を拡大した分だけ、在庫が膨らんでいきました。
仕入れ代金の支払いと、銀行への借入金の返済などで、
瞬く間に赤字体質になりました。

仕事が減り始めると、次第に資金繰りが周らなくなって、
会社を整理することになりました。
数年かけてやっとのことで、債務を終わらせることが出来ました。

私は経営者でもないのに、役員の何人かが抜けた後、
経営の実務に携わったために、一番大変な時を担当することになって、
ストレスが増えました。

そんなことでバブルの全盛期と、崩壊のを両方を
体験することになったのです。
この期間、運動不足と睡眠不足、食事管理なしの他に、
ストレスの増大で気付かぬ間に病魔は進行していました。

会社をたたんでから、私はしばらくリフレッシュの為に休養していました。

そろそろ何かしようと思い、新しい仕事を立ち上げてから数年が過ぎて、
仕事に本腰を入れようと計画していた時に、硝子体出血が起こったのです。

まさしくお先真っ暗になった訳です。

この続きは次回のブログで紹介します。

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