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FX情報整理 

人は自分の見たい情報だけを見て、
信じ込む。だから判断を誤りやすい。
客観的に情報を集め、整理してゆくブログ。

子どもは親を見て育つ

2006年04月21日 07時53分56秒 | 教育
 最近思うのだが、
 なぜ子どもは親に似るか。

 知識も習慣も身近な人間を
 モデルにして習得していくから
 なんだろう。

 電話の声は親兄弟でそっくりになる。
 ならばやはり子どもを成長させるには
 親自身が良き師になることが一番で、
 次に良き師を見つけるという順になる。

 良き師が激減している状況で、
 子どもたちはいったいどう育っていけばよいのか。
 
 実は日本の教育問題の
 諸悪の根源は
 各家庭が子育てに関する
 戦略をもてなくなっているからであり、
 それは初めて親になる人が、
 それを学ぶ場を失ってしまうからだと
 いう話を耳にするが、
 自分が親にされたことの意味に
 気付かなかったせいなのではないか。

 物事の判断は、どのくらい先を見るかによって
 正しい答えがいくつも出てくる。

 大量の宿題が出た。
 締め切りは明日。
 短期的に見れば、
 「勉強ばかりが全てじゃないから」
 「子どもが嫌がっている」
 「睡眠をとらないと成長が阻害されるから」
 などの理由で「やらなくていいから寝なさい」
 となるかもしれない。
 しかし、長期的に見れば、
 「決められたことは何があってもやりとげなさい」
 と教えることが大切なのではないだろうか。
 その上で、なぜそんなに大変になってしまうのか
 を考えさせ、タイムマネジメントの
 必要性に気付かせる。
 
 これを教えられるのは教師ではなく、
 親ではないのか。
 教師では「教える」になってしまい、
 よほどの信頼関係がなければ
 実行させることは困難である。
 親なら「あたりまえ」のこととして
 根付かせることができるはずだ。

 もちろん自分自身がそれだけの
 成長をしていれば、の話。
 会社でそれなりの地位にあれば
 こんなことは当然のことなので、
 父親が積極的に子育てに関わっていれば、
 そう難しいことではない。
 
 お父さんの「もうひとがんばり」が
 日本を救う。
 

海陽学園

2006年04月08日 21時59分52秒 | 教育
 海陽学園がいよいよ始動した。
 日本にはグランゼコールもなく、
 イートン校もない。
 つまり、ビジネスでも政治でも
 海外の猛者と渡り合うだけの
 力を持った人間を育てることが
 できない環境にあるということだ。

 日本の教育のレベルは
 あまりにも低下してしまった。
 学力だけでなく、志の部分、
 人との関わり方、ありとあらゆる部分が
 鍛えられていない。

 さて、そんなわけで私としては、
 こういった学校が誕生することを
 心待ちにしていたわけだ。
 まあ手段についてはなかなかに
 疑問を提起しているようだが、
 
 一般市民が考えていることを
 知るすべはいくらでもある。
 
 今の一般的日本人とは
 かけ離れたほどの人材を育てようというのなら、
 あのくらいの条件は当たり前。

 トヨタからの出向社員の質に全てがかかっている。
 人は結局身近にいる人をモデルにして
 成長していくものだから。
 










スクールウォーズの裏側 2

2005年11月11日 22時44分55秒 | 教育
  そこで効果の大きいものを
 意識的に提示してやる必要がある。
 その役割を果たすのが、
 誇り・目標・成功体験であろう。 

  伏見工業高校にとっては、
 元日本代表が監督を務める
 ラグビー部が存在したことは
 ラッキーだった。
  しかしそれを生かしたのは
 山口先生の熱意と信念である。
  部員たちが大きな目標を胸に抱いた。
 ところが、案の定その道のりは険しい。
 次第にモチベーションは下がる。
 結果がついてこない。  
  しかし、山口先生は
 強固な信念に基づいた行動で
 生徒の心を引き寄せる。
  その信頼は生徒の心に届く。
  生徒に明るさがでる。
  これはこのチームに所属し、
 この指導者と時間を共有することに
 彼らが誇りを持っているからに違いない。
  あとは結果を出すのみ。
 目標としていた花園高校打倒を果たした
 彼らの感動はいかばかりだったか。
 スタンドで見ていただけの
 「弥栄の清悟」の心までも
 溶かしてしまうそのパワー。
 これこそが成功体験である。

  誉れ高かった山口先生に
 あくまで一つ加わっただけに過ぎないこの勲章は、
 しかし、他とは比べ物にはならない大きさだったに違いない。
 ただ、それ以前もそれ以後も
 山口先生の信念にはブレはないことだろう。

スクールウォーズの裏側 1

2005年11月11日 11時11分08秒 | 教育
 テレビで見ていた時は子供の視点だった。
 今回、大人として、
 また、教育に携わる立場として、
 まったく違った思いを抱きながら、
 それでもだんだんと話にひきこまれていた。

 熱い言葉と思いが、
 映像のあちこちにちりばめられていた。
 信頼と誇りの大切さ、
 熱く生きることの気持ちよさが伝わってくる。 

 絶望的な状況でなお情熱を失わなかった、
 山口先生の強固な信念に驚嘆した。
 そして、彼が生徒たちに向かい合うときのテーマ、

 「こいつが自分の子どもだったらどうするか」
 「俺はお前を信じている」

 ここにぶれがなったことが
 生徒たちとの信頼関係を
 作り上げることに成功した源だったのではないか。
 また、

 「言葉は心に伝わらない、心が心に伝わる」

 これが人間関係の基本だと私は思っている。
 山口先生はこの点でもぶれがなかった。

 そして、よく泣く。
 これもこの人の心が活発に活動している証拠であり、
 人の心をノックすることができる
 パワーの持ち主であることを
 示しているのではないだろうか?

 また、グレる子供たちは
 その方法を仕方なく採っているはずだ。
 まっとうな方法では、
 両親や、友人、教員など
 自分の大切なはずの人々から、
 愛や関心、賞賛を
 得ることができなかったからだろう。

 山口先生はそのことを体感していて、
 それがゆるぎない信念を生み出していたように思う。

 子どもたちの心に愛を届ける。
 そうはいっても相手は、
 この人が自分が無意識に求めているものを
 くれるという確信などもってはいないし、
 裏切られ続けてきて、
 他人を信じる気持ちを持続させることが
 困難なはずだ。

バカの壁

2005年10月27日 07時09分11秒 | 教育
 仕事をしていると
 やはり実感する機会は多い。

 バカの壁

 衝撃的なフレーズで、
 否定したくなる人も多いだろうが、
 やはり事実だろう。

 勉強量の差
 知識の差

 こんな生易しいものではない。
 
 志の差
 視野の差。

 たとえば、本田宗一郎の回顧録に

 「『世界のホンダにするのが目標だ』といったら
  ふきだした者がいた」

 との言葉がある。
 これを読んだ当時、私は激しく共感を覚えた。
 まさに

 「燕雀いずくんぞ…」である。

 そういう志の低い人間は
 どこにでもいる。
 本田宗一郎ほどの人の周りにもいるのだから
 凡人たるわれわれに
 こういう人間を感化することができるとは思えない。

 違うところでは、毛利元就が
 10歳の折のエピソードがこれに類する。

 まだ毛利家が吉田郡山の零細領主だったころ、
 元就は家臣二人を連れて初詣に行った。
 願をかけての帰り道、元就が尋ねる。
 「お前たち、なにを願っていたのだ」
 「はい。若が安芸一国の領主になれますようにと」
 これを聞いてため息をついたという。

 「なぜこの日本全てを治められるようにと
 願ってくれなかったのだ。
 願い事などは100願って1かなえられるかどうかだろう」

 作られたエピソードくさいが、
 元就の類まれなる視野の広さ
 発想の違いを表そうとした
 良い話だと思う。

 先天的なものか
 親の影響か。
 はたまた読書の量と質の差か。

 この意味でのバカの壁を
 超えるのは容易ではないだろう。

 今の日本の教育は
 この壁を全く意識していないといっていいだろう。
 欧米との差は
 開く一方だ。

子供は半人前の大人じゃない 講演編

2005年10月10日 15時44分32秒 | 教育
  子供は半人前の大人なんかじゃない
 
 ●●教室に通うようになってしばらくすると、誰もが気づくことがあるはず。宿題が多いとか、先生たちが厳しい、とか。
 とにかく夢中で、言われたことをこなそうとしてきた一年生のころとは違う。
 特に中学2年生のこの時期というのは、この世の中のさまざまなことに対する疑問がわきあがってきて、それを大人に対して問いたくなるころだと思う。

 直接言葉で問いかけられる人もいるだろう。でもどうしていいか分からず、ただ反抗的になってみたり、イライラして過ごしたりするしかない人もいるだろう。方法は違っても、さまざまな矛盾に囲まれている日々だろうと思う。

 「なぜ勉強しなくてはならないのか」

 この疑問にぶち当たらない人はいないだろう。
 僕も学生のころにはそう感じていた。

 しかし、そんなことは本来、他人に答えをもらうようなことではない。
 世界を見渡せば、日々食べるのに困っている子供たちがいる。そのことは恐らく君たちも知っているだろう。

 しかし、知っているだろうか?
 そんな彼らがみな、
 「勉強をしたい!」
と、心から願っているということを。

 知っているだろうか?
 福祉政策もままならない貧しい国の政府が、
 外国から援助を受けて、
 まず第一に教育に力を入れようとしていることを。

 勉強することが、小さくは自分の生活を、
 大きくは国の現状を変える唯一の手段であることを、
 彼らは知っている。

 それはだれに教えられたわけでもない。
 彼らが一人の人間として、生きていくために100%の努力をし、
 100%の責任を果たそうとしているからに他ならない。

 今の日本の子供は不幸だという人がいる。
 その理由は、貧しさを知らないせいで、
 勉強をする必要を感じることができないから、というものだ。

 そんな馬鹿な話はない。

 今の日本で問題にすべきなのは、
 子供を半人前の大人として扱ってしまっていることだ。

 「子供は知らなくていい話」
 「まだ子供だから許されること」

という考えが、世間には強くある。

 日本の子供はこの意味で、大人の社会と切り離されて育てられている。
 だからいざ社会へ出たときの準備が不足してしまう。

 政治のこと、
 経済のこと、
 世界情勢のこと、
そして大人としての責任ということ。

 ほとんどしらないままに社会に放り出され、
 そして年齢的に大人になったというだけで、
 一転して完全な責任を追及されるのである。

 外国ではこんな育て方はされていない。
 食べるに困っている国ではなおさらだ。
「生きるか死ぬか」という生活の中に、
「子供は知らなくていいこと」や、
「子供だから許されること」などあるはずがない。

 君たちは一人前の14歳として、
 あらゆることを知り、そして生きていく上での責任を果たすべきだ。

 日本の教育がこの原則に立って行われていれば、
「勉強をする意味が分からない」
と、言う子供はいないと思う。
 
 子供は半人前の大人ではない。

リーダーシップ

2005年10月06日 00時24分24秒 | 教育
 徳川家康、劉邦、伊達政宗。

 本当の姿がどうだったかはわからないが、すくなくとも強力なリーダーシップを
 発揮して、歴史に名を残した男たち。

 この3人は明らかにタイプが違う。
 
 能力も高いが、徳をも兼ね備えた苦労人、家康。
 柔軟性と人をひきつけるカリスマ性で、良臣に支えられた劉邦。
 圧倒的な能力としたたかさで秀吉に噛み付いた政宗。

 大きく分ければ、リーダー的素養を持つ人というのは、
 このどれかに似てくると思う。

 もっとも先天的な要素が多いのは劉邦タイプ。
 このタイプは自分がリーダーになるべくして生まれたことを自覚すべきだ。
 また、目指そうと思って実現できるものではない。

 政宗タイプも相当な能力が必要となる。
 能力、度胸ともに部下を圧倒するワンマン社長タイプだ。
 
 最後に家康。
 能力も高いが、決断力、忍耐力に優れ、なにより、物事を多面的に
 捉えることができる。
 能力と人徳の両方を備えるこのタイプこそ、
 リーダーとしての究極だと思う。

 プロフェッショナルではなく、さまざまな分野を研究し、
 それを融合させる。その視野の広さゆえに、
 超長期のビジョンを持ち、しかもそれが正確である。

 家康型のリーダーに自分はなりたいと思っている。

 「部下は畏れさせよ。圧倒させてもいけないし、親しみすぎてもいけない。」
 
 
 
 

素朴な疑問

2005年10月01日 07時53分09秒 | 教育
 sisterには、なんでtherが入っていないのか。

 今日、こんな質問を受けた。
 日ごろから

 「なんでもおかしいと思ってみて見なさい」

 といっているだけに、うれしい質問だった。
 
father
 mother
brother

sister  

 たしかに他にはみんなtherがはいっているなあ。

 なんでなんだ?

子供は半人前の大人なのか?

2005年09月30日 00時14分37秒 | 教育
  「子供は一人前の子供だ!大人の出来損ないなんかじゃない!」

 今日、いってやりました。

 小学校5年生の生徒たちに。
 
 なかなか反応よかったと思う。

 日本の子供は単に甘やかされすぎているだけ。
 決して能力が下がったわけではない。

 一番いけないのはおとなが子供を半人前扱いすること。

 子供は一人前の子供であり、半人前の大人ではない。

 だから子供には子供なりの100%の権利と義務と責任があり、

 大人はそれをきっちりと要求したり認めたりしていくべきだ。

 そこが甘いから、いくつになっても責任感がない人間が生み出されてしまう。

 うちの生徒たちは一生懸命話に聞き入り、うなづいていた。

 至福の時間だった。


 自己満?