ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ケンドーナガサキ死去

2020年01月14日 | プロレス

またまた訃報記事の連続です。嫌になりますね。

近年まで「逆説のプロレス」等で数個インタビューに応じていたので。

「日本人、喧嘩最強」と呼び声が高いケンドーナガサキ(桜田一男)が71歳で亡くなっていたそうで。

心臓にペースメーカー入れていたそうですね。

ナガサキの最強列伝は過去に何度か記事にした事があります。

下の記事のその一つです。ここに多く書いたと思いますが

https://blog.goo.ne.jp/tadapyon_1971/e/0dc7bf8d36b422fcaa5ff8532076ad1c

ジャイアント馬場との葛藤も後に「王道の真実」でもインタビューに答えているんですよね。

馬場派では無い日プロ残党の扱いは相当酷かったそうで、冷遇されたナガサキは

天龍がファンクスに弟子入りする時に床山として帯同し、そのままアメリカを主戦場にして。

新日本が引き抜きにかかる前に馬場が渡米した時、プリンストンガ(キングハク)と呼ばれて

「向こう(新日本)には行くなよ」とクギを刺されたものの、何の保証もして貰えないし

プロレス界の先輩坂口から頼み倒され新日本に主戦場を移した時は驚きでした。

私はブロディーのパートナーとして帰国した時の変なマスクを被らされ(ドリームマシーン)

ドリーファンクjrをいたぶっていたのが私が全日本で見た唯一の桜田一男でした。

馬場に感謝している事は日本人レスラーにはケチと知られた馬場がサラリーマン的に

しっかり厚生年金を払ってくれていて、役所に行ったら「後00万円払えば支給されますよ」という事で

残りの額を払い幾らか年金を受け取れた事と。

とにかく、ナガサキが喧嘩最強としてまさかのヒクソングレーシーに挑戦状を出すという

今思えばビックリな事がありました。

(年齢的にMMAはジーンフレイジャーにノーガードで無残に敗退しましたもんね)

あれは大日本プロレスを主動に乗せようとしたG小鹿の策で言われて出ただけ・・との事。

私がTVでナガサキを観れたのは旧UWF参戦前にランボーサクラダとして

新日本に参戦した事。FMWでドラゴンマスターとして栗栖と仲間割れでしたが荒いファイトをした事、

そしてインディーvs新日本のドーム対決で後藤達敏と対戦した事、位ですかな。

後は米国やプエルトリコでのデスマッチ等している姿等が子供心に残っております。

そのナガサキもSWSで分裂した後、NOW代表を務めたナガサキが選手にギャラを払えていないのに

本人は東京にマンションを借り、シリーズ終わる度に飛行機でアメリカに帰っていた事

FMWとの対抗戦を画策した事を始め、鶴見五郎達の反対で追放された、

その事が鶴見が出演したトーク番組で語られておりました。

曲者揃いのプロレス界、SWSの内紛では中立でしたが新団体で組織の上に立つと

色んな綻びが出るモノ、人間の業とは中々皮肉なモノで。

その鶴見の話が印象的でした。そのNOWで借金に処理を業界を微妙に離れていた

G小鹿に助けを求め、後に大日本プロレスへと。

後に小鹿との意見の相違で大日本を離れ、IWAジャパンに参戦しデスマッチや

荒谷と純プロレスをしたり、その後は神奈川で飲食業を営んでいたものの

体調不良で撤退し、千葉に移り海岸で趣味でライフワークの釣りをしている姿が

私が見た最後の姿でした(映像内で)

ナガサキと同時期に日プロに入った木村健悟は本人も一年相撲したものの

同じ角界からプロレス入りした体の大きいキラーカーン(な小沢正志)やナガサキ達と

毎日ガチンコの練習でナガサキ本人も含め相当堪えたとネット番組で語っておりましたな。

そして、三羽カラスと呼ばれた渕、ハル園田、大仁田のトレーナーを

無給でさせられた事、体力面、境遇面でも堪えたと話しておりましたな(カブキも同様)

(三羽カラスでは渕が一番出来て、大仁田はズルして泣く、

そして練習がイマイチな大仁田がビッグネームになるという結果も語ってましたな)

現役を去り、プロレスを去った後に公に色々出てくる裏話、とても興味深かったです。

雑誌インタビューはキムドクとは違い一つの出来事としてあまり重く感じない語り口)

ご冥福をお祈り致します。と言いつつ大きな時代が崩れる様に感じ寂しいモノです。

数年前、この世を去った、日米、プエルトリコでタッグパートナー且つ

犬猿の仲(特にポーゴ側が)のミスターポーゴの早い死もかなり寂しかったですね。

ポーゴはFMWで大仁田の最大のライバルとして極悪ヒール人気を得ましたしね。


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4 コメント

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Unknown (Home In My Shoes)
2020-01-14 20:14:32
過去記事でのナガサキ・前田戦。実に良かったですねぇ。私は当時前田はじめとするUWFシンパで新日壊滅もありかと毎週ワクワクしていたのですが、こちらのナガサキ戦は記憶にありませんでした。

結果はポーゴ乱入という唐突な幕引きでしたが、前田が仕留められなかった、ナガサキ余力あり、一瞬の返し技でのナガサキ勝利ありか、といったムードに感じました。

当時の私が見ていたらショックだったでしょう(*´ω`*)。

ナガサキ、やっぱデカイですよね。この点が他の海外組日本人レスラーよりも頼もしく見えるところでしょうか。それにうまい。脇固めを返してのグランドハーフネルソンはちょっとびっくりしました。弓矢固めはおちょくりも感じて。

あ、思い出した。見ました見ました。前田が典型的なプロレス技決められたと大困惑が仲間内に拡がりましたわ。

この試合見たら、改めて前田との試合を成立させた藤浪の偉大さも感じます。もちろんナガサキの凄みも。

過小評価と言うか、もっと陽が当たってもよかったですよね。合掌・・・。
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Home In My Shoesさん (太郎)
2020-01-15 00:17:56
あら、そうだったのですか、UWFシンパだったのですね。
かなり多くのレスラーが左遷的に旧UWFに送られ大宮スケートセンターで旗揚げ戦
当時まだ新聞だった週プロで読みました。後にUWFに至った真実を知るとショックでしたが。
招待券で後楽園ホール前から3列目で観た事あります。初、佐山サトルでした。
試合前にレフリーのピストルサイン等、試合前に説明していたのが当時イマイチ解りませんで。
(ピストルの意味が当時難解でした)
と、ナガサキの試合は私もリアルタイムでも覚えていないのですよねぇ・・。
入院していたか、塾の補習か・・。
にしても・・・ナガサキはホント余力十分ですよね。
ナガサキは日プロ時代、上田馬之助の付き人務めていたので日プロ残党になったそうですが
その上田もvsUWFの助っ人で本隊から出た時、多くの人を驚愕させましたもんね。
前田を巻き込み心中した事とか。
と、角界でガチコチにぶつかって来た人達ですもんね、
考えてみれば、ナガサキも上田もR木村も凄く頑丈でしたね。
藤波のあの流血はホント、凄かったですね!当時、フォークで抉られたのでは無い
大流血に激しく驚きました。コレはヤバいんじゃないか?と。
因みにアメリカでは散々レスリング上がりの選手にシュートしかけられて
「キュっ」と逆に絞めてやればおとなしくなったよ、なんて淡々と語るインタビュー
(UWF本かな)が逆に不気味な位。
「後ろ(バック)を取れるレスリング出身の選手、凄いですよね。でも負けませんよ。」
そう余裕で語るナガサキのファイトをもし若くて全盛期の時に二期UWFでやっていたら?
そう思ってしまいます。やはり昭和のプロレスファンは「誰が一番強いか!?」を求めてましたしね。
ナガサキの話では新日本・猪木は「相撲取りなんかいらねぇ」と言われリストラ扱いでしたでしょうし
日本テレビとの合意で対等合流とされても馬場派では無い日プロ残党は
ずっと下のカードでやらされ、自主的に辞める様に仕向けられていたので馬場全日本では日の目を浴びれなかったでしょう。
最後、カブキは馬場に頼られたそうですが、馬場に嫌気で一杯だったそうなので
天龍に連れて行ってくれ、全日本に居たくないんだよ、とSWS移籍頼んだそうですし。
そのSWSのスカウトしてたのが若松、ナガサキだったとは・・で。
すっかり長文になってしまいました(汗)

返信する
全日本時代までは…。 (凸椪)
2020-01-15 13:12:22
日本プロレスが消滅したのは、私がまだ高校生の頃だったので、全日本に移籍(?)してから何度か試合会場で観ました(テレビ放映するほどの上のカードではなかったため…)。
ただしドリーム・マシーンとして来日(??)した試合も観(視)ましたが、その時には覆面を被ったのが桜田とは知らずに普通の外人マスクマンとしか思っていませんでした。何でも専門雑誌のインタビューでは、アメリカの某地区で対戦した Dusty Rhodes のことを「ダスティ・ローデス」日本式に呼んでいたので、記者には“正体”がバレていたと聞きました。
ミスター桜田として全日に凱旋した時には、当時、WWFで中堅レスラーとして活躍(?)していたミスター・フジ(ハリー藤原)とのタッグで、セミよりも前のカードで外人側とも日本側とも判然としない中途半端な位地でファイトしていたと思います。会社員時代に名古屋出張の折、愛知県体育館では(まだ絶頂期にあった)ブッチャーとタッグで当たり、桜田・フジ共に血達磨にされ、フジがフォールされるという顛末の試合だったのを覚えています。
新日マットに上がってからは、もっぱらテレビ観戦でしたが、ケンカ最強の称号を欲しいままに…、と言いたいところ、ブロディのキングコング・キックを浴びて一蹴された後には、東スポに「死ぬかと思った…」とのコメントを残していました。やはり上には上がいたものと思いました。
異種格闘技戦に参戦してG・フレイジャーに秒殺された時は、すでに全盛期を過ぎていたのでしょうが、プロレスラー現役時代としては全般的に実力のあった割には人気に反映しなかった例と言えるかと思います。他の世界・分野でも同様でしょうが、ナガサキ(桜田)さんはそんな地味な印象もあって、日本ではトップにもエースにもなれなかったのかと…!?SWS後のNOWでは知りませんけれど。
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凸樫さん (太郎)
2020-01-15 21:03:19
移籍してからはひたすらアンダーカードで日プロ残党同士の取組だったそうで。
おまけに給料は日本テレビからと。日本テレビ所属レスラーですよね。
と、ドリームマシーンは何故かナガサキという事がいち早く子供の耳に入ったんですよね。
なんででしょう。元々チャンチュンというマスクマンでゲーリーハートが
その名前を使わないでくれと頼んだそうで。
下のリンクにナガサキがラジオ出演した時の追悼再放送が1ヶ月限定で聴けますので
良かったら聴いて下さいませ。
と、そのコンビで全日本上がったのですか。初耳でした。
ミスターフジってレスラーとしてはあまり…という話を聞いた事が有ります。
そのブロディーをプエルトリコでぶん殴って「Take It Easy!」とビビらせた逸話も
下のラジオで語られております。「真夜中のハーリー&レイス」のポッドキャストで1ヶ月限定です。
http://blog.jorf.co.jp/bijuuradio/
と、前田戦を見ても、特に前田だからか?地味に感じます。
個人的にSWS自体が天龍以外は新日本、全日本の上に行けなかった選手の寄せ集め
そういうイメージが強かったですね。そして週プロのバッシングも有り。
ジーンフレジャーに惨敗した時はショックだったですね。
年齢的なモノも当然、ノーガードでいたりMMAの練習をしなかったという事大きな敗因ですね。
本人がどれだけMMAやる気が有ったのかは不明ですが。
ただFMWに出た時のストリートファイトマッチはビデオ越しですが凄い迫力でした。
華の大舞台よりインディー団体や後楽園ホールとかだからか?迫力が伝わったのかもです。
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