21年前、ヨーロッパへ行った時に撮ったネガフイルムをCDに保存しました。
過去の思い出として整理した古い画像です。
コロッセオ
ローマ帝国時代、皇帝が市民の人気取りのために実施した政策として「パンとサーカス」がある。
無料で小麦粉を配給し、さらに闘技や演劇などの催し物を提供した。
その政策がさかんに行われていた紀元80年にコロッセオは完成した。
東京ドームの収容人員よりも多い約5万人を収容した円形闘技場。
完成を祝う100日間も続いた式典では、2千人の剣闘士と9千頭の動物の命が失われた。
キリスト教公認後、剣闘は徐々に下火になり、その後コロッセオは廃墟となって石材が収奪され現在の姿となっている。
私が訪れた時は、修復工事のため中に入ることはできませんでした。
コンスタンティヌスの凱旋門
315年、正帝マクセンティウスを副帝コンスタンティヌスがミルビィオ橋の戦いに勝利した記念に建てられた。
帝政末期に建てられたこの凱旋門は、過去の記念建造物から表面の石板をはがして貼り付けられているのが
わかっている。
コンスタンティヌス帝は、330年、自らの名を冠したコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)に遷都している。
又、当時非合法であったキリスト教を公認し、教会を財政的に支援した。
ベィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
ベェネツィア広場に面したこの巨大な白亜の記念堂は、イタリア統一(1860年)を記念して造られた。
また無名戦士の墓も置かれているために、イタリアを訪れる外国元首が礼拝する場所でもある。
古い建造物が多い周囲の景観から少し不釣り合いな感じを受けました。
トレビィの泉
後ろ向きにコインを1回投げ入れれば、もう1度ローマを訪れることが出来るというおまじないで有名な人気観光スポット。
古代のローマに水を供給していた十本の水道のうち、ただ一つ修復されて、現代でもトレビィの泉を
はじめとしてローマ中の噴水に水を供給している。
泉の後ろに建つポーリ宮の壁面と群像が一体となった後期バロック芸術の傑作。
イタリア国家憲兵
日本語では「国家治安警察隊」と訳される、陸・海・空軍と並び、イタリア軍を構成する4軍のひとつ。
平時は警察機関として、有事は戦闘部隊として機能する。
かっこうよすぎる・・・・・・・