少し休息を採りました。
少し眠って、アイスを食べながらDVDを観ました。
僕は、何とか乗り越えています。
あとは母が頑張ってくれれば。
今、病院に向かう電車の中です。
父が少し先に行っています。
さっきまでは、叔母が側にいてくれたようです。
後は母が頑張ってくれれば……。
ひたすら応援です。
側にいて、祈ります。
少し眠って、アイスを食べながらDVDを観ました。
僕は、何とか乗り越えています。
あとは母が頑張ってくれれば。
今、病院に向かう電車の中です。
父が少し先に行っています。
さっきまでは、叔母が側にいてくれたようです。
後は母が頑張ってくれれば……。
ひたすら応援です。
側にいて、祈ります。
病院に呼ばれたんですけど、
結局なんもできなくて、
うろちょろしてたんです。
ホールみたいな待合室で、ジュース飲んだり
テレビ観たり。
そしたら、妻がやってきて
こんなとこにいたって、心残りになるだけだから、声掛けたりしてそばにいなさいよ
って言ったんです。
ボクは、それでおばあちゃんのそばにいって
手を握ったり、声をかけたりしたんですね。
なんもしないよりいいかなあって。
でも、なんだかんだで、それから何日も生きてましたね。
おっちーさん、こういう時、ボクは正直なんて言っていいかわからないんです。
それで、こんなコメントになっちまいましたけど、ごめんなさい。
今、私は、文章塾で、皆様の作品にいくつかコメントし、いただいたコメントへの返事をしてきました。・・・・・・でも、集中できませんっ。匿名ルールのため、おっちーさんの作品が、どれかいまだに、わかりません。どうすることもできないのは、わかっているんですが、ハッピーエンドになって欲しい。
私事で恐縮ですが、自分の父が入院して、旅立った時、そばにいてあげることができませんでした。本当に悲しいことがあったときは、涙も出ないものです。父の闘病生活も長かったです。そのことは、私にとっては、トラウマのようなもので、その時から、時間は返っては来ないものだ・・・時間は大切にしないと・・・としゃかりきになっていました。1分1秒を無駄にすると、なぜだか罪悪感をかんじてしまう自分がいました。でも、何年もたって、ゆったり流れる時間も人間には、必要だと気づいたんです。自分の身体は、自分がいたわってあげなくきゃ誰も、かばってはくれません。大切な人の看病をするためには、まず、自分が健康でないと、できません。おっちーさん、どうか無理をしないで、ご慈愛しつつ看病を続けてください。心おだやかに。
今は「僕もおっちーのブログを読んでるよ」とだけ
伝えておきたくて、書き込みしてます。
そんなことが、おっちーの気休めになると良いのだけれど…
なんと言うか、1人じゃないって信じられる、というか。
確かに待合室は何にも無いんですよね。
ヴァッキーノさんの場合にはテレビがあったようですが、テレビは、待合室どころか、家族控え室にも無い。
確かに出来ることが無くて、変な言い方ですが、「暇」なんです。
こんな時に限って頼みのipodは電池交換の修理に出している最中なのです。
仕方ないので、明日は母に会える時間以外は本でも読んでいるかなあ。
母に会いに集中治療室に入っても、母は8割方薬で眠っているし、話し掛けたり、体に触れても微妙な反応しかない。
叔母なんかはそんな母を見る事自体辛いようです。
僕はそういう時はどんな言葉を掛けたらいいんだろうとか、野口整体の少ない知識から身体にこんな具合に触ると気の巡りが良くなるんじゃないだろか、とか、色んなこと、今までの人生で得てきたもの全てを掛けて、母に呼び掛けを行います。
母はまだ危ない状況ですが、僕は母は生き延びるんじゃないか、と思っているんです。
希望とか願望とかじゃなく、それが一番自然な結果。そう信じられるんです。
母はまだ、生きてやらなきゃいけない事がある。目にしなきゃいけない事がある。経験しなきゃいけない事がある。もっと、何度でも笑顔にならなくちゃいけない。
ここで死んだら、尻切れトンボなんですよ。
だから、大丈夫です。
母はまだ、生きます。
世界の大きな流れが、母を導いてくれるのではないか。
そう思っています。
> こんなコメントになっちまいましたけど、ごめんなさい。
とんでもない!!!
本当に、ありがとう。
ではでは。
大変な状況に追い込まれれば追い込まれる程、頭が冷静になるんです。これは昔から。
多分、父から受け継いだ血のような気がします。
> 匿名ルール
僕の作品が分からない?
実は今回、僕はもんの凄く赤っ恥を掻くような事をやらかしております。
コメントを全部読んでください。
僕、今回「自爆」してますから。
すぐ分かります。
ヒントは「前半」です。(もっと言うと……おっとっと)
それにしても今思いましたが、今回のお題は僕の為にあったもののような……気がしています。
「旅立ち」。それが今回母に訪れるんだとしても、そうでないにしても、今回のお題と、自分で書いた文章の記憶、今の記憶、は僕が死ぬまで忘れません。大切な思い出に為ると思います。
> ゆったり流れる時間も人間には、必要だと気づいたんです。
そうですね。
きっと一番全てがうまくいく時間の使い方というのがあって、それを体現する為に、僕は今も修業をしているのだと思います。
視野を広く、先入観を持たず、自分を知り、気を研ぎ澄まして、でもそれはゆったりと行って、今何をするのが最適なのか感じ取る。
そして実行しながらも感じ続ける。
そうですね。
自分が倒れたら元も子もないし、今以上に父に負担を掛けてしまう。そして母にも。
今のところ大丈夫ですよう。
今の身体でバランス取るのにはようやく慣れてきました。
まあ、ぼちぼちぎゃんばります!
ではでは。
失礼致しましたっ
ありがとうございます。
それはとても励みになります。
それを思うことで、心の命綱が太くなるというか、荒波から海岸線を守るテトラポットが強く・その数が多く、なるような。
そんな安心感を与えて貰っています。
だから、ありがとうございます。
また次の機会には、元気でお会いしましょう!
時の翼に乗るっていうのは、僕流の使い方で言うと、「すべてを時間にまかせる」「時がすべてを解決すると信じる」「やり過ごす」といった意味なんです。
「時はすべてを変える。望む者も望まぬ者も。今の私を苦しめている一大事もいつか朝露のように消えてしまうだろう」・・・なんかで読んだ格言ですが、仕事の悩み、対人関係の悩みについて語った言葉として解釈されているけど、これって処世術そのものだと思うんです。
ん~何を言いたいのでしょうか・・・
今、僕が望むのは・・・いつかきっとまた、数ヶ月前のように、おっちーさんとコメントを書きあったりして、コメント読んで大笑いしたりして、書くことで「心と心のつながり」を持ちたいということだけです。心底書きたくなってからでいいんです。何ヶ月後でも何年後でも。
僕は性格的に「やり過ごす」という事はあまり出来なさそうなんですが、良かったです。いい事を教えて頂きました。
何かの拍子に思い出してその心持ちを使ってみようと思います。多分どこかで役立つ気がします、この考え方。
ある意味「ケセラセラ」というか、なるようになる、時間が解決してくれる、って感じですよね。
僕には無かった回路だなあ。
> 何ヶ月後でも何年後でも。
いやいやそんなに掛かりませんよ。
今でも何か書きたくて仕方ないですもん。
早く小説の続きが書きたい。
コメント投稿したい。
そうです、心の交流を持ちたい。
なんか楽しくなってきました。なんだかなあ。
近々またWeb上でお会いすると思います。
よろしくです。
ではでは。
大変ですね。おっちーさん自身のお身体には本当に気をつけてくださいね
僕の祖母がもうだめだからと、埼玉から奈良まで会いにいったときがありましたが、その後5年以上生きていました。
おっちーさんのお母様もそうでありますように…