おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
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詩作

2019年09月30日 15時55分44秒 | 詩集・つれづれ
何もないここからはじめよう

無いから有るを作るんだ

その初めの一歩見ていてね

種を植えた
水を与えた
芽が生えた
葉っぱが宿った
背が伸びた
枝が伸びた
葉が増えた
太陽さんさん
また大きくなった
枝がたくさん
葉がたくさん
ん?つぼみ?
花の赤ちゃんが膨らんだ
花が開いた
大きく開いた
美しさ極まり
虫が集まる
鳥が枝にとまる
花をつつく
花、花、花
ある日花びらが一枚落ちた
花が散っていく
残されたものは実
花の跡形はない
実は種を宿していた
甘い実は、鳥に種を託して
遠い場所に
新たな実を結ぶ
そこにあった若い木は
自らを成長させながら
新たな種も広めてゆく
そしてその種は
のちにまで栄えるのだ

その一つの過程も
飛ばすことは出来ない

ものを作る
ものを育てるとは
そういうことなんだろう

一つの過程を飛ばせば
どこかでほころびが生まれる

そしていつか破綻する

一歩一歩

一手一手

少しずつ

自然の理に乗っかって

毎日を生きよう
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未練

2019年09月29日 22時34分30秒 | メモ
毎晩、仏壇に手を合わせている。

今日、その際に
「早く死ねますように」
と何のためらいもなく自然に言葉が浮かんできたのでビビった。

その思いに対しての反対する言葉も浮かんでこない。
ああ、これは本当に自分はそう願っているのだな、と。

眠っているのが一番楽である。

そう思うが、一日中寝ているわけにもいかない。

起きると、心配事や、悩みが頭の中を賑わせる。

また、嫌になって横になる。
朝はその繰り返しだ。

寝ている時は、嫌なことを考えなくていい。

自分、何のために生きてるのかと自問する。
今の答えはこうだろう。

生きるためだけに生きてんじゃない?

そこには夢も希望もはさみこまれない。

何か動き出せば、変わるのだと思う。
でも無理に、努力して動き出そうという気にはならない。

時が来たら、また何かに巻き込まれて、何かが変わっていくだろう。

それを待つ。

今、昔解いたテレビゲームをまたプレイしている。
その夢に溢れた物語に、瑞々しい気持ちになる。
求めているのは、こういうことなんだろうなあ、とは思う。

でも、ゲーム以外でそのような気持ちを見つけられそうなのは、映画くらいか。
当たり外れ激しいが。

音楽もやっている。
パートは、カホンとボーカルだ。

今日も練習はしたけれど。

なぜか、声が出ない。

前に良かった頃に比べると、声を出して歌っても気持ちが悪い。
心地よく、声が出ない。

もちろん、持ち合わせているものはたくさんある。

一部のスポーツなど以外は、大抵のものは平均点以上の結果を出せるらしい。

文章、イラスト、デザイン、音楽、ゲーム作り、卓球、バスケ、水泳、などなど。

いざやってみれば、大体はうまくやってみせることができる。

多趣味とも言える。

だから、傲慢なことを言っているのはわかっている。
もっと、すべてを失っている、もしくは持ち合わせていない人はたくさんいる。

その人たちには、なんて言い訳すればいいか。

贅沢なんだよ!

そう言われるだろう。
心の底から。

けれど、だからと言って今から、無理して頑張って輝いて生きようとは思えない。
いくつも似たような失敗をしてきたから。
その人たちのために、、、というのはどこか違和感を感じる。

何を拠り所にして、生きていけばいいか。

それに対する答えはいくつか知っている。

せっかくここまで行き着いたのだから、それらとは違う答えを、自らの力で見つけてみようか。

それが、生きがいになる可能性だってある。

求道者。

かっこよく聞こえるけれど、そんな楽なもんじゃない。

とりあえずは、そっちに向かって歩いてみるか。

よし。
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最近の自分の生き方への考察

2019年09月25日 01時50分58秒 | ふりかえり
まさにこの記事は「振り返り」で、自分自身の考えをまとめるために書くものである。

最近の生活は低調で、精神状態はノイローゼ寸前。お金もないので発散することもできない。

食費を削るために、一食コーンフレーク、一食お弁当か外食の、一日2食でなんとかしているくらいである。
あとは、活動すると腹が減るので寝ている。

タイトルから早々にして逸脱してしまうのだが、いまの状態から、人並みの生活に達するにはどうすればいいか、それを考えていきたい。

まずは、経済状態の復旧。

手は打っている。
来月から定時の仕事を始めることになっている。
フルタイムではなくパートタイマーなので、そんなに稼げるわけではないが、いままでのような不安定な経済環境からは、とりあえず脱却できると踏んでいる。

なので、いまはやることがなく、過渡期ど真ん中である。
だから、考え込んでしまうことが多い。

これから、どう生きていくか。

正直、自分の理想とする生き方、自分自身の「夢」みたいなものがなんなのか、わからなくなってしまった。

結局いままでの「夢」というのは、その時点での生き方を擁護するために形作ったものであったことにも気が付いた。

じゃあ、いまの時点でのそれは何なのか。

率直な自分の持っている感覚を述べる。
「ホッとする時間が欲しい」

いまの私は、「安定」を欲している。

本当のところ、いままでの「夢」に向かう生き方は、極めて不安定なのものである。
正直、私の持っている本質からすると向いていないと思わざるをえない生き方だった。

本当の、自分自身の持つ「人間力」を頼りに、生きる。

かっこいいかもしれないが、当たり前だが実際にやるととても難しい。
自分の力で人生を切り開き、毎日の糧を獲得し、明日を思い描いてそれを実現化する。

書き連ねただけでも、「恐怖」に満ちた人生である。
なかなかそうやって生きていくのは、大変である。当たり前だ!と怒られそうだが。

ふと思い出したのだが、私が前職の会社をやめた際に考えていたことを記す。

このまま今いる会社にいても、自分は成長しない。
ただでさえ自分はハンディキャップを背負っているのだから、自分自身の「人間力」を磨かないと、この社会を生きていくのは難しいと思わざるをえない。
健常者と一緒の社会では、一生、健常者に甘えて生きていくことになる。
そんなのは考えたくない。

障がい者なのだから、障がい者雇用の「配慮」の上で、社会を渡っていくことを選べばよかったのかもしれない。

当時は、今ほどはそういった配慮を社会が形として持っておらず、そのことも私の判断に影響を与えていた。

今は、「バリアフリー」が叫ばれ、社会の通念として障がい者への配慮が普通になってきている。
それは社会に触れてみると、確実に感じることだ。

でも、心のどこかで感じてしまう思い。
「じゃあ、それならば、と甘えていいのか?」

精神の障がいは、目に見えない。
そのことも、私の思いに影響を与えている。

強がりである。プライドを、感じすぎなのかもしれない。

「自分はすごい」と思われたいのかもしれない。いや、そうなのだろう。

こんな大変な障がいを克服して社会で成功した!
そんな場面を夢見ていたのも事実だし、それはつまりそういうことだ。

「身の丈」で生きることなのだろう。

自分をよく知り、感覚を感じ取り、やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。
基本中の基本であった。

私個人としては、「やりたくないことをやらない」ことが難しい。

基本自分は「すごい」と思われたいので、そこで「身の丈」が崩れてしまうのである。

「無理はしない。」

「いや」と思うことをしっかりと感じ取ることが、これからの課題なのだと思う。
そして、いや、と思うことはしない。
自分勝手になる、自分を主張する、しっかり意思決定行動を行う。

   *

そして、他者との関わり方も重要課題である。

私の基本的思考の癖は、「すごいと思われたい」ということ。
そのことが原因で、他者と摩擦が生じる。

一平民でいい、ということに満足して生きる。

ここでもそう。
「身の丈」で生きる。判断する。人と接する。

言葉ってすごい。
こうやって、自分の考えを可視化して、見つめなおせる。

また中身の違う他者同士は、言葉を介して意思の疎通をはかれる。

あとは、、、

自分が幸せであることを、いつも感じていることかな。

満たされているものに意識の焦点をもっていって、不満には目を向けない?ことかな。

そして、無理をしないことかな。

   *

そろそろ休むことにする。
また、こういう文章を書きにこよう。
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新しい社会って?

2019年08月15日 01時59分45秒 | 気づき
例えばだけどさ、就職活動をするとき。

「就職活動用の自分」で、「成功するための行動」をする。

就活相手の会社は、その就活生を見て、それを本当の彼だと「判断」して、就職に結びつける。

こんなおかしいことあるか!!??

それってだって「作った自分」なんでしょ??

「本当の、素の自分」でないものを表に出して、それを本来の自分とする。

その自分のまま、社会に出て、感じてしまう自身との食い違いに悩む、、、ってそりゃあ悩むに決まってるじゃん!!!

私は今の、「タテマエ社会」に警鐘を鳴らしたいです。

ぶっちゃけでいいじゃん、って思っちゃう。
常に本音で生きればいいじゃん、って思う。

全員がそれを始めたとき、新しい社会構造が生まれると思うよ。

どっちがいい、悪いじゃなく、僕はそうなって欲しいと思っちゃうな。
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ひとを思い遣るということ

2019年08月15日 01時26分35秒 | メモ
他人のことを大切にしたいというのは、誰しでもが思うことで。

じゃあ、どの時点での、どの距離での、相手を尊重することが、いちばんその人を思うことになるのか、ということ。

それは非常に難しい判断でして。

例えば僕は、未来のその人が幸せになれるように、相手を思うことにしている。
というか、勝手にそうなっている。

けどこれって、全く報われなくって。

その時点では誰にも?理解されないし、感謝されるわけでもない?

なんとなく、尊重はされるような空気にはなるけれども。
「実績」には全くならないものでして。

じゃあ、その時の相手を尊重する態度を取ろうとする。
そうすると、自分の中でわざとらしくなっちゃって、悪い意味で寒気がする。落ち着かない。

これが私自身の適正であるらしい。
そうなんだから、それが事実なんだから、受け入れてやっていくしかない。
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