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Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

婦唱夫随

2023-12-16 06:00:00 | エッセイ

 

 

後期高齢者ともなって、肩肘張ったところでしようがない。

たとえば夫婦の間において「夫唱婦随」、

妻は夫の意見に従うべきだと威丈高に言ってみても、

現実にはそのように暮らしていくのは難しい。

結婚以来、衣食住すべてにおいて妻任せだった。

そのせいで〝妻離れ〟は簡単なことではなくなってしまっている。

逆に、妻から「ああしろ、こうしろ」と命令されるようになる。

第一線を退いた知人に電話を入れ、近況を尋ねたところ

「妻の部下になっているよ」と苦笑いする始末。

年を取ると否応なしに「婦唱夫随」とならざるを得ないのだ。

ただ、「婦唱夫随」と言ってはみても、これが言うが易し、実に悩ましい。

 

さる新聞の小欄にこんな話が載っていた。

知人の結婚披露宴に呼ばれ、寄せ書きの色紙が回ってきた。

それで「夫唱婦随、婦唱夫随」と書いたところ、

隣の人が「いい言葉ですね」と褒めてくれたそうだ。

「亭主関白でもなく、カカア天下でもなく、

夫婦双方の話し合いで家庭を運営していくべきだ」との思いを書いたのだが、

この人にしても「いかんせん、その実践は難しい」と言っている。

 

何せ、たいていの男は「夫唱婦随」の中にプライドというものを隠し持っている。

「最近の若者は違いますよ」と言っても容易には信じられない。

「婦唱夫随」とは、そのプライドを抑え込んでしまうに等しく、

そう思えば、「いかんせん、その実践は難しい」ということになるのである。

 

 

ただ、「婦唱夫随」に策はある。

〝肩透かし〟という手だ。相手が激しく攻め込んでくる。

いったん、これに応戦はするが、機を見て相手の攻めをするりとかわすのである。

当然、相手は前のめりになるが、転んでしまう前にさっと手を差し出す。

すると、相手は土俵に手をつくことはなく

「まだ負けていない」ということにするのだ。

そして、自らのプライドを損なわない程度の

やんわりとした謝罪の言葉をさりげなく加える。

大切なのはさりげない「謝罪の言葉」だ。これを忘れてはいけない。

 

能に『高砂』というのがある。

結婚披露宴の定番の一つとなっている

「高砂や、この浦舟に帆を上げて…」というあれである。

言うまでもなく、夫婦愛と長寿をめで、人生を祝う大変めでたい能だ。

結婚披露宴でそれを聞き、「そうしよう」と誓った若い夫婦にしても、

年を重ねれば、これまた「いかんせん、その実践は難しい」ことに気付かされる。

「亭主関白でもなく、カカア天下でもなく、

夫婦双方の話し合いで家庭を運営していく」には、

やはり知恵と工夫、それと双方の寛容さが必要なのであろう。