「これ、見て」妻が差し出したのは、
薄茶色にくすんでしまった一枚のはがきだった。
消印は『昭和63年9月15日』となっているから、
35年も前、はがき一枚40円の頃のものだ。
「どうした」と受け取り、表書きを見るなり、その奇妙さにすぐに気づいた。
〝奇妙〟といっても緊張させられるようなものではなく、
思わずニヤリとしてしまいそうな、そんな和やかさを誘う〝奇妙〟さだった。
このはがきはいったい誰に宛てたものか分からない。
郵便にはもっとも肝心な宛名が書かれていないのである。
宛先の住所を見れば我が家宛であるのは間違いない。郵便番号もあっている。
だが、家族の誰に宛てた便りなのか、それが分からないはがきなのだ。
本来なら、宛名が書かれているはずの真ん中あたりを見て、
その〝奇妙〟さに、どうやら合点がいった。
そこには差出人の住所、それに妻の母、義母の名が
宛名と見まがうほど大きな字で書かれていたのだ。
裏返すと、文面には黒のボールペンの字が、
大きかったり小さかったり、あるいは右に寄り左に寄りしながら、
それでも案外と列はきちっと保ってぎっしりと並んでいた。
この年の敬老の日、私たちの2人の娘(言うまでもなく義母にとっては孫)が、
77歳のおばあちゃんに何か贈り物をしたらしい。
娘たちは、「何だったか、よく覚えていない」と言うのだが、
文面には「これを着れば、ばあちゃんも5歳くらい若くなります。
それで、これを病院に着て行ったら、先生がハイカラですねって……。
おまけに、おばあちゃんもハイカラですものねとか言われたので、
大笑いしてしまいました」と書かれているから、
何かシャツみたいなものだったのだろう。
娘たちは当時まだ中・高校生で、そんな孫からのプレゼントとあれば、
それほどのものではなかったはずだが、
「ありがとう、ありがとう」と、何度も繰り返している。
また、「お正月には帰っておいで。お年玉貯めておくからね。待っているよ」と添え、
さらに「お父さん、お母さん元気にして居ますか。
2人ともしごとから帰ると、つかれて居るので、
出来るだけお手つだいして上なさい。
お母さん、少しはらくになるように」とも言い、
さらに「べんきょうも、がんばってね。元気でね。気を付けてね」と、
孫に対する祖母の思いのたけを文面に書き連ねているのである。
数えてみると文面いっぱいに16行あった。
最後の方は、行が重なるようになってしまっている。
そう言えば、表書きの義母の名前の下にも小さな字で追伸みたいに40字ほどあった。
裏の文面だけでは書き足らず、表書きの方にまで書き及んだらしい。
まさに義母の思いが、はがきいっぱいに溢れているのである。
そんな文面なのだから宛名は当然、孫娘になるはずだと思うのだが、
妻は「手紙なんか書くような人ではなかったから、
きっと書き忘れたのでしょう」と言う。
あるいは、孫への気持ちがはやり、
宛名を書かなければならないことにさえ気が回らなかったのかもしれない。
そうに違いない。
ささやかなプレゼントで祖母を喜ばせたを2人の娘は、今はもう結婚し、
私たちも3人の孫がいる祖父母になった。
孫に対する思いは、この時の義母とちっとも変わらない。
宛名のないはがき、これでよく届いたものだ。
文面を読まれたのかどうか知りようもないが、
郵便局の方が義母のこれほどの喜びように
「この便りはぜひ届けてあげよう」と思われたのかもしれない。
やがて義母はがんに倒れ、私たちが住む福岡の病院に入院、
妻は毎日のように通いながら看病をした。
そして、孫にあれほどの思いを示した義母は、
あのはがきが届いた2年後に他界したのである。
妻はこのはがきを書棚の中に大事にしまっていた。
そこには孫への思いとは別に、
義母の自分の末娘=妻に対するいたわりがこめられているようにも思え、
妻はそれを感じて大事にしまっていたのであろう。
「なるほどね」と、はがきを返すと妻はぽろぽろと涙を流し始めた。