食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

イスラムの科学-イスラムの隆盛と食(2)

2020-10-13 23:23:18 | 第三章 中世の食の革命
イスラムの科学-イスラムの隆盛と食(2)
古代における高度な文明と言うと、第一にギリシア文明があげられる。古代ギリシアの文明はローマ帝国においても模範とされていた。このギリシア文明を受け継ぎ、さらに発展させたのがイスラム帝国である。

ギリシアにおいて文明の担い手となった学者たちはお互いに切磋琢磨しながら、自らの専門とする道を極めて行った。例えば、哲学者のソクラテスやプラトンは現代でも多くの人にその名が知られており、またプラトンの弟子である哲学者・自然科学者のアリストテレスは万学の祖とも言われる。一方、ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれ、「人生は短く技術は長い」という彼の言葉はとても有名である。この「技術」を「芸術」に置き換えた言葉「人生は短く芸術は長い」は、誤訳によって生まれたものと言われている。

このような高度な学問が醸成される上で、学者同士の対話や議論、そして教育はとても重要である。プラトンが紀元前387年に創設した学園「アカデメイア」はまさしくこのような役割を担っていた。アリストテレスもアカデミアで学んだ一人であり、多くの優秀な学者を生み出した学問のメッカだった。

アカデメイアはギリシアがローマによって征服されたのちも存続したが、ローマ帝国がキリスト教を国教にしてからしばらくすると、キリスト教の思想以外を教える学校の閉鎖政策によって529年に約900年の歴史に幕を閉じた。その結果、多くの学者は活動する場所を失ってしまったのだが、そんな彼らを受け入れたのがササン朝ペルシアだった。ササン朝はチグリス川流域の首都クテシフォンの近くのグンデシャープールに哲学や医学、科学の研究施設を設立して彼らの活動を援助した。この施設では、ギリシア人以外にインド人や中国人の医者や学者、技術者が招かれて研究が行われていたと言われている。

640年頃にイスラム勢力によってグンデシャープールが征服されるが、その後もこの研究施設は生き延びた。そしてアッバース朝になると、首都バグダードに新しく設立された学院に統合されたようだ。こうしてイスラム帝国ではバクダードが学問の中心となる。

アラビア半島から出てきたアラブ人が出会った新しい学問には、哲学や論理学、幾何学、天文学、医学、博物学、地誌学、植物学、錬金術などがあった。このような新しい学問を広めるために、ギリシア語からアラビア語への翻訳が盛んに行われた。中でも、第7代カリフのマアムーン(在位:813~833年)は「バイト・アル=ヒクマ(智恵の館)」と呼ばれる大きな図書館を備えた研究施設をバクダードに作り、たくさんの科学者を集めて翻訳と研究を行わせた。こうして10世紀から11世紀には、イスラムの科学は空前の発展を遂げた。

その中で、食にも関係ある化学の分野について見て行こう。

化学は、安い金属(卑金属)を金に変えようとした「錬金術」から生まれた。錬金術は古代ギリシアや古代エジプトで生まれたと考えられており、その起源はかなり古い。この錬金術がイスラム帝国で大きく発展し、「化学」と呼べる学問が誕生するのだ。

錬金術師たちはさまざまな物質について実験を繰り返し、酸やアルカリなどの単離などに成功している。このような化学技術の中でも「蒸留」技術の進歩は、食の世界で特に重要である。なお、蒸留についてはインダス文明やメソポタミア文明においても知られており、技術的には古くからあるものだったが、イスラム帝国において技術的に確立するのだ。

8世紀の錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーンは金や白金を溶かす王水(塩酸と硝酸の混合物)を考案したことで有名だ。また彼はアランビックと呼ばれる蒸留装置を考案したと考えられている。


     アランビック

9世紀には錬金術師のアル=キンディがアルコールを初めて蒸留したと言われている。また、彼は、バラの花からバラの香りを含んだオイルを蒸留によって精製する方法についても記している。彼の本には100を越える香水の調合法が紹介されている。

そして11世紀になって、コイル状のパイプを用いた冷却槽が発明され、効率よく蒸留が行えるようになった。パイプの中に水を流すことで、アルコールの蒸気などを急速に冷やして液体にすることができるのである。

やがて、イスラムの科学はヨーロッパに伝えられることになり、ヨーロッパの科学が発展する要因の一つとなった。蒸留技術もヨーロッパで広がり、ブランデーなどの蒸留酒が作られるようになる。

ところで、アラビア語で錬金術を意味する「al-kīmiyā」は英語の錬金術「alchemy」の語源となっており、ここから「al」が取れて「chemistry(化学)」という言葉が生じた。「al」は英語の「the」に相当するアラビア語の定冠詞で、「アルコール(alcohol)」は「さらさらしたもの」を意味するアラビア語の「アル=コホル(al-khwl)」が語源とされる。

このように、イスラム科学の歴史的な重要性は明らかのように思えるが、欧米ではイスラムの科学の重要性は過小評価されているようである。


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