大航海を支えた保存食-大航海時代のはじまりと食(2)
大航海時代に帆船でヨーロッパからアジアやアメリカに行くには長い時間がかかりました。例えば、コロンブスはアメリカ大陸への航海を4度行っていますが、いずれも片道に2カ月ほどを要しています。かかった時間と距離から計算すると、1日100 km進むのがせいぜいだったようです。
このような長い航海で問題になったのが食料です。当時は冷蔵庫が無かったため、高い気温でも長期間にわたって保存できる食べ物が必須でした。それでは、当時の海の男たちは船の上で何を食べていたのでしょうか?
今回はこのような長期間の航海を支えた食について見て行きます。
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ヨーロッパから中南米に行くのにも喜望峰を回ってアジアに行くのにも、高温の熱帯の海域を通る必要がある。さらに海の上なので湿度も高い。こんな悪環境で長持ちする食品はなかなかなかった。
陸上の一般的な保存食であった塩漬けの肉や魚は長くはもたなかった。これらは高温多湿の状態では次第に腐り始め、ウジがわいてドロドロになったそうだ。
また、炭水化物源として積まれていたものが「ビスケット」だが、これもコクゾウムシがわいたりネズミに食べられたりしたそうだ。なお、ビスケットは二度焼きにしたパンのことで、現代の乾パンに近いものだった。堅くて不味くて、船乗りに嫌われていたそうだ。
このような中で最も長く保存できたものが「タラの干物」だ。タラと言っても日本で食べるマダラやスケソウダラとは別の種類のタイセイヨウダラという魚で、脂分が少なく乾燥させるとカチコチに固くなって長期保存ができるようになるのだ。日本でもマダラを乾燥させたボウダラが伝統的な保存食になっている。
タイセイヨウダラの干物には身をそのまま天日で乾燥させたストックフィッシュと、軽く塩漬けしたあと乾燥させたソルトフィッシュの2つがある。
ストックフィッシュは10世紀以前からノルウェーの北西部で作られるようになり、ヴァイキングの航海時の重要な食料になっていた。14世紀にはハンザ同盟がストックフィッシュの貿易を独占するようになり、同盟の重要な交易品になっていた。なお、ストックフィッシュという名前は、タラが「ストック」と呼ばれる木製のラックに吊り下げられて干されたことから付いた。
一方のソルトフィッシュは主にイギリスで作られたもので、とれたタラを船上で軽く塩漬けにし、港に戻ってから天日干しして作った。ソルトフィッシュはストックフィッシュよりも保存性が良く、大航海時代に重宝されるようになる。
ストックフィッシュとソルトフィッシュには、軽くてかさばらないので保管しやすいという利点もあった。こうしてストックフィッシュとソルトフィッシュは大航海を支える重要な保存食となったのである。「タラが無かったら大航海時代は来なかった」と言われることがあるが、これはまんざら誇張でもないようだ。
さて、カチコチのストックフィッシュやソルトフィッシュを食べるには下処理が必要だった。日本でボウダラを調理する時には水に何日もつけて柔らかくするが、同じようにストックフィッシュやソルトフィッシュもトンカチなどでたたいて小さくした後に布袋に入れてから海水につけることで柔らかくした。それから肉のように焼いて食べるのが一般的だったらしい。
ところで、コロンブスの次に新大陸に到達したのはカボットというヴェネツィア人で、彼はイギリスの商人から依頼を受けて西方への航路を開拓した。実は彼が目指したのはジパング(日本)だったが、コロンブスと同じようにアメリカに行きついてしまったのだ。彼が到達したのは、コロンブスが着いたところよりも北の、おそらく現在のカナダ沿岸だと考えられている。そこで彼が見たのが海を泳ぐ大量のタラだった。この発見以降、カナダ沖のタラはヨーロッパ諸国の争いの元となる。そして、最終的に勝利したのはイギリスだった。
タイセイヨウダラは現在でも南ヨーロッパやイギリスで人気がある魚で、ポルトガルでは毎日違う料理を作れるほどタラを使ったレシピが豊富と言われている。また、イギリスのスナックの定番である「フィッシュ・アンド・チップス」もタラとポテトをフライにしたものだ。これらの国々ではタラの料理は国民食と言っても良いかもしれない。