大航海時代の帆船-大航海時代のはじまりと食(3)
人類は様々な道具を作り出してきました。そのような道具の歴史を眺めていると「必要は発明の母」という言い方はもっともだなと思うことがよくあります。今回は大航海時代の初め頃に使用された帆船を取り上げますが、それらが生み出された経緯を見ると、当時の帆船も必要に迫られた結果生まれてきたことがよくわかります。
なお、今回は番外編のようなもので、食の話はほとんどありません。
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大航海時代の初め頃に主に使用されていた帆船のタイプは、「カラック船」と「カラベル船」と呼ばれるものだった。コロンブスがアメリカ大陸を発見した航海では、1隻のカラック船(サンタマリア号:コロンブスの乗船)と2隻のカラベル船(ピンタ号とニーニャ号)が使われた。マゼランの世界一周ではビクトリア号(マゼランの乗船)を始めとする5隻のカラック船が使用された。
一般的にカラック船は大きく、船底が平らで大量の荷物が乗せることができたが、小回りが利きにくいという欠点を持っていた。一方のカラベル船はカラック船より小型のものが多く、速度も速くて小回りも利いたため沿岸の浅瀬や河川を探検することが可能だった。このため、物資などの輸送目的にはカラック船が主に使用され、探検が主になる時はカラベル船が使われた。以下にカラック船とカラベル船について詳しく見て行く。
大航海時代の大量輸送を支えたカラック船
カラック船は海外進出に注力していたポルトガルが15世紀に開発したヨーロッパで最初の遠洋航海用の帆船だった。カラック船は大航海時代を代表する帆船となり、15~16世紀にはポルトガルとスペインなどで盛んに建造された。
カラック船の特徴は次の通りだ。
・全長と全幅の比は3:1で船体は丸みをおびてずんぐりとしており、大量輸送に適した広い船倉を持っていた。
・3~4本のマストを持ち、前方のマストには四角形の横帆(おうはん)が張られ、後ろのマストには三角形のラテンセイルと呼ばれる縦帆(じゅうはん)が張られた。
・船尾中央舵を有した。
・船首と船尾に船楼と呼ばれる家のような複層の構造物が設置されていた。
カラック船(サンタマリア号)
カラック船は北欧のコグ船と呼ばれる帆船と南方の帆船の長所を組み合わせることで生み出された。コグ船は、北欧のヴァイキングが使っていた「クリンカー造り(clinker-built)」(板の一部を重ね合わせて張る構造)を受け継いだ中型の帆船で、13世紀~15世紀にハンザ同盟などによって主に近距離貿易で使われていた。
コグ船
コグ船からカラック船に受け継がれたのが「四角形の横帆」「船尾中央舵」「船楼」である。
「横帆」とは、船首と船尾を結んだ線に垂直に張られた帆のことだ。横帆は追い風(順風)をしっかりと受け止めて強い推進力を生み出すため、外洋などで常に進む方向に向かって風が吹いている時に最も活躍する。しかし向かい風(逆風)ではほとんど機能しなくなる。また、大きくなると扱いにくくなるので、大型帆船では一つのマストの上下に2枚以上の横帆を張るようになった。
「船尾中央舵」はその名の通り、船尾の中央に固定された舵(かじ)のことで、12世紀の終わり頃に発明されてコグ船に導入されたものだ。それまでの舵は船尾の両側に吊るされていたオールで、曲がりたい側のオールを海水に沈めて抵抗を生み出すことで方向を変えていた。船尾中央舵が取付けられたことによって、船を旋回させたり直進させたりが容易になった。なお、中央舵の舵輪は船尾楼に設置されていた。
また、「船楼」には大砲が置かれていて、防御や攻撃のための役割を果たしていた。海面からかなり高い位置に大砲があるため、敵が小舟に乗って襲ってきても攻撃を受けにくいし、逆に攻撃しやすいという利点があった。ポルトガルがアジアに拠点を築く上で、この船楼の大砲がかなり活躍したと言われている。
一方、南方の船から受け継いだのが船体の外板が「カーヴェル造り(carvel-built)」であることと、三角形の「縦帆(ラテンセイル)」だ。
外板の「カーヴェル造り」は8世紀頃から地中海を航行する船に用いられていた工法で、図のように板を平らに張り合わせていくやり方だ。先のコグ船の外板の「クリンカー造り」に比べて、同じ量の木材を使うとカーヴェル造りの方が大きな船を作ることができるのだ。これがカラック船に導入されることで広い船倉を確保することができた。
「縦帆(ラテンセイル)」とは、船首と船尾を結んだ線に垂直に張られた帆のことだ。
縦帆は横帆に比べて風の力を推進力に変える効率が低いものの、向かい風(逆風)でも船をジグザグに進ませることで風上に向かうことができる。また、船を旋回させることで舵の役割もする。このように縦帆が登場したことによって、人類は海の上を自由に航行できるようになった。なお、縦帆はアラブ人が開発・発展させたものをイタリアのジェノヴァ人やヴェネツィア人が広く使用したことから「ラテンセイル」と呼ばれた。
カラック船では横帆と縦帆を組み合わせることで、どのような状況でも船を目的地に向かって進ませることができた。こうして生み出されたカラック船はその積載力を生かして軍艦としても商船としても大活躍した。
冒険者のためのカラベル船
カラベル船はもともとポルトガルの沿岸部で使用されていた漁船をベースに15世紀に開発されたもので、次のような特徴を持っていた。
・小型の帆船で、船体は木の板が平たんになるように並べられた「カーヴェル造り」で作られた。
・2~3本のマストを持ち、縦帆である三角形のラテンセイルが張られていた。
・船尾中央舵を有した。
・船楼は持たなかった。
カラベル船
カラベル船がポルトガルで開発されたのは、彼らがアフリカ西岸を南下してアジアへの航路を開拓していたからだ。アフリカ西岸を南下するときは追い風(順風)だが、帰りは向かい風(逆風)になるためラテンセイルが適していたのである。アジアへの航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマもカラベル船を多用した。
喜望峰を回ってアジアへの航路が拓かれると追い風の場合に備えて、横帆を張るための4本目のマストが追加されたり、メインマストに横帆を張ったりするようになった。
大航海時代の初め頃はポルトガルやスペインの探検家は主にカラック船を用いていたが、未知の海域を調査するという目的にはカラベル船の方が適していることが認知されるようになって、こちらの方をメインに使用するようになった。つまり、カラベル船は操舵性と速度に優れ、運用にカラック船ほどの人員が必要がなかったため、冒険者にとっては最適な帆船だったのである。