食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

レコンキスタとイベリコブタ-中世後期のヨーロッパの食(5)

2020-12-28 20:28:32 | 第三章 中世の食の革命
レコンキスタとイベリコブタ-中世後期のヨーロッパの食(5)
「レコンキスタ (Reconquista)」とはスペイン語で「再征服」という意味で、イスラム勢力によって奪われたイベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻す「国土回復運動」のことを指します。

このレコンキスタの達成によって、大航海時代前半の主役となる「ポルトガル王国」と「スペイン王国 (帝国)」が誕生します。

今回はレコンキスタとスペインの名産品「イベリコブタ」について見て行きます。

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イスラム勢力は711年に北アフリカからジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に進入し、ゲルマン民族が建てた西ゴート王国を滅ぼした。その結果、715年までに最北部を除いてイベリア半島の全域はイスラム勢力に支配される。

そして756年にウマイヤ王家のアブド・アッラフマーンによって後ウマイヤ朝(756~1031年)が建国された。首都はコルドバであり、10世紀には西ヨーロッパ最大の都市として繁栄した。なお後ウマイヤ朝では、キリスト教徒とユダヤ教徒は税金を納めれば信仰と財産の保有が認められていた。



イスラム勢力が支配したことによって、イベリア半島にイスラムの進んだ技術が持ち込まれ、その結果イベリア半島はそれまでよりも大きな発展を遂げることになる。例えば、水車を用いた灌漑技術が導入され、荒れ地の開拓が進んだことによって農地が大きく拡大した。

新しい農地では、コメやオリーブ、レモン、オレンジ、ナツメヤシ、サフランなどが栽培された。なお、オリーブはそれより以前にギリシアから持ち込まれていたが、ムスリムがオリーブオイルの美味しさに気が付いて栽培を拡大させたのだ。

ところで、コメ・オリーブオイル・サフランはどれもスペインの国民的な料理「パエリア」の材料だ。パエリアは肉や魚介類、野菜をオリーブオイルで炒めた後、コメとサフランを加えて平たいフライパン(パエリア鍋)でスープと一緒に炊きこんだ料理だ。スペインでは日本と同じようにイカやタコ、エビ、貝などの魚介類をよく食べるが、これらはハラルであるため(イスラム法で許されているため)ムスリムも食べたのである。このようにパエリアはイスラムの食文化を起源としている。

また、ムスリムの造船や操船の技術はインド洋という外洋を航行するためヨーロッパより進歩していたが、これがイベリア半島に伝わったことで大航海時代にスペインやポルトガルが使用する船舶に利用されることになった。

さて、一時期は繁栄を極めた後ウマイヤ朝であったが、後継者争いなどによって衰退し、1031年に滅亡した。すると、イスラム勢力はタイファと呼ばれる小王国に分裂したため勢力が衰え、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が勢いを増すことになった。

なお、イベリア半島の北部では718年にキリスト教国のアストゥリアス王国が建国されており、この年がレコンキスタ元年とされることが多い。その後、レオン王国やカスティーリャ王国、アラゴン王国などのキリスト教国が建国され、領地回復の戦いを続けた。

11世紀に優位に立ったキリスト教国であったが、その後は北アフリカのイスラム教国の介入などによって一進一退を繰り返した。そして12世紀の終わり頃になると、今度は北アフリカのイスラム教国ムワッヒド朝の攻勢によってキリスト教国は窮地に立たされることとなる。

これを救ったのがローマ教皇インノケンティウス3世だ。彼が西ヨーロッパ各国に「十字軍による聖戦」を呼びかけた結果、キリスト教連合軍が結成される。連合軍とムワッヒド軍は1212年に現在のアンダルシア州北部のナバス・デ・トロサで大規模な戦闘を行い、キリスト教連合軍が大勝利をおさめた。これ以降、イベリア半島ではムワッヒド朝の支配力は急速に衰え、小さなイスラム勢力の国々が残るのみとなった。

カスティーリャ王国とアラゴン王国、そしてカスティーリャから独立したポルトガル王国は次々とこれらの小国を滅ぼし国土を拡大して行った。そして、カスティーリャ王国とアラゴン王国の統合によって誕生したスペイン王国が1492年にイスラム勢力の最後の拠点グラナダを攻撃し、アルハンブラ宮殿を無血開城させてレコンキスタが完成する。ちなみに、同じ年にはスペイン王の命を受けたコロンブスが大西洋の横断に成功している。


アルハンブラ宮殿(Pablo ValerioによるPixabayからの画像)

領土を回復したスペイン王国はユダヤ教徒の財産を没収して国外に追放した。また、当初は信仰を認めていたイスラム教徒に対しても最終的に追放令が出された。スペインに留まることが許されたのは、キリスト教(ローマ・カトリック)に改宗した者だけだった。

さて、スペインは豚肉をよく食べる国である。国民1人当たりの豚肉消費量はEUの中でもトップクラスで、1年間に約40キログラムもあるそうだ(日本人は15キログラムくらい)。また、イベリア半島南西部の山間部で育てられる「イベリコブタ」はスペインの特産品で、日本人にも大人気だ。

イベリコブタの最大の特徴は肉の中に霜降りがあることだ。イベリコブタには等級があり、最高級のベジョータは樫の木の森で放牧して2ヶ月以上どんぐりの実を食べさせたものだけに与えられる等級だ。こうすることで肉質とともに赤身と霜降りのバランスが良くなり、とても美味しい豚肉になると言われている。


イベリコ生ハム(Ben KerckxによるPixabayからの画像)

ところで、スペインが豚肉好きなったのはイスラム教徒やユダヤ教徒に対する反発があったからだという説がある。豚肉はイスラム教でもユダヤ教でも食べてはいけない肉だ。その肉をたくさん食べることで「キリスト教徒」であることを誇ったというのだ。また、表面上だけキリスト教に改宗したイスラム教徒やユダヤ教徒に対する「踏み絵」という意味もあったと言われている。

しかし、一番大きな理由は自分たちが作った豚肉(特にイベリコブタの肉)がとても美味しかったからだと私は思っている。