食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

西ヨーロッパ上流階級の食-中世盛期のヨーロッパと食(7)

2020-12-03 18:22:17 | 第三章 中世の食の革命
西ヨーロッパ上流階級の食-中世盛期のヨーロッパと食(7)
今回は西ヨーロッパ中世盛期の王族や大貴族の食を見て行きます。
中世都市の発展とともに封建社会の頂点を占める彼らには多くの富が集まってきました。そして彼らは当時としては最も豊かな食生活を送っていたのです。

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「中世盛期の都市生活」でお話ししたように、西ヨーロッパの中世都市の多くは冒険商人が作り上げた。彼らは司教などの封建領主の領地の近くに集落を作り、領主の領地を取り込む形で新しい都市を作って行った。

当初、都市は領主によって統治されていたが、やがて商人たちは一致団結して自治権を求めるようになり、戦いなどによって要求を実現させた。なお、商人たちは「都市の自由を守るために互いに助け合い、共同して敵に立ち向かう」という宣誓を行っており、個人の自由よりも都市の自由が優先された。こうした都市を「宣誓共同体」(フランスではコミューン)と呼ぶ。


中世都市の面影を残すオルヴィエート(Valter CirilloによるPixabayからの画像)

こうして自治権を獲得した都市が生まれ始めると、宣誓共同体ではない都市の住民たちも自治権を持ちたいと思うようになった。この時になって大領主であった国王や大貴族、有力な司教たちは、商人の味方をした方が自分たちにはうま味があることに気づき始める。自治権を売ったり、自治権を認める代わりに税などの義務を負わせたりした方が得になると考えたのだ。

その結果、たくさんの中世都市が生まれるとともに、国王や大貴族、有力な司教たちが富を蓄えるようになる。そして、国王が経済力をつけることよって、国王の権威が高まることになった。金のない地方領主が大金持ちの国王に従属するようになったのだ。国王をはじめとして各地の領主が勢ぞろいした十字軍では、地方領主は豪華な武具に身を包んだ国王を見て畏怖の念を抱いたという。

「騎士道」と呼ばれる騎士の行動規範が求められるようになるのもこの頃で、「キリスト教を信仰し教会を守る」「弱者を保護する」「国を愛する」「敵と戦う」「異教徒を退ける」「臣従の義務を果たす」「他者にほどこす」ことなどが求められた。

「気前が良い」ことは騎士の美徳とされ、市場で高価な食材を大量に買ってきて家臣や仲間に食べさせるのは日常茶飯事だったという。また、中世前期には上流階級でも肉の炙り焼きなどの単純な料理が多かったが、十字軍によってビザンツ帝国やイスラム帝国の料理や材料が西ヨーロッパに持ち帰られた結果、スパイスなどを利用した凝った料理が作られるようなった。

こうして中世盛期の王族や貴族社会では、中世前期に比べてぜいたくで手の込んだ料理が食べられるようになったのだ。

12世紀頃の貴族の食の基本は肉・パン・ワインだった。また、卵とチーズも重要な食材だった。野菜はほんの少ししか食べず、また果物もあまり食べなかった。ゲルマン民族の嗜好がまだ強く残っていたのである。

肉はメンドリや若いニワトリ、ガチョウのものが極上とされ、ヒツジの肉とブタ肉がそれらの次に好んで食べられた。また、森の開拓のために数が少なくなったが、狩で獲られたクマの肉やシカ肉もとても喜ばれたという。

肉は風味を増すためとやわらかくするために、最初にボイルするか湯通しされた。その後、コショウなどの香辛料とタマネギやニンニク、塩などでしっかりと味付けされて、鍋やフライパン、グリルなどで調理された。串刺し肉のローストは依然として人気があったという。また、ラードなどの油でフライにされることもあった。

キリスト教では断食する日や期間が決まっていて、肉・魚・卵・バターやチーズなどの乳製品や、油(オリーブオイル)・ワインを摂ることは許されていなかった。しかし、ローマ・カトリック教会では次第に魚は食べても良いことになった。そこで断食日の王族や貴族の食卓では、魚を使って肉や卵の模造品が作られるようになった。また、魚の定義も広げられて、クジラやビーバーが魚として食べられるようになった。

食材は主に市場で購入された。地中海貿易が活発になったことから、香辛料や砂糖のような珍しいものも店頭に並ぶようになっていたという。と言っても、砂糖は主に薬として利用されており、甘味付けにはハチミツが使われていた。

市場で購入された食材は宮廷やお城の厨房に運ばれて、料理専門の使用人によって調理され、多種多様なメニューが生み出された。厨房の中で最も大事だったのがパンを焼くかまどで、精錬度の高い「白い小麦粉」からふっくらとした白パンが焼かれていた。

中世の庶民の食卓では堅い板状のパンが皿の役割を果たしていたが、上流階級では金属や陶磁器、高級木材の皿が使われていた。食具としてはスプーンやナイフはあったが、フォークはまだなく、肉などは手づかみで食べていたという。フォークの使用がヨーロッパで一般的になるのは16世紀以降のことである。