食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

渡来人と日本の発展-古代日本(6)

2020-09-03 17:00:22 | 第二章 古代文明の食の革命
渡来人と日本の発展-古代日本(6)
知識や技術は人を介して伝えられる。例えば、日本に稲作を伝えたのは中国大陸からの「渡来人」である。同じように、3世紀後半から7世紀頃までの古墳時代においても中国や朝鮮半島から数万人規模の渡来人が日本にやって来て、漢字や仏教、そして灌漑技術や養蚕技術などの様々な先端技術を伝えた。渡来人の多くはそのまま日本に住みつき、先住の人々と交わって子孫を残すことで現在の日本人の祖先の一人となった。

渡来人の先進的な知識や技術はとても貴重で国家の発展に役立ったため、ヤマト王権やその後の朝廷は土地や官位を与えるなどして彼らを優遇した。その結果、渡来人たちの氏族(共通の祖先を持つ血縁集団)は次第に勢力を拡大し、様々な分野で大きな影響力を発揮するようになる。今回はこのような氏族の中でも農耕に関係の深い「秦氏(はたし)」をとり上げて、渡来系氏族が果たした役割について見て行こうと思う。

秦氏は3世紀後半もしくは4世紀後半から5世紀初頭にかけて、1万人以上の規模で中国大陸から日本に渡来してきた一族である(渡来してきた時期や人数についてはいくつかの説がある)。彼らは秦の始皇帝の末裔とも、百済人であるとも、または新羅人であるとも言われるが、真偽ははっきりしない。

秦氏は現在の北九州を最初の居住地としたが、やがて瀬戸内海沿岸を通って近畿地方や四国地方に進出した。一部はさらに北陸や関東地方にも移動して集落を作ったとされている(例えば神奈川県秦野市)。中でも中心となった拠点が山背国葛野郡(現在の京都市西部の右京区太秦)と山背国紀伊郡(京都市南東部の伏見区深草)である。

秦氏は、灌漑技術を含む土木建築技術や養蚕・織物、酒造、製塩、水運、そして鉱山開発と冶金の技術に長けていた。京都では5世紀後半から桂川や鴨川などの河川の治水工事を行うことによって豊かな農地を生み出した。当時としては最先端の葛野大堰と呼ばれる古代ダムを建設するなど、その技術は非常に高かったと推察される。また、養蚕や機織り、酒造などを広めた。この結果、秦氏は平安京成立以前の京都盆地においては賀茂氏と並ぶ有力な氏族となっていた。なお、賀茂氏は、Jリーグのシンボルマークである八咫烏(やたがらす、神武天皇が東征した時に道案内をしたと伝えられる)を始祖とし、京都北部の治水を行うとともに、上賀茂・下鴨神社の神職を務めていた氏族である。秦氏と賀茂氏は婚姻関係を結ぶなど仲が良かったと言われており、協力して京都の開拓を進めたと考えられている。

こうして京都は平和で豊かな土地となったことから、794年に桓武天皇によって平安京に遷都が行われる。遷都にあたっては秦氏と賀茂氏は大きな役割を果たしたと推察されている。特に秦氏の貢献度は高かったようだ。平安京の造営長官だった藤原小黒麻呂(おぐろまろ)の妻は秦氏出身で、秦氏からの技術面や資金面からの援助がかなりあったと言われている。また、都を造るための資材は秦氏が整備を行った桂川を使って運搬されていたことや、秦氏が水運技術や土木建築技術に長けていたことから、都造りで中心的な役割を果たした可能性が高い。

さらに秦氏は有名な神社仏閣の造営を行い、神道や仏教の発展にも貢献した。まず、秦河勝が聖徳太子(574~622年)より下賜された弥勒菩薩像(現在は国宝)のために、京都最古の寺院である広隆寺を建立した。また、前回登場した五穀豊穣の神様を祀る伏見稲荷大社や酒の神様を祀る松尾大社、蚕の社とも呼ばれる木嶋神社(このしまじんじゃ)を創建したと伝えられる。さらに、祇園祭の八坂神社にも関わりがあると言われている。一方、京都の外に目を移すと、八幡宮の総本社である大分県の宇佐八幡神宮や、香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)の創建にも現地の秦氏が関わったと言われている。


   伏見稲荷大社の参道から

秦氏は秦河勝が聖徳太子の側近として活躍した以外は政治の表舞台には立たず、中央や地方の比較的下級の官僚として行政を支えた。また、技術者、商人、あるいは文化人として民間で活動する者も多かったようである。秦氏の中で歴史上有名な人物としては、浄土宗開祖の法然、絵師の狩野山雪、猿楽の観阿弥・世阿弥、武家の長曾我部氏などが知られている。

秦氏は日本史の表舞台にはほとんど登場しないため一般的にはあまり知られていないが、食料生産を始めとする様々な領域で大きな貢献をしてきたことは間違いない。また、他の渡来系氏族も同じように、先進技術を用いて活躍することで日本の発展に重要な役割を果たしてきたのである。

(秦氏については空海(弘法大師)との関係も推察されていて、この話もとても面白いのですが、食とは直接の関係がないので触れないでおきました。)