第三章 中世の食
中世の世界へ
今回から中世の世界の食について見ていく。ここで中世について概観してみよう。
「中世」と言う言葉は、もともと17世紀のヨーロッパの歴史学者が言い出したもので、ローマ時代を「古代」とし、ルネッサンス以降を「近代」として、その間をつなぐ時代が「中世」となる。このような形で時代を区分する根底には、ギリシア・ローマ時代の古典文化がヨーロッパ文化の基礎となっており、古典文化の復活(ルネッサンス)を素晴らしいものととらえる考え方があった。そして中世とは、素晴らしい2つの時代に横たわる「暗黒時代」とみなされたのである。
実際にヨーロッパの中世には目立った文化芸術作品は多くは生み出されなかった。しかしこの時代は、ギリシア・ローマ時代の古典文化とキリスト教の文化、そしてゲルマン民族の文化が融合することによって、現代のヨーロッパ文化の基礎が形成されて行く大切な時期である。例えば「ローマ法王」もこの時代に誕生する。
また、11世紀になって農耕技術が飛躍的に発展すると、耕作地が大きく拡大し、食料生産量も増加した。その結果、ヨーロッパの人口は大幅に増えた。ちなみに、現在耕作されているヨーロッパの農地のほとんどが中世に作られたものである。
西アジア(中東)に目を向けると、イスラム勢力の勃興と拡大という大きな出来事が起こる。ムハンマドが610年頃にイスラム教を創始すると、イスラム勢力はまたたく間にアラビア半島の主要部分を統一し、さらに数十年の間にペルシア、シリア、メソポタミア、エジプトなどへと拡大した。8世紀になると、イスラム勢力はインド西部や北アフリカ、イベリア半島をも支配することになる。このような征服活動によって、ムスリム(イスラム教信者)とヨーロッパを含む各地の人々との交流が盛んになった。
イスラム・ヨーロッパ間の交流をさらに活発化したのが十字軍遠征だった。もともと聖地エルサレムを奪還するために開始された十字軍であったが、この遠征は多数のヨーロッパ人に豊かなイスラム世界を知らしめることとなった。その結果、ヨーロッパとイスラム世界との交易が盛んになり、経済が活発化するとともに交通網も整備されていった。さらに、この交易は物資面だけでなく文化面においても大きな影響力を発揮する。
ムスリム商人は様々な物資を携えて各地を巡ることによって、他国の異文化を各地にもたらしたのである。この異文化は現地の既存の文化と融合することによってヨーロッパを含む様々な地域で新しい文化が芽生えることとなる。ヨーロッパの近代科学もイスラムとの文化交流によって誕生した。
一方、中国では、唐が滅ぶとそれぞれの地域で独自の文化を持った国家が建てられた。この変動期を経たのちに新しい統一国家である宋が960年に誕生する。中国では、唐朝の末期から商業の規制が緩んだことから商業が活発化していた。さらに、次の南宋の時代には中国南部で農地の開発が進み、コメやシルクを中心とした商業が大発展する。その結果、中国商人の海外進出も盛んになり、シルクや陶磁器、銅銭を船に乗せて世界の各地に輸出を行った。
13世紀にモンゴル帝国がつくられると、中国からヨーロッパまでのユーラシア大陸の全域に及ぶような交易網が整備された。その結果、東西の物資と文化の交流は盛んになった。ヴェネツィアのマルコ・ポーロが中国を訪れたとされるのもこの頃である。
東西の交易網で大活躍したのもムスリム商人だった。モンゴル帝国はチンギス・ハーンの子孫たちが治める地方政権の集合体となるが、そのうちのいくつかの国の君主はイスラム教に改宗した。交易と布教活動のセットがイスラムのやり方だった。
以上のように、ヨーロッパ・中東・アジアで新しい国家が誕生し、それらが活発に交流し合うのが中世の特徴である。この中世の時代には食の世界にも大きな変革が生まれた。この変革についてこれから見ていきたいと思います。