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2020.8.21ジェノグラムから考える事例検討会

2020年08月21日 | ソーシャルワーク
「努力の酒」

1964年10月10日 東京国立競技場
前日の台風が嘘のような抜ける青空。ブラウン管テレビの実況中継では、アナウンサーが世界中の青空を集めたような秋の青空、と謳った。上京したての24歳の青年は、カラーテレビから流れる映像と、同じ東京の青空を、自らの希望をもって見上げただろう。
戦後高度経済成長期。その世代でしか知りえない上昇気流の景気動向は、社会に生きる人々を高揚させてきた。熱気は仕事を盛り上げ、消費を喚起し、そして娯楽に楽しみを見出す戦後社会を力強く鼓舞する。東洋の魔女が世界を席巻し、裸足のアベベが甲州街道を突き進む。そんなアスリートの姿を競技場や沿道で眺めた青年は、人の力強さを目に焼き付けた。
家族成員の死は家族構造を大きく変化させ、その形態維持のバランスが大きく揺らぐ。
ある時期の死は予測でき、それに家族は対応することができるが、40代の死は家族にとって予測できない大きな揺らぎをもたらす。夫を失った妻は、10代前半の子を二人抱えて途方に暮れる。時代的にも、専業主婦という価値観が大勢を占めた時代である。これから二人の子を如何に養うか、父の存在を失った一家は唯一の弟にSOSを発信してもおかしくはない。SOSは、時に言葉で発せられるものでもない。
東京で職を転々とした弟は、夫を失った姉の期待に応える。経済的にも、生活の支えとして姉一家に献身的に関わる弟は、家族システムの一部として強く機能する。父を失った10代の子らは、そんな叔父の存在に父の役割を期待していたのかも知れない。
今、その弟が80代を迎え介護を必要としている。薄めた梅酒をちびちびやりながら、煙草を燻らせながら、2020年の東京オリンピックを楽しみにしている。アパートにはゴミが散乱し、風呂にも入れず、髭は伸び放題。周囲の支援者は鬱病やアルコール中毒などと騒ぎたてるが、本人は至って変わらない生活を送っている。
「思い残すことは何もない。仕事は転々としたが、十分に生きた。唯一思い残すことは東京オリンピックを見れていないこと。来年に延期されたオリンピックを見たい。あの頃のオリンピックを思い出すね」
セルフネグレクト、受診勧奨などと支援者システムは騒ぎ立てるが、本人にとってはどこ吹く風だ。そして、あの頃面倒をみた姉も年老いて、その子たちもそれぞれの課題を抱える。苦にもここでコロナ禍である。危機的状況に追い込まれる家族は少なくない。
しかし、親世代の哀しみや苦労、それを跳ねのける努力をその次の世代はちゃんと見ている。
世代を越えて否定的なパワーを引きずる家族もいれば、世代を越えて肯定的な強みを引き継ぐ家族も多い。困難を乗り越えようと強さを発揮する家族文化。
鬱病やアルコール、ゴミ問題などと、目先の「事実」に翻弄される支援にいかほどの意味があるか。「真実」は常にクライエント側にある。私たちはその「真実」を理解しようとする姿勢を崩してはならない。
残暑厳しいコロナ禍の夜に、ジェノグラムを読み解く

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