田吾作相談員

田吾作相談員の仕事と趣味の世界
social work,ケアマネジメント,MTB,ツーリング,シネマ

HKY

2020年11月23日 | MTB
勤労感謝DAY



昨年の同日は水尾~明智

今年は江文



昨夜は雨・・・天気予報いまいち?

行く手に虹





















北は時雨も、バッチリ振られず

途中の道迷いはアドベンチャー感満載

暖かな一日

山中誰にも出会わず、NO密な一日


2020.11.13の金曜日 アローチャート勉強会

2020年11月13日 | ソーシャルワーク


昔、「納屋を焼く」という村上春樹の短編小説があった
その後、韓国で映画化され、村上作品の実写化としては高い評価を得ている
さて、「何故、青年は納屋を焼くのか」という行為に着目しないのが村上春樹の小説世界の定石だが、「納屋を焼く」という行為の背景には、社会と青年の相互作用による、青年の内的世界の投影であることが理解される

野焼きはダメだと言われても、何故彼女は野焼きをやめないのか
習慣性、生活利便性、効率性など、長年あれこれ試した行為の結果として継続していることも多く、時にそれは他者に理解されないことも多い
高齢期における火の取り扱いは特に地域の視線も厳しい
認知症という病気の症状としてそれが表出していても、本人の内的世界は他者に理解されないことも多く、それは抑圧の対象となりかねない
行為の背景を理解されないままに、制止と抑圧を受けると、本人にとってはストレスでしかなく、環境に反発を繰り返し、余計に孤立化を生み、症状の進行に拍車をかける

さて、人は「老いの変化」をどう受け入れるのか
単なる「老い」ではなく「老いの変化」、これは家族にとっても受け入れる現実だ
人は皆老いて死ぬわけで、ある日突然親が老いるなんて浦島太郎的現象が起こるはずはない。親が子ども世代よりも早く死を迎える可能性が高いことは承知の事実だし、それは起こり得ないと高をくくっている方が不用心過ぎる
しかし、昔ほど親世代と子世代が共有する時間と空間が少なくなった現代において、ある日突然、という感覚はぬぐい切れないのかも知れない
人生の終末期である介護期において、比較的上手く対処している家族を見ていると、この「老いの変化」を上手く共有してきたんだと感じることがしばしばある
「老いの変化」のプロセス(時間と空間)の共有である

フランスの哲学者ジャンケレヴィッチは、一人称である「私」が最初にあるのではなく、二人称である「あなた」が先にあるという
「あなた」を受け入れたのちに、「私」が生まれる
自身の変化は自身で気づかないことも多い。対抗する「あなた」(それは家族であることが望ましいだろうが)がいることで、対象としての「私」を理解できる。時間と空間を共有するとは、そういう「私」を受け入れることかも知れない

2020.11.13の金曜日
アローチャート勉強会 雑観