田吾作相談員

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書けないことをあえて書く作業

2017年11月25日 | ソーシャルワーク
クライエントが亡くなった

正確には、元クライエント

最後にお会いしたのは、三か月ほど前だろうか

退院に際し、ADLも大幅に回復し、よくリハビリも頑張られたと思う
89歳という年齢を考えればこそである

「生きたい」という思い、思いのままに「暮らし」たい、という気持ち一心で

しかし、最後に何を思ったか、自殺だった

三か月後の再会は、クライエントが自ら首を吊る姿だった

20年前、親友を事故で亡くした記憶が蘇る

目前にした人の死を受け入れることができなかった

今、この瞬間、人がひとり亡くなっても、世界は動いている、というリアル

救急車を手配し、既に冷たくなったクライエントを抱きかかえ、首に食い込んだ紐を切る

床に寝かせて、救急の指示に従い、心肺蘇生を行う

それでも、やはり現実感はない

素人目にもわかる、もう助からないんだ、と

その感覚は妙にリアルなのに

警察の事情聴取を受け、改めて室内を見回す

つけっぱなしのエアコン、室内灯、空気清浄機、消えていたTV

冷蔵庫にはおそらく食料が入っていただろうし、明日飲むお茶もあるはずだった

きっと、それは衝動的な物だったんだろうと予測できた

しかし、首を吊った紐には、明らかに本人の字で書かれたポストイットが貼り付けてあった

「自死、首吊り」

そのために用意していたもの、という意味で貼っていたのか、それともこれは自殺なんだよ、という意味なのか

部屋には、車椅子があった

三か月前は歩いていたが、ここ最近はADLが落ちていた様子だった

息子さんが退院に合わせて用意したテーブル式の炬燵
椅子の代わりにあったのが車椅子だった

浴室の電気がついている
浴室にその椅子がおいてあった

なぜ、この日だったんだと思わないでもない

朝、ヘルパーが支援に入ったのが最後だそうだ

単純に自殺を図ったのは、その後になる

私がその近辺を訪れるのは月に1回しかない

そして、その日に起こった

相談援助に携わるなかで、共感と理解は必須だ

そう教えてきた

しかし、人を、ましてやその気持ちを理解することなんてできない

私は、その人じゃない

共感する姿勢は見せられても、本当の意味で共感できるんだろうか

クライエントの死を、その顔を見て思う

私たちは、クライエントの何を理解した気でいるんだろうか

そして、こんな側面もある

ADLが落ちていく過程、これは加齢と共に仕方がない

介護サービスは、そこに支援介入する

しかし、時にその支援は、クライエントの力を奪うし、クライエントにできない「現実」を突きつける
出来ない、思うように生きれない、それはクライエントの主観によるものだ

「すべてお任せします」

三か月前、私の提案に際して、答えはこうだった
そして、握手を交わして分かれた

そこに口惜しさとか、後悔とか、そんな感情ではない
クライエントは、私を怨んだろうか
お前に任せた結果がこうなんだ、と