父は私の反応を期待するように、箱を開け、中身を確認するよう促した。
段ボール箱の中は、「少年少女世界の文学」と背表紙に書かれた分厚い大きめの本が十数冊。
当時小学1年生だった私にとって、プレゼントはうれしかったが、活字はまだまだ苦手だった。それでも分厚く重たい本を開いては、中に数ページあるカラーの挿絵を見て楽しんだ。
しばらくそれらの本は私の本棚の飾りとなって、鎮座していた。
当時私はいわゆる「鍵っ子」で、家に帰っても誰も居らず、父の帰宅も時には夜の11時をまわることもあった。
テレビ番組も午後9時以降は子供が楽しめる番組もなく、テレビを消してしまうと、静寂の中ただ父の帰りを待つ時間だけが流れる。
そんな時、ふと本棚にあるあの分厚い本を取り出しては、集録されている「アンデルセン童話」などの短いお話から少しずつ読み始めた。
結局小学6年生の頃には、「飛ぶ教室」や「エミールと探偵」などを楽しみ、全て読み終えた。
時は流れ…
社会人になって、ある日上司から「今日は百科事典のセールスが来るけど、買わなくていいから、聞くだけ聞いてやって」と言われ、社員数人がセールスマンの説明を聞くことになった。
そのセールスマンは、4、50代のおじさんで、社会経験の浅い私でさえもわかるような説明下手な人だった。
彼は、その百科事典の長所をたどたどしく説明したけれど(重たい事典のページ一枚で全体をを持ち上げ、素晴らしく丈夫な紙でできているとか、紙面が蛍光灯の光を反射させない良質な紙で見やすいとか)、そんな話はどうでも良かった。
私は、全巻揃ったその百科事典がどうにも欲しくなってしまった。
子供のときに父にもらった本のイメージが影響したのかも知れない。
結局購入した。
価格は当時の私の月給の2倍以上だった。
数日して、家に重たい段ボール箱が何箱も届き、母は一体何が送られてきたのかと仰天し、父は中身を知って「お前は勉強家かも知れないが、こんな物いつ使うんだ?」と私に怒鳴った。
30万円近い大金の使い道を間違えていると言いたかったようだ。
しかし、これさえ持っていれば色々なことがわかると言うことが、私にとっては30万円近い金額を払っても惜しくない価値ある物だったのだ。
その後、この百科事典は何ページ開いたか?全部合わせても100ページにも満たないかも知れない。
今、あの百科事典は処分することも出来ずに、我が家の“負の遺産”として、息子の部屋の本棚に納まっている。
あまりの重さに本棚が湾曲してしまっている。
「それ見たことか!」と父の声が天上から聞こえてきそうだ。
今や数10キロの百科事典が、手のひらの中に収まっている。
あの頃はまさか、こんなググる時代がやって来るとは予想出来なかったのよ、お父さん。