「ジャンボ」と聞いて、スワヒリ語の方を思い出す人はいないと思うけれど…。
子供の頃、漫画家ちばてつやの「ジャンボ・リコ」という題名の漫画を読んだ事がある。内容はもう覚えていないが、少女が主人公で、舞台はアフリカだった。
確か、その漫画の中で知ったのでは無かっただろうか。ジャンボはスワヒリ語で「こんにちは」の意味だということを。
ネットで調べたら、スワヒリ語の「こんにちは」は「ジャンボ」ではなく「マンボ」だとあった。
ちなみに、現地の人はジャンボもハクナ・マタタ(悩むな)も使わないと書いてあった。真偽の程はわからないが…。
「ジャンボ」と聞いて、多くの人が直ぐに頭にひらめくのは何と言っても「宝くじ」の方だ。
♪ジャーンボ、ジャーンボ♫とあのCMの歌になってから、宝くじの販売終了日まで、毎日テレビで流れていた。
聞き覚えがあるメロディーなのに、何の曲だっけ?となるこの曲は、ベートーベン交響曲第7番1楽章だそうだ。
ついつい口ずさんでしまう、伸びやかなCMソング。度々口ずさんでいるうち、洗脳されたのだろうか、宝くじが買いたい気分になって来た。
少し前にネットのチッポケな抽選に何度か当選して、2ヶ月の間に3本ほど缶コーヒーやらボトルコーヒーなどを手に入れた。それに加え、アンケートに答えて景品のQUOカードPayも当たった。
こんなにツイているんなら、宝くじでも当たるんじゃないだろうかという気になって来たのだ。
だけど、宝くじはそう簡単に当たるものじゃ無い。
遠い昔、友人に誘われて一緒に買ったのだったか、あるいは会社の忘年会の景品だったのか、1、2度20代の頃に宝くじを手にした事はある。
結果は10枚のうちの1枚、300円の“当選”。これは必ず当たるやつ。その程度だ。
結果を知った後は虚しい。射幸心とはいやらしいものだ。けれど、誰かが言った「宝くじを買うのではない、”夢“を買うのだ」と。
外れるとわかっていても、今回だけは運試し。今後は宝くじを買うこともないだろう。ただ、ハズレの後の損失感を味わいたく無い。
そうだ、子供たちのプレゼントにしよう。当たれば当たったで身内に起こった良い出来事だし、私の方におこぼれがあるかも知れない。自分の身には何の損失感も喪失感も無い。
そんなわけで、プレゼントとして買うことにしたが、いざ買うとなると何故か気になる六曜の事。
よく宝くじを買う人は大安吉日こだわるみたいだが、ほぼ宝くじ初心者としても、やはり良い日に買うに越したことはない。
販売最終日の六曜は「大安吉日」では無かったが、「先勝」だった。午前中の行動が良いとあったので、一応午前中に買いに行った。
宝くじと言えば昔は、「第一勧業銀行」での販売だった。現在は「みずほ銀行」に名前が変わった。
街まで買いに行こうかとも思っていたのだが、調べてみると自宅近くに宝くじ売り場があった。
よく知る場所であったが、そんなとこにあったかなあと考えてみると、大型スーパーの店舗前にチョコンと小さい売り場があったあった。
最終日だったけど、待っている人は5人ほど。
もしこれが街なかだったら、大行列だ。
待っている間、前に並ぶ女性が宝くじ売り場の張り紙を真剣に読んでいる。その視線の先には、お勧めの買い方が書いてあった。
そう言えば、宝くじマニアの当たりやすい買い方みたいなのが、ネットにも書いてあったなあと思い出した。
そのお店のお勧めは、「三連バラ」。
宝くじ初心者は直ぐにお勧めに従った。当たりやすいのであれば、何でもより良い方へ身を流すのみ。
後は、子供たちに渡して、人ごとの楽しみとして、年末を待つのだ。
大当たりが出れば、ブログのネタになるだろう。ブログが沈黙していれば、ハズレたということだ。
大きな夢と期待を抱きながら、一方では「そんな事が起きるわけがない」と否定する心。
変な心持ちのまま、結果が出るまで何だか落ち着かない年末である。