そんな時は布団の中で、あれこれ妄想する。
もし、自分が人質になってしまった場合…どうする。
犯人が銃を持っていた場合。
犯人の様子を見ながら油断したすきに、頭突きや肘鉄でひるませて、その間に逃げられるのじゃないだろうか?
いやいや、直ぐに銃で撃たれてしまうさ。
じゃあ、ナイフだった場合は?
気を失ったふりをして、犯人と一緒に移動できなくする戦法はどうだろう?
その場で興奮した犯人に刺されて終わりさ。
じゃあ、人質としてつかまえられる前に、何とかしないと。
もし、腕を掴まれたら?
それだったら、子供の時からやってる、あの方法が効果的だ。相手の腕を持って自分がくるりと回転すれば、容易に後ろ手にひねり上げることができるさ。
ここまで考えが及んだとき、「くるりと回転する」あの方法。もしかしたらこれは父が私に教えてくれた護身術だったのでは無いかと思った。
1963年3月に起きた悲しい事件に「吉展ちゃん誘拐事件」があった。4歳になる吉展(よしのぶ)ちゃんが誘拐され、身代金を要求された事件だ。
当時私は5歳だったが、その私でも記憶に残るほど、大きな事件だった。
恐らく父は似たような年頃の私が誘拐されることを懸念して、もし見知らぬ大人に捕まえられたら、逃れる方法として、これを教えてくれたのだろう。
遊びの中で父は、犯人役となり私の腕をつかみ、そこで私が腕を中心にくるりと回転するということを何度も繰り返した。
その時には、父が意図することはあまり良く理解は出来ていなかったと思うが、「もし知らない人に腕をつかまれて、連れて行かれそうになったら、こうしなさい」と教えられていたのだと思う。
様々な新手の事件が起きるたび、父はいつもこんな時はこうしなさいと、アドバイスをくれていたと思う。成長するに従い、あんまり真剣に耳を傾けてはいなかったけれど、子供を持つ身になってから、私も子供たちが事件に巻き込まれたりしないか、心配をするようになり、初めて父の私に対する心情を深く理解するようになった。
そんな父に育てられたからか、外出するときは結構私は用心深い。
歩道を歩いているときは、もし今ここで暴走車が突っ込んできたらどうする?とか、地下鉄の中では、もし、今暴漢が襲ってきたら?などと、色々と想定して、対処法を思案する。
空手は初段だが、今となっては多分使い物にはならないだろう。ペーパードライバーみたいな物だ。
幸いなことに想定する事態には一度も遭遇することはなかったが、現実に事件が起きたら、抵抗する私は真っ先に、一番目の犠牲者になってしまうに違いない。
抵抗せずに、大人しくしているのが一番良い事かもしれないけれど。
でも、もし相手が銃もナイフも持っていない状態で腕をつかまれたら、くるりと相手の脇下をくぐって、後ろ手に腕をひねり上げてみたい。これだけはやってみたいと思う。
ソファーに寝転がっている暇そうな夫に声をかけて、例の護身術を再現してみた。
子供の頃は大人の半分位の身長しかなかったから、容易に手をつかんでくるんと回れたのに、いざやってみると、自分の体が邪魔になって、機敏に回る事が出来なかった。こりゃダメだ。
もたつく私を見て、夫が新たに合気道の護身術を伝授してくれた。
腕をつかまれたら、普通は腕を振りほどこうと、逆方向へ引っ張るものだ。力が強い暴漢だったら逃げようがない。
夫が私に教えてくれた護身術は、引かれる相手の方へ、掴まれた腕を押し出すようにするというものだ。相手の握った手が容易に外せるという。
つまり、「引いてもダメなら、押してみな」作戦。
万一の時の為に、練習しておいた方が良いかもしれない。
しかし、若い女性なら腕をつかまれる事もあるだろうが、はるか昔に若かった私。想定される犯罪は、バッグをひったくられるか、背後から殴られるかじゃないだろうか。想像しただけで、恐ろしい。
人通りの少ない夜道は、歩かない様にしよう。
父の教えてくれた護身術も、夫が教えてくれた護身術も、使う日が来ないほうが良いに決まっている。
でも、万に一つそんなことが起きかけたら、知っているだけでも、被害をまぬがれる可能性が生まれるかも知れない。
※ You Tubeなどには警察官が教える女性のための護身術などもあがっているので、興味のある方はそちらを参考にされるとよろしいかと思う。
何れにしても、誰にもそんな危険な事が、どうか起きませんように。