ポジティブな私 ポジ人

息子と二人旅 5.太古は海の底だった町

一夜明け、7月14日。息子のアパートから、のんびりと穂別博物館へ向け出発した。

途中むかわ町の道の駅「むかわ四季の館」へ立ち寄った。

事前の下調べで館内にはノーベル賞を受賞された鈴木章博士の「鈴木章記念ギャラリー」がある事を知った。博士はむかわ町の出身だ。高校は苫小牧。


博士と同じ高校を卒業したというのがささやかな私の自慢。こういうのを「人の褌で相撲を取る」というのだろう。
娘の大学の先輩ということにもなり、“私と娘の共通の先輩”という事も、密かに嬉しいポイントだ。

パネル中央に鈴木章博士の貴重な高校生の頃の写真。

経歴のパネルを見ていたら、苫小牧高等学校と記載があり、一瞬「あれ?私と同じ高校じゃない!」と焦ったのだが、パネル上部の右から2番目の写真に校歌の歌詞が書いてあり、確かに私が歌った校歌と一致していて一安心。
どうやら高校は後に、東西に分校という形になり、それぞれに学校名に東、西と加わったらしい。
ノーベル賞受賞は、正に「精進努力」した結果ということですね。

ギャラリーを後にし、穂別へ。

穂別は、高校時代のクラスメートの女子の出身地だと言うことを思い出した。彼女は「穂別はすっごい田舎だから」とよく言っていた。
あれからほぼ50年の月日が流れている。今では恐竜の町として、自慢の町だろう。

実際に穂別に着いてみると、大変整然として、きれいな町並みであった。

歩道に飾られた花壇は恐竜型の可愛らしい物で、町のあちこちに飾られていた。


外でひときわ目立つ恐竜のオブジェ。
「ジュラシック・ワールドに出たモササウルスだよ」と息子が教えてくれた。
あの、度肝を抜く海から突如現れる、迫力あるシーンが頭に浮かんだ。

穂別町のカントリーサインが付いた穂別博物館の看板。旅慣れた息子に勧められパシャリ。

町立穂別博物館エントランス。


穂別博物館の開館の経緯は、1975年の荒木慎太郎氏が首長竜の化石を発見した事から始まる。
首長竜は後にホベツアラキリュウ(愛称ホッピー)と命名された。名前に発見者の名字「アラキ」が付いている。


館内に入ると、そのホベツアラキリュウの全身復元骨格の展示。全長8メートルのその大きさに圧倒される。

足元には巨大なアンモナイト。

入場料は現在、大人300円、子供(小学生から高校まで)が200円。就学前の子供は無料となっている。

入館してみれば、所狭しと展示される化石や恐竜の復元展示物や多彩な骨格標本に圧倒される。ほとんどがむかわ町穂別地域で産出された物だ。

地層は約一億年前から7,000年前の中世白亜紀後期の物で、当時の穂別地域はなんと海の底だったという。




大きなモササウルスの生体復元模型。

二枚貝イノセラムス。

巨大な二枚貝である。

ウミガメ メソダーモケリス・ウンデュラータスの全身復元骨格。

その他、新生代のイルカ、クジラやデスモスチルスの化石もあった。

多彩な化石類に目移りしたが、私が今回最も見たかったのは、アイヌ語で「神」と名のつく恐竜だった。

つづく








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