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■ 「台湾有事」で想定された核戦争と沖縄の危機 米極秘報告書が鳴らす警鐘
近頃、「台湾有事」という言葉をよく目にする。
4月16日の日米首脳会談では、52年ぶりに「台湾海峡の平和」が共同声明に明記され、日米の連携を確認した。これを受けて、6月1日には自民党の外交部会が、台湾有事が発生した場合の対処について、アメリカとの連携も含めた「有事対応の早急な検討」を政府に求める提言書を取りまとめた。
万が一にも、台湾をめぐってアメリカと中国が戦争をするようなことになれば、日本にとっても「対岸の火事」では済まない。在日米軍基地のみならず、日本中の民間飛行場や港湾が米軍の作戦のために使われる可能性がある。それは、中国の攻撃目標としてねらわれることも意味する。まして、米中共に核保有国である。最悪の場合、核戦争に巻き込まれる危険性すらある。
核戦争まで持ち出すと、「極論」に聞こえるかもしれない。しかし、1958年に発生した「台湾有事」では、実際にそうなる可能性があったのだ。

秘密報告書の全容が明らかに
米紙ニューヨーク・タイムズは5月22日、1958年の台湾海峡危機の際、米軍が中国本土に対する核攻撃の必要性を強く主張していた事実を大きく報じた。
記事のソースとなっているのは、1966年に作成された台湾海峡危機に関する秘密報告書である。元国防総省職員で、ベトナム戦争に関する秘密報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露したことでも知られるダニエル・エルズバーグ氏が所持していた。
この報告書は、すでに1970年代に開示されていたが、核兵器に関する記述の大部分は機密解除されず、「白塗り」されていた。エルズバーグ氏が「白塗り」のない原文を公開したことで、現在も機密扱いとなっている部分も含めて、初めてその全容が明らかになった。
エルズバーグ氏は、同報告書を2017年に自身のウェブサイトにひっそりとアップしていた。しかし、反応はほとんどなかったという。今回、ニューヨーク・タイムズが大きく報じたことで、世界中のメディアが後を追い、注目されることになった。
筆者にとっても、ニューヨーク・タイムズの報道はタイムリーだった。なぜなら、ちょうど「白塗り」された同報告書を読んでいたところだったからである。ニューヨーク・タイムズは丁寧に、国防総省が開示した文書では「白塗り」されているページのみを抽出したPDFも作成し、資料として記事に添付してくれていた。ハラハラしながら、一気に読んだ。
本稿では、同報告書やすでに公になっているその他の一次史料をソースに、1958年の台湾海峡危機の際の「核戦争の危機」について、報道ではまだ紹介されていない内容も含めて記してみたい。(以下、引用部分は筆者訳)
敵の数的優位に核兵器で対抗
1958年の台湾海峡危機の主な舞台となったのは、台湾の金門島である。
金門島は、中国南東部の福建省アモイの沖合に浮かぶ東西約20キロ、南北は最大で約16キロの島である。台湾本島からは台湾海峡を隔てて約270キロ離れているが、中国本土との距離は最短で約2キロしかない。
1958年8月23日夕刻、中国軍はこの島に猛烈な砲撃を浴びせた。撃ち込まれた砲弾は、この日の数時間だけで6万発近くに達した。
緊張はすでに高まっていた。中国は7月頃から「台湾開放」の政治宣伝を強め、非常警戒態勢を敷いて台湾海峡沿岸の軍備を急激に増強していた。7月末には、台湾海峡上空で台湾軍の戦闘機2機が中国軍の戦闘機に撃墜され、以後、連日にわたり両軍の小競り合いが続いていた。
8月15日には、ペンタゴン(米国防総省)で、台湾海峡で戦争が発生した場合の対応について検討する会議が開かれた。ここで米軍トップのネイサン・トワイニング統合参謀本部議長が、中国沿岸部のいくつかの航空基地を10~15キロトンの戦術小型核兵器で攻撃し、それでも中国が台湾への攻撃を止めない場合、「北は上海に至るまで深く核攻撃を行う以外に選択肢はない」と発言。同議長は、そうなれば台湾本島や沖縄が核による報復攻撃を受ける可能性があるとしたうえで、「台湾の沿岸諸島の防衛をアメリカの国家政策とするならば、その結果は受け入れなければならない」と強調した。
米軍にとって、台湾有事における核兵器使用は既定路線だった。米太平洋軍司令部(ハワイ)が準備していた台湾有事を想定した作戦計画も、核兵器の使用を前提に策定されていた。
「OPS PLAN (Operations Plan) 25-58」と名付けられたその作戦計画では、緊張の高まり(フェーズ1)を経て、中国軍による攻撃が開始された場合(フェーズ2)、中国沿岸部の航空基地を戦術核兵器で攻撃する計画であった。
同計画は1958年5月に改訂され、「フェーズ2」で中国の攻撃が止まらなかった場合、中国の戦争遂行能力を無力化するために戦略核兵器で大都市などを攻撃する計画が「フェーズ3」として追加された。
とりわけ米空軍は、核兵器を使用しなければ中国の台湾侵攻を阻止することはできないと考えていた。ローレンス・クテル太平洋空軍司令官は8月26日、「(台湾海峡有事での)航空作戦は、最初から核兵器を使用しなければ成功する可能性はない」と空軍本部に伝え、核兵器使用に関する大統領の承認を得るよう求めた。
1962年に米空軍が作成した「1958年台湾危機の航空作戦」と題する報告書は、空軍が核兵器の使用が必要だと考えたのは、「敵の数的優位に対抗するために最も効果的な方法は核兵器を使用すること」であったからだと記している。
当時のアメリカの推計によれば、中国軍が保有する航空機が約4350機だったのに対し、台湾軍は826機程度で、米軍が運用できる航空機と合わせても中国が優位に立っていた。核兵器を使用しない通常の航空作戦では勝ち目はないと、米空軍は考えていた。
核使用を認めなかった大統領
しかし、ドワイト・アイゼンハワー大統領は、最初から核兵器を使用することを認めなかった。
8月29日午前、ホワイトハウスで会議が開かれ、前出の作戦計画(OPS PLAN 25-58)の「フェーズ2」では通常兵器で中国沿岸部の航空基地を攻撃すること、「フェーズ3」に至った場合でも大統領の承認がない限り核兵器を使用できないことが決定された。
それでも、米軍の幹部たちは核兵器の使用をあきらめなかった。
9月2日に行われた米国務省と統合参謀本部の協議で、トワイニング統合参謀本部議長は「中国の飛行場と砲台を小型核兵器で攻撃する必要がある。国防総省のすべての研究は、これが唯一の方法であることを示している」と発言し、7~10キロトンの核兵器を上空で爆発させれば放射性降下物による汚染も生じずに地上の航空機を破壊できると主張している。
さらに、朝鮮戦争でアメリカが核兵器を使用していれば、戦闘はもっと早く終わり双方の死傷者も少なくて済んだとし、「通常兵器の使用は、朝鮮戦争のような長い戦争にアメリカが引き込まれることを意味する」と強調した。
統合参謀本部は、中国軍が大規模な着上陸攻撃を仕掛けてきた場合のような緊急時に軍に付与される特別な権限の中に、核兵器使用を入れ込もうとした。
9月6日にホワイトハウスで行われた会議で、トワイニング統合参謀本部議長は緊急時に軍に付与される特別な権限について提案した。しかし、アイゼンハワー大統領はここでも、核兵器使用は認めなかった。緊急時に金門島に侵攻する中国軍を通常兵器で攻撃する権限は認めたが、中国本土への空爆や核兵器の使用は大統領が承認した場合に限るよう修正を指示した。
その結果、米軍は、少なくとも戦争の最初の段階では通常弾しか使えなくなった。
日本の反核世論を懸念
アイゼンハワー大統領がなぜ、軍部が強く求めた核兵器の使用を認めなかったのかは定かではない。
ただ、米政府の中には、核兵器を使用した場合の国際世論の反発を懸念する声があったことは、いくつかの史料から読み取ることができる。とりわけ、日本の反応を気にしていた。
駐日日本大使だったダグラス・マッカーサー2世は、アメリカが核兵器を使用した場合、日本は在日米軍の完全撤退を要求してくるかもしれず、そこまで至らなくても、台湾海峡での作戦のための在日米軍基地の使用が補給も含めてできなくなる可能性があるという懸念を国務省に伝えていた。
日本では、1954年の「ビキニ事件」(アメリカが太平洋・ビキニ環礁付近で行った水爆実験で、日本のマグロ漁船の乗組員などが死の灰を浴びて被ばくした事件)を機に、反核世論が高揚していた。1957年に首相となった岸信介も、米軍の日本への核兵器の持ち込みに対しては、国民感情をふまえて要請があっても拒否すると明言していた。
米軍も、日本の反核世論の強さは理解していた。核兵器の使用を含む前出の作戦計画「OPS PLAN 25-58」も、在日米軍基地は使用できないという前提で策定されていた。
日本をはじめ世界中から強い反発を招くかもしれないが、それでも核兵器の使用を躊躇すべきではないというのが、統合参謀本部の多数意見だった。しかし、アイゼンハワー大統領が中国本土に対する核攻撃の必要性を認めることはなかった。
結局、中国が行ったのは砲撃だけだった。砲撃によって金門島への補給線を遮断し、封鎖を試みたのである。これに対し、米軍は9月上旬から、台湾本島から金門島への補給を行う台湾軍の輸送船の護衛を開始した。護衛中の米軍艦艇に対する中国軍による攻撃が心配されたが、中国軍艦艇が米軍艦艇に攻撃を仕掛けることはなかった。金門島に対する砲撃は10月初旬まで続いたが、侵攻することは最後までなかった。中国側は、アメリカとの戦争は望んでいなかったのである。
アイゼンハワー大統領が、この中国の意図を読み違えなかったことが、核戦争に至らなかった最大の要因であったと思われる。逆に、読み違えていたら、核戦争になっていたかもしれない。

最初の核攻撃計画は沖縄から
今回のニューヨーク・タイムズの報道を受けて、日本では、アメリカの中国本土への核攻撃の結果、沖縄が核で報復されるリスクを米軍が容認していたという事実が共通して報じられた。この点はもちろん重要ではあるが、もう一つ、どこのメディアも取り上げていない重大な事実がある。
それは、沖縄が核で報復攻撃を受ける前に、沖縄から核攻撃が行われる計画があったことである。
前出の米空軍報告書(「1958年台湾危機の航空作戦」)によると、米太平洋空軍の当初の作戦計画では、中国沿岸部の航空基地への最初の核攻撃は沖縄の嘉手納基地とフィリピンのクラーク基地から発進する計画であった。
前述の通り、米軍は核攻撃作戦に在日米軍基地は使用できない前提で計画を策定していたが、当時の沖縄は日本本土と切り離されて米軍の占領下に置かれており、中国本土に対する核攻撃の発進基地として利用しようとしていた。
だからこそ、共産主義陣営との全面戦争に発展した場合、沖縄に対する核による報復攻撃は避けられないと見ていたのだろう。
「第三の被爆」は甘受できない
1958年の台湾有事では、米軍は通常兵器で数的優位に立つ中国に勝利するためには核兵器を使用する以外の選択肢はないと考えていた。
戦力の面で、また基地や兵站などの作戦インフラの面で、中国側に数的優位があるという状況は現在も変わらない(これは、地理的な理由からどうしようもない)。今後、台湾有事が発生し、米軍が通常兵器による戦争で劣勢になった場合、核兵器使用の誘惑にかられることは十分あり得ることである。
日本は「非核三原則」(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)を国是としているが、核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機が日本に一時的に立ち寄ることは、1960年に結んだいわゆる「核密約」で認めており、核攻撃の発進基地として在日米軍基地が利用される可能性は否定できない。そうなれば、当然、核による報復を受けることになるだろう。
米軍は1958年の時と同じように、「台湾を防衛するために、その結果は受け入れなければならない」と主張するかもしれない。しかし、日本にとっては、広島と長崎に続く「第三の被爆」は甘受できるものではない。
中国は今後も、台湾の独立派に対する軍事的牽制を続けると思われるが、1958年の時と同じく、アメリカとの戦争は回避しようとするだろう。しかし、双方の軍事的牽制の応酬で緊張が高まれば、偶発的な衝突が起きたり、相手側の意図の読み違えによって全面的な戦争へとエスカレートすることもあり得る。
日本も戦火に巻き込まれる可能性が高く、「日本からの核攻撃」や「日本への核攻撃」という最悪の結果を招きかねない台湾有事は、絶対に起こしてはならない。「米中対立」が激化する今こそ、1958年の台湾海峡危機が鳴らす警鐘に耳を傾ける時である。
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