拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 挨拶

2021年03月31日 | 観自在

  自分のブログはめったに読まないけれど、今日どなたかが、私の『ご挨拶』という記事を読んでくれて、どんなかな?と読んでみると

  『 挨拶とは、禅宗で問答を交わして、相手の悟りの深浅を試みること・・・から由来している 』…と書いてあった。 非常にビックリ!!

  へ〜っ、そうなのかーッと本当に驚嘆した。『挨拶』という言葉の語源が『禅問答』から来ていたなんて…!(自分で書いていて忘れていた)

 

  思い返すと、そういう『挨拶』をする世界、を若き日の私は探していたのだと思う。(凄い勝手な思い込み)

  高卒して一度、京王プラザホテルに入社したが、3ヶ月で辞めて関西に行って『写真学校』へ入学したのは、その『挨拶』する為だったのだ。

  何故かというと、写真という作品を先生やら仲間たちに見てもらう行為を繰り返すうちに、『これは単に写真の評価を受け身になって受ける

  場ではない』…ということに気が付いてきた。『相手が私の写真を評価するとき、同時に、私は相手のレベルを評価している』…事に何時の日か

  気が付いていた。だから、作品を見せることは、何時も真剣勝負をするつもりでいたものだ。

  だけど、世の中にはなかなか真剣勝負の『挨拶』を出来る人は、そう多くはないこともだんだん判ってきた。

  『禅』の世界がそういった『勝負の世界』と言うと、また変な誤解をするオッチョコチョイがいるから用心がいるが。

  そのとき大事なことは、『勝負作品』を前にして、『自他不二』であること。自分の作品の『自分』というのを忘れたうえで、

  その作品をどう評価するか…、そういった観察眼を養うことが大前提になり、自然と『法門』に向かって歩んでいたのだ。

  確かに『挨拶』をすると、相手の深浅と同時に自分の深浅・・・が分かり、『法門無量請願学』・・・と相成る世界ではある。

        

              『挨拶』の世界を求めて、旅していた17歳の一撮