PYH♡Friends

2009年11月よりパク・ヨンハさんを応援している私設ファンクラブサイトです。

GNJPさんのHPに掲載して下さいました

2011-03-31 23:34:00 | 地上の星(2009年~2011年)




ようやく春らしい気候になってきました。

皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。



この度は、募金の呼びかけに沢山のメンバーのみなさんに快くご賛同いただき、心から感謝いたします。

今回の募金について、HPの方に掲載して下さいましたのでご報告致します。

http://www.gnjp.org/news/fan/nws_20110331_2.html


併せて、領収書もお送り頂きましたので、ご確認下さい。





これからもヨンハさんの思いをみなさんと一緒につないで行けたら・・・と思います。



GNJP様の東北地方大震災への支援に関するご報告のページはこちらです。
是非、ご覧になって下さい。

http://www.gnjp.org/reports/2011/rpt_2011tohoku_earthquake01.html


被災地の皆さんのご健康と、一日も早い復興を心よりお祈り致します。





YONA SCHOOLが完成!!!

2011-03-30 22:09:00 | 地上の星(2009年~2011年)
こんばんは。
Sweet Home hiroです。


今日はヨンハさんの月命日でしたね。


皆で協力して集めた募金も無事に寄付できて、
ほっとしたところに、GNさんからお知らせが届きました。



チャドのYONA SCHOOLが完成したそうです。


日本は今回、予想もしない災害に見舞われましたが、
そんな中でも、こうして夢が繋がれていくと
ひとつでも未来が見れる気がします。



ヨンハさんも空の上から、
子供たちのうれしそうな顔を見て、
毎日微笑んでくれているのではないでしょうか?



SFJに掲載されたヨンハさんの子供たちへの力強い言葉が
思い出されました。


「頼んだぞ 子供たち」あの忘れられない深い深い想い。


なんて素敵な人にめぐり合ったのだろうと
出会いに感謝し、その言葉を胸に刻みました。



いつか・・・


あの学校で学んだ子達が、
日本や韓国に留学してグローバルな活躍を
してくれるかもしれない。


ヨンハさんが望んだように
国を変えていくひとつの力になってくれるかもしれない。


『ヨンハさんと一緒にずっとこれからも見れる夢』
そんな素敵な財産が私たちには残されています。


今後も夢が続くように願い、
支援も続けていこう、と改めて思った今日でした。






募金についてのご報告です

2011-03-23 20:34:00 | 地上の星(2009年~2011年)



「PYH♡Friends」の皆さん、こんにちは。
"三寒四温"とは言いますが、このところの寒暖の差に体調を崩しがちではないでしょうか。



さて、取り急ぎ募金についてのご報告です。



今回の募金活動に際し、急な告知で短い期間にも関わらず沢山の皆様にご賛同頂きました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


お寄せ頂いた募金額は、合計173,644円になりました。


中には、実際に被害に遭われた地方のメンバーさんからも「力になれたら」と、お心を届けて下さり感動で胸がいっぱいになりました。

勿論「PYH♡Friends」以外の場所でも、募金や支援に参加されている方も沢山ある事と思います。


「ヨンハが生きていたら・・・」という思い。
皆さんきっと、心の奥でその思いを抱えていると思います。

ヨンハならきっと凄く心配して、自分に出来る限りの事を、ファンと力を合わせる事を、いっぱい考えてくれていたでしょう・・・


ヨンハが残してくれた言葉、行動、広い心、愛、、、、
みんな、私たちの心に生き続ける事と思います。


復興には想像もつかない位の時間がかかる事でしょう。
そして避難されている方たちの厳しい生活もまだまだ続くと思います。
それでも、今、日本じゅうが力を出し合って、助け合い、声を掛け合い、元気になろうとしています。


春と呼ぶにはまだまだ寒い毎日。
被災地の寒さはどれだけかと思うと、やり切れません。
どうか一日も早い復興と、避難されている皆さん、被災された皆さんの笑顔が戻る事を心からお祈りいたします。


そして、私達が今こうしていつも通りの生活が出来る事を有難く感謝し、日々を過ごしたいと思います。



今回の募金に限らず、これからも「PYH♡Friends」がひとつになって、力を合わせて出来る事があれば又、声を発して行けたら・・・と思っています。

本当にありがとうございました。



※皆さんからの送金に関しましては、管理人のpopoさん、hiroさんにも通帳のコピーで記帳の確認をして頂きました。
 皆さんと信頼で結ばれている事に心から感謝いたします。
 ありがとうございました。

※グッドネーバーズさんへの送金が済み次第、BBSにてご報告いたします。
 本当にありがとうございました。


☆ 生きること ☆

2011-03-23 13:40:00 | 地上の星(2009年~2011年)
皆さん、こんにちは。


SweetHome hiroです。



被災地の状況の記事に、
沢山コメントいただいてありがとうございました。


お一人お一人返したかったのですが、
自分の時間がままならず、申し訳ないのですが
このように記事にさせていただきました。


この二日ばかり雨が降ったり、寒さが厳しくて
被災地の方を思うと心が痛かったです。


今回の地震・津波では、被災地のみならず、
いまだに各地に影響を及ぼしていますね。


不自由な生活を余儀なくされている方も
多いと思います。


今までの生活を思うと、
どのくらい贅沢だったのか、
よくわかりました。



人は一人では生きては行けない・・・
それも心にしみました。



ヨンハさんが繋いでくれた皆さんとの縁を大事にして、
これからも生きて行きたいです。



明日は大阪のフィルムコンサートですね。
東京は延期になったそうですが、
行かれる方はその時間を大事にして、
ヨンハさんとの出会いを抱きしめてきてくださいね。


東京を予定されていた方、
また、開かれるときに、ぜひぜひお会いできますように!!!


☆いつでも、どこに居ても、皆さんの幸せを願っています☆




被災地の今・・・

2011-03-19 05:39:00 | 地上の星(2009年~2011年)
皆さん お久しぶりです。


SweetHome hiroです。



未曾有の災害が起こってしまったことに
心を痛め、沢山の方がPYHの名の下に意思をひとつにして
自分たちにできることを考えてくださっていること、
感謝申し上げます。


メンバーの方の中にも、被災した方がいらっしゃると聞きます。
ご家族、ご親戚の方が被災された方もいらっしゃることでしょう。


わたしの家族・友人たちも沢山の被害者となりました。


TVで報道されていること以外に、
今の本当の状況をお伝えしたく、
今回書かせていただいております。


つらいけど、事実を見て、
また明日を考えることにつなげていただければ、
と思っています。



私の家族、親戚は福島県の浜どおりと呼ばれる地域に住んでいました。


そこで被災したのです。


地震が去ってきたものは津波。


主人の妹たちは海辺近くに家があり
一瞬のうちにすべてを失いました。
着の身着のままでしたが、逃げられたことが不思議なほどの
時間で津波が来たそうです。


甥は電量関係の会社で被災。
逃げたものの、車や建物があっという間に流されて、
目の前で見た津波の光景に呆然としていたそうです。



・・・・・・そして、今・・・・・


原発からの放射能のために、30キロ圏内は避難とされています。


直ちにに健康に害は及ぼさない、そういう発表ですが、
毎日その数値にさらされて暮らすことが
健康にいいとは言えないことは皆様ご存知のとおりです。


今後の改善といっても、完全に原子炉が冷却されても、
建てやが破壊された状態では安心とはいえないです。

30キロ圏内と31キロ32キロ・・・そのちがいは
どうなのでしょうか?

行く先を考え、30キロ圏外でも避難する人が多くなりました。


避難と一口にいますが、一時的なものという状況ではありません。


今まで住んだ土地、仕事、家など、すべてを置いて
出て行くということには大きな決心が必要です。


もちろん、すべてを失って身一つの方の
想いは時間がたつにつれ複雑さを増していくことでしょう。


そこの環境は・・・・・
その場に立つと呆然と見つめるしかないそうです。
瓦礫の山・・・皆様がTVで見られているとおりです。


住む人は・・・
避難したくても、ガソリンがなくてできずにいます。
水道が破壊されてしまったので、
お米があって、電気は通っているのにご飯を炊けません。

コンビニやスーパーにももう商品が何も入りません。

病院には薬さえ届かないのです。

放射能という言葉に恐怖を覚えてしまうため、
荷物を積んだトラックが福島に入るのを嫌がり、
荷物を降ろさないで戻ってしまうので、
物資がなにも供給されない日々が続いています。


たとえ、物資があっても今は銀行ATMに既に紙幣がなく
下ろすことも出来ないという現状もあります。


放射能のために換気をすることが出来ないから
エアコンで温まる術もなく、
灯油もないのでストーブもたけず、
冷えた空気の中で震え、
食べるものがなくて空腹は通り越し、
連絡のない人々を待つ・・・


その中で避難してきた病気のある方が
亡くなっていったのも事実です。



悲惨は通り越していると思います。



それでも、病院に勤めている家族や友人は
仕事に通い続けています。


患者さんがいる限り、行かなきゃならないと
家族を避難させた上で自分たちは覚悟して残っています。


そして避難圏内にも、まだまだ人が残されているのです。



2日前に、実家の母と妹が避難しました。
義理の父母と兄弟の家族も避難となりました。



母は、東京駅から電車に乗ったら、
周りの人たちの中に、避難してきたことを察知して、
顔を背けてハンカチで鼻や口をふさぐ人がいて
ショックを受けています。



こんな事実もあるんです・・・・・


私自身、どのくらいの間家に戻れないかもわからないです。


これからどうなっていくのか、
どう生きていくのかを考えなくてはなりません。


まさか自分の家族がこんなことになるなんて夢のようです.



それでも・・・・・


生きていくことが大切なので、
この苦難を人事にはせずに、
私自身も受け止めて行動していこうと思っています。



どうか、被害にあわれた皆さんも
希望を捨てることなく、日々を迎えていけるように
願っております。




小さなひとつの行動が大きな輝く星☆となりますように・・・


いまだ連絡が取れない方との再会を願って・・・