皆さん お久しぶりです。
SweetHome hiroです。
未曾有の災害が起こってしまったことに
心を痛め、沢山の方がPYHの名の下に意思をひとつにして
自分たちにできることを考えてくださっていること、
感謝申し上げます。
メンバーの方の中にも、被災した方がいらっしゃると聞きます。
ご家族、ご親戚の方が被災された方もいらっしゃることでしょう。
わたしの家族・友人たちも沢山の被害者となりました。
TVで報道されていること以外に、
今の本当の状況をお伝えしたく、
今回書かせていただいております。
つらいけど、事実を見て、
また明日を考えることにつなげていただければ、
と思っています。
私の家族、親戚は福島県の浜どおりと呼ばれる地域に住んでいました。
そこで被災したのです。
地震が去ってきたものは津波。
主人の妹たちは海辺近くに家があり
一瞬のうちにすべてを失いました。
着の身着のままでしたが、逃げられたことが不思議なほどの
時間で津波が来たそうです。
甥は電量関係の会社で被災。
逃げたものの、車や建物があっという間に流されて、
目の前で見た津波の光景に呆然としていたそうです。
・・・・・・そして、今・・・・・
原発からの放射能のために、30キロ圏内は避難とされています。
直ちにに健康に害は及ぼさない、そういう発表ですが、
毎日その数値にさらされて暮らすことが
健康にいいとは言えないことは皆様ご存知のとおりです。
今後の改善といっても、完全に原子炉が冷却されても、
建てやが破壊された状態では安心とはいえないです。
30キロ圏内と31キロ32キロ・・・そのちがいは
どうなのでしょうか?
行く先を考え、30キロ圏外でも避難する人が多くなりました。
避難と一口にいますが、一時的なものという状況ではありません。
今まで住んだ土地、仕事、家など、すべてを置いて
出て行くということには大きな決心が必要です。
もちろん、すべてを失って身一つの方の
想いは時間がたつにつれ複雑さを増していくことでしょう。
そこの環境は・・・・・
その場に立つと呆然と見つめるしかないそうです。
瓦礫の山・・・皆様がTVで見られているとおりです。
住む人は・・・
避難したくても、ガソリンがなくてできずにいます。
水道が破壊されてしまったので、
お米があって、電気は通っているのにご飯を炊けません。
コンビニやスーパーにももう商品が何も入りません。
病院には薬さえ届かないのです。
放射能という言葉に恐怖を覚えてしまうため、
荷物を積んだトラックが福島に入るのを嫌がり、
荷物を降ろさないで戻ってしまうので、
物資がなにも供給されない日々が続いています。
たとえ、物資があっても今は銀行ATMに既に紙幣がなく
下ろすことも出来ないという現状もあります。
放射能のために換気をすることが出来ないから
エアコンで温まる術もなく、
灯油もないのでストーブもたけず、
冷えた空気の中で震え、
食べるものがなくて空腹は通り越し、
連絡のない人々を待つ・・・
その中で避難してきた病気のある方が
亡くなっていったのも事実です。
悲惨は通り越していると思います。
それでも、病院に勤めている家族や友人は
仕事に通い続けています。
患者さんがいる限り、行かなきゃならないと
家族を避難させた上で自分たちは覚悟して残っています。
そして避難圏内にも、まだまだ人が残されているのです。
2日前に、実家の母と妹が避難しました。
義理の父母と兄弟の家族も避難となりました。
母は、東京駅から電車に乗ったら、
周りの人たちの中に、避難してきたことを察知して、
顔を背けてハンカチで鼻や口をふさぐ人がいて
ショックを受けています。
こんな事実もあるんです・・・・・
私自身、どのくらいの間家に戻れないかもわからないです。
これからどうなっていくのか、
どう生きていくのかを考えなくてはなりません。
まさか自分の家族がこんなことになるなんて夢のようです.
それでも・・・・・
生きていくことが大切なので、
この苦難を人事にはせずに、
私自身も受け止めて行動していこうと思っています。
どうか、被害にあわれた皆さんも
希望を捨てることなく、日々を迎えていけるように
願っております。
小さなひとつの行動が大きな輝く星☆となりますように・・・
いまだ連絡が取れない方との再会を願って・・・
SweetHome hiroです。
未曾有の災害が起こってしまったことに
心を痛め、沢山の方がPYHの名の下に意思をひとつにして
自分たちにできることを考えてくださっていること、
感謝申し上げます。
メンバーの方の中にも、被災した方がいらっしゃると聞きます。
ご家族、ご親戚の方が被災された方もいらっしゃることでしょう。
わたしの家族・友人たちも沢山の被害者となりました。
TVで報道されていること以外に、
今の本当の状況をお伝えしたく、
今回書かせていただいております。
つらいけど、事実を見て、
また明日を考えることにつなげていただければ、
と思っています。
私の家族、親戚は福島県の浜どおりと呼ばれる地域に住んでいました。
そこで被災したのです。
地震が去ってきたものは津波。
主人の妹たちは海辺近くに家があり
一瞬のうちにすべてを失いました。
着の身着のままでしたが、逃げられたことが不思議なほどの
時間で津波が来たそうです。
甥は電量関係の会社で被災。
逃げたものの、車や建物があっという間に流されて、
目の前で見た津波の光景に呆然としていたそうです。
・・・・・・そして、今・・・・・
原発からの放射能のために、30キロ圏内は避難とされています。
直ちにに健康に害は及ぼさない、そういう発表ですが、
毎日その数値にさらされて暮らすことが
健康にいいとは言えないことは皆様ご存知のとおりです。
今後の改善といっても、完全に原子炉が冷却されても、
建てやが破壊された状態では安心とはいえないです。
30キロ圏内と31キロ32キロ・・・そのちがいは
どうなのでしょうか?
行く先を考え、30キロ圏外でも避難する人が多くなりました。
避難と一口にいますが、一時的なものという状況ではありません。
今まで住んだ土地、仕事、家など、すべてを置いて
出て行くということには大きな決心が必要です。
もちろん、すべてを失って身一つの方の
想いは時間がたつにつれ複雑さを増していくことでしょう。
そこの環境は・・・・・
その場に立つと呆然と見つめるしかないそうです。
瓦礫の山・・・皆様がTVで見られているとおりです。
住む人は・・・
避難したくても、ガソリンがなくてできずにいます。
水道が破壊されてしまったので、
お米があって、電気は通っているのにご飯を炊けません。
コンビニやスーパーにももう商品が何も入りません。
病院には薬さえ届かないのです。
放射能という言葉に恐怖を覚えてしまうため、
荷物を積んだトラックが福島に入るのを嫌がり、
荷物を降ろさないで戻ってしまうので、
物資がなにも供給されない日々が続いています。
たとえ、物資があっても今は銀行ATMに既に紙幣がなく
下ろすことも出来ないという現状もあります。
放射能のために換気をすることが出来ないから
エアコンで温まる術もなく、
灯油もないのでストーブもたけず、
冷えた空気の中で震え、
食べるものがなくて空腹は通り越し、
連絡のない人々を待つ・・・
その中で避難してきた病気のある方が
亡くなっていったのも事実です。
悲惨は通り越していると思います。
それでも、病院に勤めている家族や友人は
仕事に通い続けています。
患者さんがいる限り、行かなきゃならないと
家族を避難させた上で自分たちは覚悟して残っています。
そして避難圏内にも、まだまだ人が残されているのです。
2日前に、実家の母と妹が避難しました。
義理の父母と兄弟の家族も避難となりました。
母は、東京駅から電車に乗ったら、
周りの人たちの中に、避難してきたことを察知して、
顔を背けてハンカチで鼻や口をふさぐ人がいて
ショックを受けています。
こんな事実もあるんです・・・・・
私自身、どのくらいの間家に戻れないかもわからないです。
これからどうなっていくのか、
どう生きていくのかを考えなくてはなりません。
まさか自分の家族がこんなことになるなんて夢のようです.
それでも・・・・・
生きていくことが大切なので、
この苦難を人事にはせずに、
私自身も受け止めて行動していこうと思っています。
どうか、被害にあわれた皆さんも
希望を捨てることなく、日々を迎えていけるように
願っております。
小さなひとつの行動が大きな輝く星☆となりますように・・・
いまだ連絡が取れない方との再会を願って・・・