ブサヨ突っ込みコメント・TB保管所

自分に都合の悪いことはコメント削除や不承認で逃げ回るブサヨ、プロ市民への情報を晒します。

資料というのはよく漁ったほうがいいと思いますが?

2008-08-04 22:38:09 | Weblog
とりあえず前のエントリーはTB通ったようで、ありがとうございます。

でもなんかあんまり人のエントリーをよく読んでないご様子なんで
コメントにいろいろとつっこんでみます。

>関東軍はとっくに逃げていて、
逃げているのならなんでオイラの親父が
>「日本兵は銃を撃とうとしてもソ連兵の短機関銃(通称バラライカ)
>で必ず頭を打ちぬかれていた」
と言っているのは何故でしょうか?ちなみに書いてなかったけどおいらの祖父
にあたる人は軍属なのでそういう逃げ出す兆候があればわかるはずですが?

で、逃げ出したとか言っている人はこういう事実をどう捉えるのでしょうか?
岡崎久彦 「百年の遺産-日本近代外交史(60)」より


他面、満州の悲劇は、戦後左翼思想の跋扈(ばっこ)する中で、
関東軍が入植者を見捨てて真っ先に逃げたという伝説も生みました。

 関東軍は、主要部隊を次々と南方に引き抜かれ、見る影もなく弱体化して
いましたが、それでも善く戦っています。東部正面の第百二十四師団は、
ソ連軍主力の猛攻を五日間支えて、牡丹江在留邦人三万人の後退を完了
させてから停戦しました。西部の第百七師団も健闘して邦人を退避させて
います。

内蒙古の駐蒙軍は邦人引き揚げまで、ソ連軍進駐の猶予を求めたが容れられず、
善戦して四万の張家口邦人全員引き揚げを完了させています。

もちろん、大本営命令にしたがって早期に武装解除した地域、あるいは軍から
遠く離れた地域には惨劇もあり、混乱の中、それぞれの環境は千差万別でしたが
軍が故意に邦人の生命の安全を無視した、などということは、当時の日本人の
心情として、とうてい考えられないことです。


あとこういうのもあります。
『昭和20年8月ソ連参戦後の響兵団の在内蒙古邦人撤退援護の記』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gwife/2MBs_maruichi_jinchi.htm
『平和祈念事業特別基金 戦後強制抑留史 第1巻 第2編:日本軍の降伏』
http://www.heiwa.go.jp/yokuryu/2.html

>満州鉄道などのエリートも情報が早く入ったので逃げられたのです。
違います。ソ連軍が侵攻してくると分かったのは侵攻してくる3日前で
あり手はずやアナウンスをする時間がなかっただけです。それで優先順位
で逃がしたら時間切れになったのが実情なのですが。
また現地は日本の敗戦濃厚なのを感じる雰囲気ではなくましてや全財産
投げ出してきている開拓団の人にしてみればいきなりソ連が攻めてくる
なんてありえないだろ?ってことですからそれを現代の物差しではかる
わけにはいかないでしょう。

>証拠が残っています。
いつも思うのですが証拠があるというのならソース元を挙げるのは基本だと
思います。ぜひ証拠を見たいものです。

>ソ連国境近くの村では、情報も入らず逃げ遅れ、男性は殺され、
>女こどもはソ連兵にレイプされました。
えーっと実はですね情報うんぬんよりソ連の侵攻が早かったわけでして・・
情報が入らないというのは不幸だったとしかいいようがありませんね。
あとですね、戦後すぐ九大医学部では違法な堕胎手術をやる必要にせまられて
いました。なぜか?それは引き上げ者の中にもソ連兵や韓国人にレイプされた
人たちが多くいたからです。はたして引き上げれたひとだからましなので
しょうか?なにぶん中国残留者は命は助かってしかも飯は食えるのです
引き上げ者は身内がいなければ食事すらまともにとれないのですが?
つーかうちの親父栄養失調で死に掛けてたのですがね、どこが引き上げ者の
ほうがましなのでしょうか?

>日本政府はひどすぎると思います。やってることが逆でしょう。
それならうちの親父も日本政府にお金をせびることは可能なんですね?
でもうちの親父は言います「国にかねもらってまで生活しようとは思わん」

>戦争で苦労を強いられた人々に戦後補償すべきだと思います。
そんなもんきりないでしょう?だったら空襲で肉親失ったひとにはすべて
保障しろとか言うんですか?それはないでしょう。

>米軍への思いやり予算をやめて、日本の、苦労されてきた
>高齢者に回すべきです。
そんなもん日本に寄生している在日特権や利権なんかのお金を回すのが
筋だと思いますよ。思いやり予算とはなんの関係もない。

とりあえずこのへんにて。

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