農 家 便 り (ブログ版)

産直ニュースでは書ききれないことや、みんなに早く伝えたいことなどを書いていきたいと思います

あの頃

2009年05月11日 | 今日の便り
用水闘争の拠点で工事を見張る為のプレハブが年月で1階の土台が腐った為
切除して2階を1階ように現闘さん達が作り直してくれた物を菱田砦として
現在使用しています。
菱田決戦行動隊と呼ばれた学生さん達が連日、見張り、デモをしていたのを
覚えている方達も多いはず。
工事関係の車両などがナンバープレートを支援連に、見られないように
泥やガムテープで隠して公道を走りまわり、支援連の車をカケヤで襲い
同盟の稲刈り前の田にガソリンをかけたり、同盟の畑の側の公団用地を
畑に草の種など飛ばされないよう支援連が自主耕作をしていた場所に
芝の種を蒔かれたり、ベトナム戦争で有名な枯葉剤を蒔かれたり
検問と称して若い女性にセクハラをする機動隊や、検問で車に積んでいた物を
壊されたり投げ捨てられたり本当に日本かと?
この成田なら民衆に何をしても許されるような理不尽な事が数え切れないほど
警察が頼りになるという誤解をしていた私が目の当たりにした真実
これがなければこういう事に怒りを感じていなければ、今この地で
同盟農家はしていなかったと思います。
本当に毎日が戦争、戦いでその相手が国であり警察権力だっただけ
これは、今でも変わりませんが
警察だから国だから何をしても許されると思うなという怒りが、今の
市東さんの農地問題、現闘本部の問題につながっています。
「今でこそ騒ぎを起こすおばちゃんですが、最初のぶつかり合いは
怖かった?」
その頃の支援連ジグザグデモを良くしていた、周りで見ていて楽そうに
見えたので少し混ぜろと入れてもらったら足が地面を離れて体が浮いて
しまいどうしようもない状態に?
離せと叫んでもそのままでしばらく浮いていたのを覚えています。
距離的にはたいした距離ではないのですが、気がついた現闘に助けられたり
機動隊とのぶつかり合いに巻き込まれ、現闘に羽交い絞めにされて
引きずりだされたり、父さん達に危ないから来るなと言われて置き去りに
されると現場の裏側に回りこみ山の中から加わったり?
ま、あの頃から騒ぎ起こしていたような気もするが

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2 コメント

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(@_@) (でっかいちゃん)
2009-05-11 23:59:59
うわ~!すごい!生々しい!すごい闘いが繰り広げられてたんですね。またそういう時代が近づいてますね。農地絶対死守!
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Unknown (とん吉)
2009-05-12 21:55:23
60年代末、当時青行隊長だった萩原進さんの少行研修旅行総括から「…現に親の手元を現実に離れての組織的活動を研修旅行と銘打ったこの行動こそがその一歩としてあったのではないか、見るもの、聞くものがめずらしい東京で組織の規律を守れ、自主的に行動を押し進めよ、少年の全身で知識を吸収せよ、大衆と接触よ、これらが一同に調達できる東京で乳離れしたての人間が悪い空気を吸い、千差万別の人達と接し、他人の家で寝食を供にしての行動を起こす時、かならずや少年の身体に血肉化されるものがあろうし、突き進む一本道の正道性が確認される事である。だから言いたいのは、ここで少行を甘やかしその特権を悪用しない事である。獅子が谷底へ子供を落とす話を引用しておるのではなく我々は、国と闘いぬいているのだと言う事なのであり、それには、親も子も同質の事としてあり闘いの上で結ばれておるんだと言う事をややもすれば忘れがちになりはしないだろうか。…」
萩原さんは、若い時から、厳格な組織者だったんですね~!!
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