農 家 便 り (ブログ版)

産直ニュースでは書ききれないことや、みんなに早く伝えたいことなどを書いていきたいと思います

無知な自分

2012年02月29日 | 今日の便り
凍える雨空 この年にもなって独りでは何もしてこなかったんだと思い知らされています。
国民年金を需給される年齢にならず逝った父さん、子供も18歳を越えているし何もないんだと思って
いましたが「どこからも連絡はなく、自分で動かないと誰も教えてくれないんだね。」
年金切らないと集金が?と思いたち電話をしたら初めて知った「私だけがボケてる?」
一時金か寡婦年金制度がある事を、
健康保険代8期まで払い込んであった為、父さん死亡で過払い分を受け取りに役場へ行くついでに
年金課へ行ってきた。
書類などが足らず、又いく事になるけど
葬儀を証明出切る物でもいくらか出るそうで、知らない事ばかり
闘争、移転など町、全てと意見が食い違い攻撃を受け続けてきた我が家
けして私を表に立てず一人でさまざまな役職も行事も出ていた父さん、
盾になってくれていた事をいい事に、任せきりだったから、今いい年して何も知らない。
亡くなってから存在の大きさに、どれほど頼ってきたか思いしらされています。
生きる為の闘いを毎日、娘としていますが働けば何とか生きていけますが寂しさ、空しさは消えません。
産直総会で長年支えてくれている消費者の方が
「あの大赤字も耐え共に乗り切ってきた、今回も乗り切れないはずはない共にがんばる」と言ってくださり
その時、同じく長く支えてくれる消費者の方がたが同意だとうなずいてくださったのが目に入り
ありがたいのと一人じゃないんだ、父さんと歩んできた道は間違いじゃないんだと嬉しかった。
今の心の支えは、父さんと共に長年戦ってきた多くの仲間、消費者の方と会える全国集会
さまざまな問題をクリアしたら父さんの変わりは無理ですが、全国の闘いへ一緒に参加させてください。
自分の闘いと考え行動できる人間を目指して
まずは、この地で生きる闘いをしていきます。

産直総会

2012年02月26日 | 今日の便り
産直総会「千葉市」「東京」の2箇所無事に終わり帰宅しました。
長いお付き合いの消費者の方が心配してくださり、今父さんの仏壇に報告してた所です。
「大変だけど、このままここで農家を産直を続ける事で生きていくから
総会でも消費者の方達にもお願いしてきたから」と
本当に驚くほど消費者の方達が葬儀に参列していただき、その後も知らなかった方からの
連絡など含め、すごい人数で親子2代に渡る反対同盟農民として信念を貫いてきた父さんの
生き方は間違っていなかったんだと改めて知りました。
まず、農民としてそして父さんが自分の事としてどうしたら共に生きられるのかを模索していた
福島、沖縄の闘争も含め娘と共に父さんの跡を継いでこの地で生きていきます。
全国の父さんと共に産直を育ててきた消費者のみなさん、三里塚闘争を共に戦ってきたみなさんへ
この地で生きる闘いを続けていきます。
至りませんが、これからも宜しくご指導お願いします。

追伸

  昨日、朝、庭先からのけいどに口から血を吐いた野良猫「家のまでやに住み着いていた」の1匹が
死んでいた?
怖いけど父さんがいない今、自分で何とかしないといけないのでビニールの手袋に軍手の2重に装備で
袋に、雨の中埋めてあげるのをどうしようか?と悩んでいるうちに
父さんの友人夫婦が来てくれたので頼んで?「押し付けて?」埋葬してもらった
今日は、ハクビシンが死んでいたそうです。
続けて2匹は変かな。
又、誰か毒仕掛けたかな、家の犬や猫を殺す為に
嫌がらせのいきを超えて犯罪だと思う。


四十九日

2012年02月24日 | 今日の便り
早いもので父さんが亡くなってから今日で四十九日、生きる事が戦いの今の私には派手は事は出来ませんが
何とか質素ですが法事も済みました。
産直の出荷日に重なり、現闘さん達にご迷惑をかけましたが。
多くの方達から支えていただき、心配していただき本当に感謝しています。
人はストレスでも倒れるんだと自分はこんなに弱かったんだと共に私には全国に父さんの仲間がこんなに多くの方が
手を差し伸べてくれているんだ一人で娘達と残された訳じゃないんだと。
共に年を重ねていく事は、出来なくなりましたがこれ程大事な人にめぐり合えた事を感謝して
将来、向こうで会える時に笑顔で頑張ったよと言える人生を生きようと思っています。
産直総会、全国集会、裁判闘争などでみなさんと会えるのを楽しみにしています。
しばらくは遠方に出かけられないけど、各地の闘争にも父さんの代理にはなれませんが
加わりたいと思っています。
「その時はよろしくお願いします」
闘いなかばで逝った父さんの分まで一生懸命生きてがんばります。

産直総会に娘と参加します。

2012年02月20日 | 今日の便り
寒さは厳しいですが、葉物が少し育ってきました。
3月の声を聞く頃には、葉物が数種とわけぎの出荷が始まります。
新物の作付けも開始、娘と2人で父さんの後を精一杯がんばろうと思っています。
田畑の作付け面積を今年は減らし、数種の野菜を萩原さん、市東さん、野平さんに受けていただき
来年からは元に戻せるよう、作付けも考えながら基本の方針
安全でおいしい野菜を直接消費者へを
娘と一から考え直し、生きていこうと思っています。
信念を曲げず生きる事、父さんが示した生き方を難しいですが貫いていこうと
決めました。

偶然か嫌がらせか?我が家の車が続いて2台パンクしていました。
トラックの方はタイヤ側面が大きく裂けていた「5センチ以上」?
おかしいなとも思わずパンク修理をしてもらい、直したら乗用車もパンクに気がついた。?
毎日、何かが起きる今日は古い方の軽トラが動かない、業者にきてもらいバッテリー交換
全部父さんがしてたからな、わからない事だらけ

春よこい

2012年02月18日 | 今日の便り
朝起きると雪景色、千葉でも氷点下が続き昨日より道路が凍りついている早朝出勤の娘の車が心配。
心配性で甘い父親だった父さんがいたら駅まで送っていったはずだよなと思いながら送り出した。
雪と北風で畑仕事は諦め、税金の申告用をパソコンでまとめて娘に怒られながら?
「オートサムどれだっけ?ねー列ずれた?コピーで切り取り貼り付けようか?」
どうもパソコンの計算があっているか?電卓打ちたくなる。
「お母さんより機械の方があってるの」と叱られながら
うーん、頭いてー
子供は親に遠慮なくてな、父さんとは違うはな。

種まきやマルチ張りの時使用する特殊な紐があるんですが、テグスをまとめたような強い物で畑に
まっすぐ印を付ける為のもの。
たぶん最後に使用したのは、去年12月の始めごろ
切れるようなものではないとても強い紐が5,6箇所切られている?
切り口がライターのような物で焼いたような?
火には弱いけどまでやに火の気はない。
たぶん、父さんの葬儀後、私が入院していた間かな?
嫌がらせじゃすまない、犯罪だ。
単なる紐じゃなく怖がらせたいのか?
不定期に支援連が見回りに回るようになるから、捕まえたら身元と顔写真ブログで暴露だぞ。

凍える

2012年02月16日 | 今日の便り
千葉は昼ごろからすごい雪、あっという間に木立など雪景色に
援農さん達を返し、娘と二人でほうれん草の収穫に行って来た、手の感覚がない凍える。
帰宅後、凍えながらからし菜漬けのもみ直し作業
塩水が凍りつきシャーベット状態、娘に作業場で遭難すると叫ばれながらの作業
いつも、こういう時は父さんと2人でしてたの、恨むなら父さんにいいなといいながら
なんとか終了、さて次の用事だ。
世話しない性分は直りそうもない。

「福島「郡山」」に入ってるボランテアの方、荷物届きました。
仏前に上げさせて頂きました、有難うございます。


元気だよ。

2012年02月13日 | 今日の便り
気がつかない間にお付き合いがある家で葬儀があったそうで、届けに行ってない。
移転した家だし、場所良く知らないしどうしようか?と考えたけど
じいちゃんの時も父さんの時も来てくれているのにそんな不義理をしては、父さんに叱られると
思いなおし行ってきましたが「父さんなら?」と考える癖が出来てしまった。
生きてる間は当たり前に何でもしてくれていたから、本当に大変
灯油、軽油、ガソリン、肥料、工具?毎日何かしら問題が起きる。
洗濯機が壊れた、取り替えたけどホースは?延長?どれを買ってつけたらいい?
毎日娘と相談して何とかこなしています。
「出来ない事は現闘さん達が手助けしてくれていますので」
とても図太い性格ながら睡眠は浅い、少しのゆれや音で起きてしまうし寝られない。
これは若い時からなんですが、介護中のばあちゃんが夜中や明け方に歌を歌ったり目が覚めると騒ぎを起こす。
父さんには全然起きない人だったからずいぶん愚痴りました。
父さんが急に亡くなり、全然寝られない食べられない状態の数日、
倒れて入院した頃から夜早い時間から眠くて夜更かしだったのが、早寝早起きに?
1回寝たら早朝まで起きない、父さんが守ってくれている寝ないと体壊すから寝かしてくれていると
勝手に思っています。



あの時は、

2012年02月11日 | 今日の便り
まだまだ落ち着くというまでにはいきませんが、少しだけ振り返ると後悔だけが鈍く疼きます。
深夜「足がつる、頭痛い」と言いながらトイレに立ち倒れ、声を掛けたんですが返答がなく
うなり声だけ、見に言った時は「痛い、足が立てない」とつぶやき意識不明に
すぐ救急車を呼びましたがその時間の長く感じる事
たぶん15分くらいできたようですが、余りの怖さに本当に長く感じたのを覚えています。
庭先に止まった救急車の中で病院へ電話、「受付無理です」「治療出きる医者がいません」
「今、緊急が込み合っていて無理」など病院のたらい回し
父さんの手を握り締めながら本当に怖かった、娘達の話では1時間以上かかったと
やっと受け付けが出来た病院が「九十九里病院」で菱田からは1時間以上かかりました。
病院についた頃から意識が多少戻り、MRIなどの検査中は話せるほどで
医者の説明も「太い血管は切れていないようなので命に別状はないと思います」と
言われ本当にほっとして、父さんに本当に怖かったんだから死んジャ運じゃないかと思ったんだからと
言ってたほど、安心して
集中治療室には居られず、廊下の椅子とロビーで一晩付き添い
明け方、娘達を返し翌日は、兄弟が駆けつけてきた時に姉に「痛かった死ぬかと思った」と
話していたくらい元気で薬剤師さんに自分で飲んでる薬の説明をし
尿の管を嫌がりトイレに連れていってくれと私と看護婦さんにだだをこねる程元気だったし
医者は説明時第3者もいれず、2週間くらいは様子見ないと危険かもと?言うだけ
脳外科医がいないなら他の病院へ転移をさせてくれと言ったら、
「様子見ましょう、大丈夫そうだから」と
その言葉を信じて、会計に高額医療の申請を役場でもらってきてくれと言われ
使用中のインシュリンを取りに自宅へ往復2時間
病院へ帰った時は寝ていたと思ったんだけど現に看護婦さんもそう言ってたので
もう意識不明だったんだと後で思いましたが、、、、
その日も先生は「重いなら転院させてくれ」という私に大丈夫と
それを聞いて娘達に家へ返され、交代で娘が付き添うと夜9時完全介護だと娘が返され
心配で寝られず、7日の日は早朝4時に病院へ5時ごろついた時はもう高熱で体は身動きもしない
ひどい高熱なのに、下げる治療もしていない
泣きつき何とか氷嚢を入れるがまったく利かず、先生を呼んでくれと言っても呼んでくれず
呼吸が止まり、娘達と呼びかけると呼吸が戻る状態に
先生を医者を呼んでくれと泣き騒ぐ私達に、看護婦はもう手の打ちようがないと諦め状態で呼んでくれない
その10分くらいの長かった事、本当に怖かった、今思い出しても怖い
医者に延命措置の間、部屋から出され看護婦詰め所の心電図を見ながら何とか生きてほしいと願い
障害が残っても生きていて欲しかった、たとえ寝たきりでも生きていて欲しかった。
泣く家族を尻目に看護婦が大声で笑いながら作業していたり、同じ部屋で、、、
医者は助からなかったのに謝るどころか、なんと4回もやったんですよ、普段は2回ですから」と威張る始末
悲しくて、離れられない私達に婦長は次が来ますのでどいてくれというような言い方で
兄弟が家族がくるまで待ってくれと言うのがやっとで、今でもくやしい、悲しい
10万預かりますとか、1万こずかいですとか、本当に酷い病院で看護婦の処置ようのゴム手袋などこずかいからと
引かれ、パジャマは1日1000円、オムツなど使用も1日1000円とか、最悪だった。
愛する家族に死なれ泣き崩れる家族に、死ぬ事に慣れきっている余りな態度の病院でした。
遺体安置所は病院の外のゴミ置き場のような建物で
大きな病院のない山武の救急車は、全て受け付けてくれるその病院へ次々運びこみ多くの救急車の全てが山武と書かれて
いましたが、その運びこまれた患者の大半が死んでしまう恐ろしい病院のようです。
近所の者はいかないと後で聞かされましたが、後悔しても帰ってきてくれないし
せめて、他の方が九十九里病院へ行かないように願うだけ
TVで見ていた医者不足で救急車でたらい回しに合うとは、思いませんでした。
余りのショックで寝られない食べられない状態での体を壊し入院騒ぎを起こし悲しみの中で娘達に心配を掛けてしまい
ましたが、頭にもやがかかったようで何も覚えていない悲しい夢の中のようで
何とか頭の霞が消えたのは、父さんが御骨になってしまったのを見てから
「ああ、もういないんだ」と
悲しみは消える事はありませんが、時が薄めてくれるはず
父さんに合えるその時まで、父さんに顔向けの出来ない生き方はしたくないそれだけです。

産直記事更新 

2012年02月09日 | 今日の便り
厳しい寒さが続き春が待ち遠しい毎日です。
例年陽だまりで早々に春を告げるふきのとうも余りの寒さにまったく出てきません。
最初の作付け、大根、小松菜、ジャガイモと始める時期ですが土が凍りつき少し遅れ気味
余り無理して作付けを開始してもどうかな?
天気予報とにらめっこより、畑や野山の虫などの動きを見ながら思案中
来月頭に移植できるように数種の種まきをビニールハウスで始めたりしています。
跡継ぎの娘にいろいろ教えたり、共に試行錯誤をしながら年々厳しくなる自然相手に
共に生きる農業を目指して
安全な無農薬野菜を育て努力しても、人の力では制御出来ない原発で全てが無になる現実に
いまさらながら食の大事さを実感中
福島の全国の子供達の健康に生きる権利の為にも原発をなくす運動を続ける事が
食を考える農家として人としてこれからの道だと信じています。


父さん見守って

2012年02月08日 | 今日の便り
寒さ厳しい日が続いていますが、ビニールハウスを何とか張替え例年より遅くですが
苗作りを始めました。
少しずつですが前向きにがんばっていこうと思えるようになってきています。
農業も家も各地の戦いも1から自分が継ぐといっている娘の支えになってやらないと
いけない、教える事が二人で勉強する事がいかに多いか?
まずは、娘のオートマ解除から「トラクター路上を乗れない」
父さんがいればたぶん一生トラクターを動かす事などしなかっただろうけど
周りが全て移転し1件だけで残る我が家で娘が農家を継ぐ事がいかに厳しい事か
母親の自分からは頼めない事でしたが、本人が決めた決意です。
今は亡きじいちゃん、父さんと共に戦ってきた全国の仲間へ、
安全な野菜をおいしい野菜作りを共に作り上げてきた産直消費者のみなさんへ
娘共々これからも宜しくお願いします。